交わす約束飲み干して | ナノ


▼ キスの日

「安室さん、問題です。今日、五月二十三日は何の日でしょーか」
 にこにこにこ。いつも通りの満面の笑みで、ポアロのカウンター越しに真生さんが言った。僕のシフト情報を入手した彼女が客の少ない時間を狙ってくるのはいつもの事だが、今日はクリティカルヒットだ。つまり二人きりである。
「世界亀の日ですね」
「日本規模でお願いします」と間髪入れずに返ってきた。僕に言わせたいことは分かっているが、すっとぼけた。
「丈山忌でしょうか」
「なんて?」
「藤原惺窩に師事し、詩仙堂を建てた石川丈山ですよ」
「何から何まで分かりません」
 分かりそうな所は割愛したからな。
「漢詩人で書家、儒学者、茶人、作庭家……元は徳川家康の近侍ですね。ああ、煎茶の祖とも言われていますね」
「言葉はギリギリ分かりましたがそれじゃないです。もうちょい現代でお願いします」
「分かりました! 日本初の野球の国際試合の行なわれた日でした」
 わざとらしくぽんと手を叩いて笑ってみせる。
「確かに日本で現代ですけど!」
「あとは山口勝平の誕生日とか」
「おめでとうございます!!」
 遂にはヤケクソ気味に祝う。ああもう、と彼女は溜息をついた。
「キスの日ですよ。安室さんほんと意地悪ですね……はっ、もしかして私にキスって言わせたかったんですか?」
 閃いたと口元に手をあてはしゃぐ彼女はいつにも増してテンションが高い。反応で遊びすぎたのか、妙な発言を誘発してしまった。
「寝言は寝てどうぞ」
「そういうわけで、お願いします」
「お断りします」
「そこをなんとか」
「なりません」
「せめて投げキッスをお恵みください」
 手を組み祈りを捧げてくる。
「嫌です」と全力の笑顔で斬り捨てた。
「では私からのを受け取ってください」
「結構です。そのままお返しします」
「なんでですか」
「逆になんでいけると思ったんですか」
「だってあむぴじゃないですか」
「意味が分かりません」
「みんなのアイドルあむぴじゃないですか」
「違います。諦めてください」
「だって明日から地獄の連勤術士で、当分来れないんですよー。元気ください。生命の危機なんです」
 笑顔の応酬から一転、さめざめと泣くふりをする。
「その程度で危機ですか。今まで良く生きて来られましたね」
「えへへ、頑張りました」
 途端に顔がぱっと華やぐ。
「褒めてません」
「ありゃりゃー」
 へらへら笑っているが、どうも、本当にしょげていることは分かった。どことなく演技臭くない哀愁が漂っている。
 はああ、と大袈裟なまでに深々と溜息を吐き出す。現在客は彼女のみ。仕方ないな。
「一回だけですよ」
 ちゅ、とお望み通りの投げキッスをしてやる。
「お仕事頑張ってくださいね。全部終わったら、また来てください」
 しれっと次の来店を先延ばしにする。この件を吹聴することもないだろうし、したとしてどうせ誰にも信じてもらえもしないだろう。彼女は胸を押さえて突っ伏し、微かな声を絞り出す。
「ひ、被弾しましたぁ……」
 ──しばらくは、静かな日々か。

prev / next

[ back to top ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -