散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第十四夜

「桜ちゃんっ!!」
 私が瞼を開いて言葉を発するよりも早く透の焦った声が飛び込んできて、いつもの夢だと認識する。彼はテーブルに膝をついて乗り出し、私の目の前に現れた。
「おい、どうし──」
 今にも泣きそうな顔をしている、と分かった。
「桜ちゃん、元気?」
 両手を私のには見えない私の靄に突っ込んで、顔に触れて上を向かされる。
「……この通りピンピンしてるけど? 何があった?」
 静かに問うと、ギリと苦しそうに顔を歪めたように見えた。
「──命は、いつ奪われてもおかしくないと思ったら、急に心配になって。そういう終わりも有り得るんだよな……」
 彼の傍に不慮の死があった。そういうことだろう。もしかすると、いや多分、親しい誰かだ。
「透、行儀悪いよ。こっちおいで」
 隣の床をぽんぽん叩くと、机に乗っていた事を思い出したらしくちょっとバツが悪そうに降りて、私の隣にこちらを向いて座り込んだ。
 ほぼ無意識だった。俯く彼の首に両腕を回して、しょげた靄を引き寄せる。肩に靄が乗っかって、更に背中を引き寄せて体を密着させる。とくんとくん、と二人分の心音が重なる。少し強ばっていた透の身体の力は少し抜けて、私の腰に両腕を回した。
「私は生きてるよ」
 ただの一つの事実だけを述べた。
「……うん」
 細く弱々しい声だ。靄のせいでぼやけているのか、本当に掠れているのかはよく分からなかった。
 人間、明日どころか一分先すら何が起こるか分からない。老衰や病気なら予想も覚悟も準備も多少なりできるが、事故ならば遺された物の傷は深い。そういうことだろう。
 無責任でつまらない慰めをするつもりはさらさらない。私達はそういう関係ではない。私は私がしたいように、その大きな体を私の腕の中に閉じ込める。
 ただただずっと強く抱き締めていた。首元に顔を埋めた彼の匂いはしない。視界の半分は白い世界に包まれている。静かに呼吸を繰り返す。私の腰に回った手がくしゃりと薄手のパーカーを掴んだ。
「怖い?」
 もぞりと靄が動く。首を縦にも横にも振らず、ほんの少し身動ぎしただけだ。
「……話したい?」
 ぴくりと揺れて、しばらく躊躇する。思い出したくもないか、話したくないか、あるいは守秘義務のあるものかもしれないし。反応を待つ。
「警察学校でできた、友人が」
 微かに言葉を発する。不謹慎ながらに、親友でなくてよかった、と思ってしまった。ごめん。誤魔化すように透を抱く力を強める。
「卒業して、配属されて、少しして……死んだんだ」
「……うん」
 透が友人という区分に入れる人間が稀有であることは知っているつもりだ。同期でも、同僚でもなく、友人と言ったのだ。きゅうきゅうと私の胸までが切なさに締め付けられる。
「人は、思ってもない時に、思ってもないやつが、簡単に死ぬんだな」
「……そうだね」
 静かに、ただ頷いてぐっと透の頭を抱き締める。
 もし神様ってやつがいるなら、ぶん殴ってやりたい。そりゃこの子は喧嘩っ早くて人と衝突することも珍しくないけど。それは透の正義感に由来するものだろうに。この子の半生は巡り合わせが悪すぎやしないか。
「危険な部署ではあった。けど、まさか、あいつがそんなことになるなんて、考えもしなかった」
 危険な部署、か。刑事課強行犯捜査係とかだろうか。恨みを買いそうな部署だし。
「桜ちゃん、僕は……」
 言いかけて、口ごもる。
 私はこの子を守りたいと思った。
「怖い?」
 もう一度尋ねると、微かに頷いた。出会い頭に飛びつく程度には人の死に怯えていたんだ。
「うん。そうだよね。人間はいつか死ぬけど、だから命は尊いものだけど、その先が見えないのは、会えないのは、怖いよね……だから、泣きな」
 とんとんとあやすように叩くが、ぐりぐり押し付けるようにして首を振った。
「もういっぱい泣いた?」
 また首を振る。摩擦でちょっと鎖骨が痛い。
「じゃあ尚更、泣きなさい。ここには私しかいない。他の誰かに干渉もされない」
 透は動かない。
「あ、もしかして、男がどうとかつまんないこと気にしてる? そんなのの前にあんたは人間でしょうが。感情は殺し続けるもんじゃないよ」
 無理が祟れば心は麻痺して、凍てついて、いつか壊れてしまう。
「分かってると思うけど、身体だけじゃなくて、心にとっても痛みは大切なセンサーだよ。時間が経つほどにどんどん鈍くなってしまう」
 ぐりぐりと振り続けていた頭の動きが止まる。
「無理に泣けとまでは言わない。けど君の世界に泣く場所がないなら、ここがある」
 泣く場所があればとうに吐き出していただろう。共に歩む親友と哀しみを分け合っても、男同士で泣くという行為は不格好だとこの子は晒したりしないだろう。
 じわりと肩が濡れる。それほど大切な大切な友達だったんだろう。そう易々と乗り越えられるものではない。けれど仕事も環境も許してはくれない、といったところか。
 ばかだなあ。私がなってほしくないと思い続けた、いやそれ以上の歯車に彼は組み込まれてしまった。
 私じゃ透を守れない。子供だった透も、大人になった透も、これから私の先の先を行く透も。せめて、せめて友人として寄り添い、その人生を見取りたいものだ。
 ずきん、ずきん。──まったく、夢で私は何やってんだか。

 

 四半刻ほどして、緩やかに透が体を離した。私の肩を濡らし、落ち着いて額を押し付け、しばらく経った頃だ。
「ごめん」
 未だ俯く透だが、その声は先程に比べて幾許かはっきりとしている。少しは楽になっているといいけれど。
「違うなー、それじゃないなー」
「……ありがとう」
「正解!」
 にっと笑って頷いてやると、ちょっと、と言って立ってその場を立った。どうも鏡で腫れた目を確認したらしく、戻ってきてタオルで目元を冷やし始めた。それを口に出して指摘するような野暮なことはしない。ベッドに上半身を預けて上をむく透に、前回得た紅茶を用意してやることにした。まあ私が喉が乾いたからなんだけども。今回はミルクティーにしてみようかな。甘い甘いミルクティー。
 そういえば今回は探索してないな、まあいいか、なんて考えながら、鍋にティーバッグと牛乳とたっぷりと砂糖を投入する。
「……警察学校では、よく五人でつるんでたんだ」
 キッチンに立つ私に向かって、目を隠したままの透がゆっくりと話を始めた。
「僕と、親友と、班長と、滅茶苦茶な分解魔と、……もう居ない、あいつと」
「うん」
 少しずつ色がつき波立つ鍋をじっと見つめる。
「僕と親友は同じ部署に進んで、班長は刑事課、あと二人は爆処──爆発物処理班に」
 透自身の所属を言わないのは、多分公安なんだろう。成績優秀者の多くはそこに至るというし。付け焼き刃のネット知識だけど。
「周りをよく見ていて、優しくて、優秀なやつだった」
 沈んた声でくつりと笑って「それに運転はデタラメだったよ」と付け足した。
「……それはいい方? 悪い方?」
「いい方だな」
「カーチェイスでもしたの?」
「ただの人命救助だよ」
「あーそーゆーことね完全に理解した」
 なるほどさっぱりだ。どんな状況だ。未来怖いんだけど。道路交通法変わってるかな。車が空飛んでたりして。
 理解を放棄した私を、くすりと透が笑う。順調に元気を取り戻しつつあるらしい。
「いいやつだったよ」
「うん」
「……知らないところで死んでるのは、辛いな」
 目の前でも絶対に辛いよ、とは言わないでおいた。多分事故死だろう。想像して顔を顰めた。弱火を更に弱めて、じっくりとミルクティーを煮出す。もうちょっと時間をかけないと、タオルを外すまでにもう少しかかりそうだ。
「……桜ちゃんは?」
「うん?」
「この一年、何があった?」
「……そうだねえ、前回からの変化はあんまないなあ」
「引越しは?」
「まだ」
「彼氏は?」
「……いないよ、うるさいな」
 ふん、と荒い息を吐くとくすくすと透が笑った。
「なに」
「いや、桜ちゃんは変わらないから、落ち着くなあって」
「他に確認ポイントあるでしょうが!」
 反射で言ったものの、あまり掘り下げられると週一逢瀬が見つかってしまうので慌てて方向転換する。
「透がにょきにょきゴリゴリ成長しすぎなだけでしょ。成長過ぎたと思ったら今度はやたら筋肉硬くなってるしさ」
「マッチョは嫌い?」
「だいたいみんな細マッチョくらいが好きでしょ?」
「一般論じゃなくて、桜ちゃんの話」
「青っちろいよりはマッチョがいいな」
「ふーん」
 尚も顔をあげない透を睨め向け、鍋をぐるぐると掻き回す。
「転職も引越しも人間関係の変化も特になーし! 平々凡々社畜ライフだよ。あーあ、昇給しないかな」
「何か欲しいものあるのか?」
「引越し資金」
「ずっと先って言ってなかったか」
「欲しいものはいっぱいあるし。物欲の塊だからね」
 化粧は武装だからとデパコスリップとアイシャドウ、快適な睡眠の為の枕──ちょうどここの枕がベストなので同じもの見つけたら買いたいものだ──やJのマークが特徴のブランドのミニショルダー、マッサージも行きたいし、漫画や映画の大人買いもしたい。以前要求した紅茶のブランドのカラトリーも可愛いし、お高いチョコレートだって食べたい。あれこれと列挙すると、透は半ば呆れた様子だったが、いつの間にか愉快そうに笑っていた。
 火を止め、耐熱ガラスのマグカップに紅茶を注ぐ。私の分を一口味見すると、じんわり広がる熱としっかりした甘さ。疲れた時用の砂糖マシマシミルクティーは大成功である。マグカップを二つ持って透の隣に三角座りし、一つを差し出す。
「ミルクティー、飲む?」
「うん」
 タオルを離して顔を起こし、私の手からマグカップを受け取る。しかしカップに口をつけることはなく、じいとこちらを向いた。
「桜ちゃん」
「何?」
「言っておきたいことがあるんだ。……というか、何度も言おうとは思ってたんだけど。少し、仕事も慌ただしくなりそうだから、早い方がいいと思ってな」
「もったいぶるなあ、透」
 苦笑いして両手で自分のカップを持つ。
「透じゃない」
 意味がよく分からなくて、ぱちくりと瞬きをする。
「僕を透と呼ぶのをやめてくれないか」
「うん? じゃあ、なんて呼べばいいの?」
 どういう風の吹き回しだろう。仕事がどう関係あるんだ。名前を名乗らなかったのは透で、だから付けた名称なのに。
「れい」
 与えられた二文字を口の中で呟く。レイ、REI、玲、麗。
「降谷零……それが僕の名前だよ」
 クリアな音が耳に届く。サアと靄が晴れ、ぽかんと彼を見つめた。カップの中と同じミルクティー色の少し癖のある髪、吸い込まれそうなサファイアのような瞳、とんでもなく整った顔立ちが見慣れた胴体の上に鎮座していた。
「おい、なんとか言えよ」
「零、ね」
 相手を認識すると、顔が分かるようになるのか。彼は私の名前を知らないから、まだ靄がかかってるのか。認識がポイント。やっぱり私の勘は冴えているらしい。
「どうした?」
「別に」
 ふいと視線を逸らす。いやいやいやいやいや、理解が追いつかない。完全にパニックだ。二年前に安室の女を量産した百億の男だなんだと騒がれていたのはこの男ではなかっただろうか。間違いない、この容姿もこの声だ。ジャンル違いではあったものの、テレビ放送の際にその映画を観たぞ。
「あっま! なんだこれ」
 目を回しそうになっていると、ミルクティーに口をつけた彼が驚嘆の声をあげて軽く噎せた。
「どれだけ砂糖入れたんだよ」
「……いっぱい?」
「僕は蟻か!?」
「元気出るじゃん、甘いもの……と、あ、……零は甘いものだめだったっけ」
「程度ってもんがあるだろ」
「おいしいのに……」
 ずずと自分の分を啜る私を、珍妙な物を見る目で見下ろす。
「いつもこんなん飲んでるのか?」
「まさか、いつもはもう少し控えめだよ」
「ホー?」
「……疲れた時とか、落ち込んだ時、は、いつもこれだけど」
 視線の圧に屈して気まずさに目を逸らす。お気に召さなかったらしい。百億の男にあげるもんじゃなかったか。うん、さすがにお姉さんいたたまれないよ。なんだこれ、どういう展開だよ。聞いてない、聞いてないよ神様! 部屋の主! ふざけんな!!
「要らないなら飲むな。私好みなんだから私が飲む」
「誰が要らないなんて言ったんだ」
 そう言って、彼はごくごくとゲロ甘ミルクティーを一気に半分摂取した。
「いや、無理すんなよ」
「ここで僕が無理すると思ってるのか」
「思ってないけど」
「とりあえず、桜が甘党だってことはよく分かった」
 そう言って、彼はあどけない笑みを私に見せた。顔がいいので破壊力は尋常じゃない。けれどそれ以上に苦しかった。
 君は本当に、遠い世界の人間だったんだね。彼は名乗った。私は名乗らなかった。その時から、彼は桜、と私を呼ぶようになった。

 ミルクティーを飲み終えても私の動揺は止まらないので、早々にこの部屋から脱出することとした。彼に背を向けて布団に潜り込んだのに、背後にぴとりと元靄男がくっついてくるもんだから、妙にいい匂いがして、なかなか寝付けなかった。

***

 部屋で目を覚ますとがばりと勢いよく起き上がった。疲労はたっぷり残っているがスマホに手を伸ばし、ごめん、と心の中て謝って彼に纏わる全ての書籍を購入した。
「読むかは別問題、別問題っと」
 言い訳がましいな。

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