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▼ 三つのルール

2021/8/21「うたかたの夢幻」展示短編
「東都同棲戦争」の後日談もしれないただの日常切り取り

***

 八月も下旬に差し掛かった頃、ようやく新生活が落ち着いてきた。WSGの一件で休暇は中止となり、零も私も慌ただしい仕事三昧の日々を過ごしていたからだ。その後もトラブルが重なり、盆真っ只中まで当然のように連勤。
 その結果、零とはろくに会話もしていない──どこからかそういった情報が流出したようで、新婚夫婦を気遣った上司が少しばかりの連休を調整してくれたのだ。つまり言いたいかと言うと、そう、私は休日を獲得したのである。
「ただいまー!」
 上機嫌に帰宅すると、部屋の電気がついていた。零も家にいるらしい。くん、と嗅ぐといい匂いがする。料理中かな、と考えながら廊下を抜ける。特に連絡は入っていなかったから、自分の分だけかも。それともちょっと多めに作ってくれている日かな。時々冷蔵庫におかずがちょびっと入ってるんだよね。私への朝飯をちゃんと食べろというメッセージなのだろう、と解釈してありがたく頂戴している。
「おかえり」
「ただいま、零」
 キッチンに立つ部屋着姿の零に声をかけた。案の定料理中だ。
「腹減ってるか? もうすぐできるんだが、食うか?」
「空いてるけど……いるなら一言連絡くれればいいのに──あ、ハロもただいま」
 今や随分懐いてくれた愛犬は、元気に鳴いて擦り寄ってきた。よしよしと屈んで撫でてやる。
「そっちもずっと忙しそうだったから。今日は何買ってきたんだ?」
 苦笑いし、私の手にあるビニール袋を一瞬見て尋ねてきた。
「トマトとモッツァレラチーズと桃と明日の朝ごはん用のガーリックウインナーとロマネスコと牛乳」
「どういう組み合わせだ」
「明日から二連休もらっちゃって、浮かれてる」
 にっこり笑うと、驚いたように目を瞬かせ、零も笑った。
「連休なんて復帰以来初じゃなかったか?」
「よく覚えてるね。先月買ったロゼワイン、結局飲めなかったから飲もうと思って」
「それでカプレーゼか。桃は?」
 溶き卵を入れて鍋をかき回す零の後ろを過ぎて、買ったものを冷蔵庫に入れていく。
「モッツァレラ手に取った時に、桃モッツァレラやりたかったの思い出した」
「おい、トマトはどうする気だ……」
「ブルスケッタにしよ──あれ、バゲットがない」
 昨夜はあったと記憶しているスペースには何も置かれていなかった。
「今朝僕が食べたな」
「……まあ名前書いてなかったし」
 最近できたうちのルールその一は「自分で食べたいものや使いたい食材には名前を書くこと」だ。書いていないものはどちらが食べてもいいし、どちらが使ってもいい。今回は書いていなかったので、文句は言えない。
「ちなみに今日のメニューは? 青椒肉絲、と、かき玉汁?」
 零の手元に視線を送って尋ねる。
「サラダとレタスの中華スープ」
「サラダに乗せる?」
「もやしと人参の春雨サラダだが」
「なんか違うな……買ってくるもの間違えたかな」
 中華と共存は果たして良いのだろうか。
「飯食ってから、つまみにして一緒に晩酌しないか?」
「そうだね」
「トマトはどうする? 今? 後?」
「何が作れるかな。スープもうできちゃったもんね」
 閉じたばかりの冷蔵庫を開き、覗き込む。
「ナムルにするか……ピクルスか」
「餃子の皮が残ってるよ。一口ピザは?」
「作っても構わんが、チーズがかぶるがいいのか?」
「フレッシュチーズとプロセスチーズは別物じゃない? あ、一昨日食べた焼売、おいしかった。言ってなかったね」
「そりゃ良かった」
「あとは──冷凍庫に生ハムがある。生ハムとトマトのカルパッチョとかどう?」
「了解。任せろ」
 作ってくれるらしく、内心ガッツポーズした。完全に餌付けされているなあと思いつつ、生ハムを冷蔵解凍開始する。
「ありがとう」
「僕が作る方が早くて美味いからな」
「それは言わなくていい。零、明日の仕事は?」
「早くないから大丈夫だ」
「そっか」
 さて私は何をしようか。共働きなのだが、この所家事が少し零に負担が偏りすぎだ。──好きでやってる、と返ってくるだけだけど。花瓶の水は真っ先に入れ替えた。床掃除はお掃除ロボット。最初は分けていた洗濯も、今は一緒にドラム式洗濯機任せ。畳むのは基本的に各自。ハロは元々零のペットだから担当は基本零。ゴミ出しは比較的規則的な社畜の私の担当だ。明日くらいに水まわりでも綺麗にしようかな、と決意した。

 食卓に並んだ絶品中華をぺろりと平らげ、その後は食洗機に食器を突っ込む。一緒にお風呂に入って、髪を洗ってマッサージしてあげた。丁寧だと至極意外そうに言われたので肩をどつくと、お風呂上がりには髪をブローしてくれた。
 冷蔵庫から取り出した桃とモッツァレラチーズ、トマト、生ハム。オリーブオイルなどの中にしれっと大葉なんてものを用意してくるのがいかにも日本大好き零らしい。
「バジルとかルッコラとかじゃないんだ。セルフィーユとかディルを出してきても驚かないよ」
「大葉──しそだってハーブの一種だろう。みつばの方がよかったか?」
「バジルとバルサミコ酢かなってイメージしてた」
「大葉と穀物酢だ」
 今日も好みが一致しない。食べれば美味しいだなんだと言うけれど、そこに至るまでに揉めなかったことの方が少ない気さえする。
「晩御飯は中華、晩酌は洋風の流れじゃんか。桃モッツァレラにも白ワインビネガーとか使いたいし」
「そんな流れは知らない。レモンの皮をすりおろす」
「やるか?」
「よし」
 二人して腕まくりし、向かい合う。
「最初はグー」
「ジャンケンポン!」
「よしっ、大葉と穀物酢だな」と零がガッツポーズをする。
「桃モッツァレラには白ワインビネガーね」
「はいはい。待ってろ。すぐだ」
 我が家の新ルールその二は「偶数個の議題が平行線の時はジャンケンで買った方が議題を選び、その決定権を得る」である。これでかなりの無意味な言い争いが減った。ジャンケンは偉大だ。減っただけで、ゼロには到底なりそうもないんだけれど。
「じゃあ私はワインを用意しようかな」
「冷蔵庫から出すだけじゃないか」
 トマトを洗いながら零が呆れた。
「先に食器片付けてからだからね」
「ん」
 ちゃかちゃか食器を片付けて、リビングのローテーブルを綺麗に拭いた。ワインのボトルとワイングラスを持って行き、じゃれてきたハロと戯れる。
「できたぞ」
「ありが──待って、なんかかかってる」
「半分は山椒をかけてみたんだ」
「話が違う!」
 声を荒らげた私に、ハロがびくりと体を揺らした。ごめんねと頭を撫でつつ、零を睨み上げる。
「白ワインビネガーは使ったぞ」
「なにその屁理屈。喧嘩売ってんの?」
「うまいからいいだろ? ワインあけるぞ」
 零が作るんだから、そこは疑っていないというのに。溜息をついて、勝手にグラスに注いでいく零の隣に座った。チン、と二つのグラスが重なる瞬間だけは静かだった。並んでワインを呷り、生ハムとトマトのカルパッチョ、そして念願の桃モッツァレラをつまむ。おいしい、お酒に合うとつい食べすぎて、飲みすぎてしまう。それもこれも、次々グラスに注いでくれる隣の男のせいだ。
「顔赤いな」
「はは、そうかも。ボトル半分くらい私があけちゃった?」
「もっとだろ」
「そうかも」
 笑った私の肩が引き寄せられた。そのままこてりと頭を零の肩に預ける。
「どうしたの?」
「なんとなく。それとも理由がなくちゃいけないのか?」
「悪いとは言ってないよ。ただ、お酒飲みにくいだけで」
「この状況から更に飲もうとするのか……」
「久々の気楽なお酒なんだから、ゆっくり味わうよ」
「はいはい」
 諦めたように肩が解放され、私は直ぐにワイングラスに手を伸ばし、身体に流し込む。
「言ってた仕事、やっと終わったんだろ?」
「うん」
「頑張ったんだろ」
「そのご褒美、で今日は優し……くはないな。全然譲ってくれなかったな」
「おいしいって喜んでたじゃないか」とくすくす笑う。
「それはそれ」
「じゃあ優しさアピール……朝飯作っておくよ」
「作ってくれるなら一緒に食べるよ。何時?」
「七時半に起こしてもいいのか?」
「零くーん? 背徳の晩酌してる今の時間は?」
「一時半」
「そうだね。今すぐベッドに行こうか!」
「お誘いか」
「違う。寝ろ」
 すくっと立ち上がり、零を寝室に追い立てる。存外素直に従った男にほっとしつつ、食器を下げてからベッドに向かった。

「おやすみ、零」
「おやすみ」
 ルールその三、「同じ布団で寝ること」を実行し、今日も一日を終えるのだった。

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