Short | ナノ


▼ 警察官だと思ってたら犯罪者だった話。それから、

 私には最高の彼氏がいる、と思っていた。さっきまでは。正義感が強くて、強くて頼りになって、それでいて料理も上手くて、それから顔もいいという役満だ。金髪に青い目と浅黒い肌は日本人離れしているか、彼の心は誰よりも日本人であることを私は知っている。
 彼を知ったのは大学生の時だ。大学の同級生で、それでいて有名人。学部の違う私はイケメン好きの友人の話しでただ一方的に知っていただけだったのだけれど、学祭の人混みでぶつかってしまって飲み物をかけられるという事故が起きた。気温も高く近くに下宿していたこともあり、彼の謝罪を固辞し、いいイケメンは無罪と人混みに紛れた。半月後に彼氏がいるにも関わらず無理矢理人数合わせで巻き込まれた合コンで再会し、連絡先を交換。友人として細々とメールして、大学卒業後彼氏と別れてからは時々二人でのみにいくようにもなっていたのだが、彼の警察学校卒業からぱたりと連絡が途絶えた。それから四年後、飲み会帰りに誰かに追われていた彼と再会し、トレンチコートを被せて匿い怪我を手当したのを期に再び友人になれたと思っていたら三ヶ月後には恋人になり、忙しく会えないことを理由に一年後には同棲が始まっていた。もう同棲して二年ほど経つが、未だに理解が追いつかない。
 守秘義務があるという彼が、おそらく公安の潜入捜査官であることは予想がついている。そうでもなければ偽名で過ごしている警官はなかなかいない。家のセキュリティもやたらに高い。同棲しているからと言って毎日会えるなど幻想で、週に五日会えたかと思えば数日はおろか数週間帰ってこないことだってある。彼が正義の人だと知っていたから、それでも支えたいと思ったし、その通りに過ごしてきた。完璧な彼氏ではないが完璧な人である彼に見合うよう、脇目もふらず頑張ってきたつもりだった。



 再度目の前で起きたことをゆっくりと反芻する。彼と再会したのもこんな飲み会終わりだったなと頭が現実逃避する。見間違いであって欲しいが、あんな顔面偏差値の高いそっくりさん居てたまるか。彼が、小学生くらいの眼鏡の少年を連れてラブホに入る決定的な瞬間を見てしまった。事案じゃん。え、嘘だろ。呆然として数秒どころか十分は立ち尽くしてしまったが、二人は出てこなかった。目に焼き付いた少年の膝小僧が眩しい。
 ──うっそ、まじかよ受付仕事して?
「そうきたかあ」と溜息が零れる。
 あんないい人、世の女が放っておくわけないとは思っていたし、仕事の関係で他の女と二人っきりなんてことも覚悟していた。彼には絶対に言わないが、浮気にも怯えていた。でもこれは予想外だった。ショタの性癖があっただなんて。

 帰り道、彼に電話をしたが当然のように繋がらなかった。そして今日も彼は帰ってこなかった。
 朝になって、やっと通報出来なかったことに気が周り、自分を恥じた。助けれなくて本当に済まない見知らぬ少年。
 自分も彼も信じられなくなって、今の生活が足元から崩れていくのを感じた。いや、誤解の可能性もある。きっと思いの外酔っていて、それで一週間以上彼に会えてなくて、幻をみたのかもしれない。そうだそうに違いない。──それでも、彼の動向を探らなければならないという責任感が生まれた。



「ただいま」
 あれから三日経って、彼が帰ってきた。とはいえ午前様だ。本当に彼の上司は過労死でもさせる気なのだろうかと度々疑ってしまう。
「おかえり、零」
 リビングのソファから立ち上がってかけより、彼の鞄とスーツの上着を受け取る。
「遅くなるって言っただろ、待ってなくてよかったんだぞ」
 ああネクタイ緩める姿も美しい。だからって犯罪は犯罪、あの時と違ってイケメン無罪にはならないんだからな?
「私明日休みなんだ。有給とっちゃったー」
 えへへと笑ってみせる。
「珍しいな、どうした?」
「仕事一区切りついて休めそうだったから、特に意味は無いよ。有給どうせ使い切れないから使っとこうかと」
「ふーん。なあ、この前の電話本当はなんだったんだ?」
「なんでもないって言ったじゃん、気にしないで。むしろ忙しいのにごめん。怒った?」
「全然」
「今日もまだお仕事あるの? あ、夜食いる? 残り物だけどあっためようか?」
「──いや、ない。いい。シャワー浴びてくる」
「はいはーい、いてらしゃ!」
 明るく彼を見送る。現時点怪しまれてはいないようだ。有給消化? 彼に合わせて無理矢理もぎ取りましたけど?
 スーツと鞄を彼の部屋に運ぶ。スーツのポケットでスマホが震え始めた。普段なら決してしないことだがつい覗いてしまう。安室透のスマホだ。こんな時間に着信だなんて。
「江戸川、コナン?」
 いやめっちゃキラキラネーム。若い子じゃん。まさかとは思うがこの子が被害者なのだろうか。名前を頭に叩き込んで、スマホをそっと戻した。家出少年かなあ。
 どうにも落ち着かなくて、お湯を沸かして梅昆布茶をいれてソファに戻り、座って深呼吸をする。つきっぱなしのテレビの内容はさっぱり頭に入ってこない。髪が濡れたまま、上裸の彼が浴室から出てきて、僕もと言うのでお揃いのマグカップを出してお湯を沸かしなおす。
「頭乾かしてからですよ、れーくん」
 指さしておどけてみせて、スラックスを回収。今日もいい彼女に務めて彼のストレスを少しでも減らさなければと体が動く。
「分かってる──なあ、明日の午前は休みなんだ」
 すれ違い様に彼が耳元で甘い声を出す。
 それはまた、珍しい。恒であればそのお誘いの言葉に乗るのだが、今回ばかりは気が進まない。かと言って断るべくもない。どうしたものか。
 彼は髪を乾かしてマグカップを取ると、部屋に入る。開けっ放しのドアから彼がスマホを手にするのが見えた。驚いた表情まで見えたがドアを閉じられ、まもなくドア越しにくぐもった声が聞こえた。
 ドアが開いた時、彼は部屋着ではない服を着ていて、ごめん急に仕事が入ったと言い捨てて家を飛び出していった。彼の部屋の机に残されたマグカップを回収して中身を流しに捨てる。
「ゆっくり話したかったのになあ」
 その日も彼は帰ってこなかった。



 次に会えたのはなんと十日後のことで、その日は謝罪もそこそこで録に会話も出来ず、ただ抱き潰された。行為中、何度か少年のことが頭を過ぎった。少年にはない魅力を、と押し倒されてすぐに攻めを買ってでて彼の物を不慣れながらに愛撫し、教えられながら舐った。けれどそれで僕を攻めるつもりだったのかと結局は組み敷かれてぐちゃぐちゃにされてしまった。何度目かの欲を薄膜越しに吐き出し、私を抱きしめて彼は眠りにつく。
 腕に生まれていた切り傷をそっと一撫してゆっくりと目を閉じた。どうしてか自然と涙が溢れ、かと言って折角眠ってくれた彼が起きそうで寝返りも打てず、頭を彼の厚い胸板にそっと押し付けて見せられない顔を隠した。



 その日は数ヶ月ぶりに彼が先に帰っていて、料理だけでなくケーキを焼いているところだった。喫茶店の方で、振る舞うと約束した相手がいて、折角だから美味しいと驚かせてやりたいのだとレモンタルトを作る彼は笑った。夕食の角煮と具沢山の味噌汁、それからお浸しがいつも通り私が作るよりも美味しくて、絶賛すると共になんだか憎らしくなった。レモンタルトも文句なしで有名店かと見紛う出来栄えで、私はどう足掻いても彼には何も勝てないのだと思うと少し味気なく感じた。私は充分だと思ったが今回に限って彼は満足していない様で、その週は彼が帰る度にレモンタルトを食べて感想を言う派目になった。
 次の週末、来ては行けないと言われていた「彼」の働く喫茶店の前を友人と共に通りかかってしまい、いけないと思いながらつい除き見てしまう。記憶よりもデコレーションの凝ったそれにクリームを添えて少年に振る舞う笑顔の彼の姿を窓越しに見つけた。本当に、間が悪い。その日は動揺してイラついて、散財でストレス発散と友人と化粧品を買った。いつもは使わないカラーのアイシャドウと、新しいリップ、それとグロスが戦利品だ。このままじゃいけない、変わらなければならないと思った。



 かっ飛ばすRX−7の助手席にあの少年が乗っていた。



「あ、風見さん。お疲れ様です」
「降谷さんの──お疲れ様です」
 ばったり飲食店の入口で頬を怪我した彼の部下に出くわした。知り合いかと込み合った店内で気づけば相席として向かい合っていた。
「最近どうですか?」
「どう、というのは」
 その問いに眉を顰めて答えあぐねる。しまった、いくらなんでも抽象的過ぎた。
「あの人、相変わらず忙しそうだしどうしてるのかなと思いまして」
「お元気ですよ」
 他愛のない話をぽつりぽつりと交わす。彼は相変わらず、風見さんに時々料理を押し付けているようだ。帰れない彼の代わりに服などを預けたり、何かとお世話になっている。そういえば去年彼が意識不明となった時も連絡をくれたのは風見さんだった。緊急連絡先として私の電話番号が登録されていたことにも驚いたっけ、と懐古する。
「──レモンタルトは、召し上がりました?」
 にやりといたずらっぽい笑顔を向ける。彼が余ったタルトを職場に持って行っていたのは知っている。そうなると風見さんが食べていない筈はない。
「あなたもレモンタルトの一週間を?」
「はい。最近のあの人、喫茶店に夢中みたいで」
「コナ──いえ、恐ろしく頭の切れる少年がいるんですよ」
「ふふ、なるほど。あの人はその子にご執心なんですね」
 精一杯の笑顔を作った。彼は一体どんな手を使って少年をだまくらかしたのやら。風見さんが彼の小児性愛知ったら卒倒するだろうなあ。
「そのようです」
 詳しく聞きたいところだが、つついて彼に報告がいっても困るので雑談のひとつとして打ち切り、話題を変える。
 あれ、待って。もしかして私じゃなくてあっちが本命なんじゃない? ただの犯罪じゃんか、零。馬鹿だなあ。年齢と性別と偽りの身分に名前、何もかもが障害だというのにそれを乗り越えて結ばれてしまったのなら、もし真に合意なら、私にはどうしようもないじゃんか。もしそうだったら、身を引く。それから、きっと風見さんに頼ることになるだろう。もし違ったら即通報だ。仕事柄まずい? 知らん反省しろ。
「──さん?」
 風見さんに呼ばれて自分が思考の海に沈んでいたことに気づいた。
「す、すみません。ぼーっとしてました。大丈夫です」
「そうですか」
「そういえば連絡先知らなかったですね。お聞きしてもいいですか? またお世話になるかと思いますし」
 私が言うと彼は瞠目し、その動揺を誤魔化すようにずれてもいない眼鏡を押し上げた。それから一呼吸つく。そんなに変なことを言ったつもりはなかったんだが。仕事的にまずかったかな。それともシンプルに上司の恋人と親しくすることで今以上にパシられるのを危惧したか。
 やっぱいいです、忘れてくださいと言おうとした所で構いませんよ、と彼は言った。本当にいい人だなあ。苦労かける済まない。有言実行する予定なんだ。



 ソファでうたた寝していたら、ふわりと気配がして目が覚めた。
「悪い、起こしたか?」
 ブランケットをかけてくれたらしい。
「んーん、ありがと。おかえり」
「ただいま」
 今日は私服だから、喫茶店の方の仕事だったみたいだ。
「喉乾いちゃった。零もなんか飲む?」
「紅茶」
「おっけー、待ってて」
 彼用のストレートティーと、私用の甘いミルクティーをいれてソファに並んで座る。彼はニュースを真剣な顔で見ている。仕事モードに入ったらしい。今日もまともに話すのは難しそうだ。
 こんなのばかりだと拗ねる自分が惨めに思えた。最初は沢山降ってきたキスも、今は体を重ねる時くらい。一体いつからこんなふうになったんだろう。アラサーと呼ばれる年になって、結婚に対する周囲の圧力が強まってきた。正直なところ結婚そのものに魅力はそこまで感じていないのだけれど、子供は欲しい。そのためには結婚が必要だ。だから捨てるならさっさと捨ててほしい。そうしたら次にいける。……やっぱり、拗ねているだけだ。彼よりいい人なんて、そうそう出会えるもんじゃない。
 そんなことより、少年の方だ。幻かと疑った少年は実在した。つまり、そういうことだ。現実を受け入れないと。
 ごめんね、でも私が愛した彼がそんな犯罪者だなんて認めたくなかったよ。知りたくなかったよ。
 彼の横顔は今日も美しい。



 あの少年は、キッドキラーで探偵らしい。



 彼は忙しい癖に、イベント事が好きらしい。どんなに忙しくても、誕生日やクリスマス、記念日には必ず当日のメッセージやプレゼントを欠かさない人だった。
「もうすぐ三年だろう。店を予約した」
 ご飯と味噌汁、鮭とだし巻き卵ときんぴら。完璧とも言える朝食を向かい合って黙々ととっていたら、彼が口を開いた。てっきりニュースに集中していると思っていたので不意をつかれた。
 咄嗟に返事ができなかった私を見て首を傾げる。
「どうした? 休日だし構わないだろ?」
「ご、ごめん。びっくりしただけ。最近忙しそうだったし。
 久々のデート楽しみにしてる。ゆっくり話せるかな」
「ああ」
 その日、彼は来なかった。日付を跨いだ頃に漸く、仕事でしばらく帰れなくなったと謝る簡易なメッセージが届いた。タクシーを捕まえようと駅に戻る道すがら、酔っぱらいにぶつかられたかと思えば逆ギレされて暴力を振るわれた。腕の骨にヒビが入った。散々だ。
 怪我が治っても彼は帰ってこなかった。



 クリスマスにも彼からなんの連絡もなかった。私の送ったメッセージに既読もつかない。



 仕事帰りにサッカーをする少年を見かけた。目一杯の笑顔で、彼は不幸なんかじゃないのだと思えた。その公園でコーヒー缶片手に聞き耳をたてていたら、安室という名前が聞こえた。彼らは笑顔だった。風見さんに相談したいことがあるとメールを送った。
 その日、荷物をまとめてウィークリーマンションに移った。



「お忙しいのに呼び出してしまってすみません。風見さん、折り入ってお願いがあるんです」
 会うなり頭を下げた私に彼は慌てて顔を上げるよういい、それからコーヒーを注文した。
「それで、話というのは」
 コーヒーカップをじっとみつめる私に問いかける。
「あの人にこれ以上罪を犯さないよう諭していただけませんか」
「罪、ですか」
「本当は通報するべきなんですが、彼の仕事柄憚られたので風見さんにお願いしたいんです」
「何を知られたのかは分かりませんが、降谷さんは──」
「江戸川コナン」
 声を荒らげる風見さんは、その名前を聞くとぴたりと止まった。なんだ、知ってたんじゃないか。風見さんは咳払いをひとつする。
「無理難題を頼んで本当にすみません。でも、あなたしかいないんです。あの少年が無事に大人になれるように。きちんと守ってあげて欲しいんです。言いづらいとは思いますが、ちゃんと待つよう諭してあげてください。私にはもう、耐えられないんです。
 たとえ強要した関係じゃなくても、だからって許されるもんじゃないんです。未成年で、まだほんの子供を相手に──」
 その先は言葉にならず、ぐっと下唇を噛む。
「今の仕事が落ち着いてからでもいいんです」
 努めてゆっくり話す。
「ああでも、私が言ったって知ったら彼は変に取り繕って明後日の方向に行くから、できれば知らない体で、なんてのはわがままですよね。
 言ってもまだ罪を犯すならしょっぴいてやってください、なんてね。ごめんなさい、お時間取らせて。誰かに言っておきたかっただけなんです」
 話すうちにどんどん惨めな思いがしてきて、未練タラタラな自分が疎ましく思えた。居た堪れなくて逃げ出しかけた私の腕を風見さんが掴む。
「分かりました」
「え」
「成果の程はお約束できませんが、精一杯説得してみますよ」
 そう付け加える真摯さ。本当にいい人だなあ。
 別れ際に風見さんが呟いた、あの少年に頼りすぎていたのかもしれないとはどういう意味だったんだろう。いや、私の仕事は終わったんだからもうよそう。



 あれから一ヶ月が経って、彼から着信がきた。もぬけの殻になったマンションを見たのか、それとも風見さんが説得に失敗したか。電源を押して着信を知らせるバイブを消す。
 彼からのメッセージが重なる。ごめん、会いたい、話をさせてくれ、電話に出て、返事をくれ。小児性愛のカミングアウト聞けって? 今更なんだ、全部無視だ無視。勝手に私の知らないところで合法的に幸せになってろばーか!
 日に日に着信とメッセージは増えていく。ストーカーかよ。どうせ休みじゃないんだろ仕事しろよ、仕事。それでも着信拒否できないあたり、未練がましくて嫌になる。
 さらに一週間経つと、昼休みに風見さんからメールが届いた。
 降谷さんと直接話し合ってみてはどうですか。要約するとそういう内容だった。年下上司に負けたのか、知ってた。無理難題頼んでまじごめん。もういい戻れ。ところで文末の気をつけてくださいってどゆこと? 何に?
「お気遣い、ありがとうございます、っと。送信!」
 くたくたで帰宅してから風見さんに雑に返信して、スマホを枕元に放って布団に倒れ込んだ。今日も疲れた。ああでもそろそろちゃんとしたところに引越ししないとな。
 ピンポン、とベルが鳴る。宅急便かな。何か頼んでたっけ。
「はーい、今開けまー、す」
 瞬間、視界を覆うミルクティーカラー。
「心臓が止まるかと思った」
 あなたのハグが強すぎて私は現在進行形で呼吸が止まりそうですけど。
「帰ったら、真っ暗で。荷物がなくて、カギだけテーブルに残ってて」
 浮気男が何を言う。本命を隠す傘が無くなって困るって?
「巻き込むのが怖くて、連絡を絶ってた。不安だったよな。ごめん」
 そういう頓珍漢な謝罪が聞きたいんじゃない。別に今更、そんなことくらい予想の範囲内なんだよ。馬鹿。
「なあ、戻ってきてくれないか?」
 なんでそんなこと言うかなあ。そんなに。
「そんなに、私が可哀想?」
 降谷零の体が強ばる。隙をついて全力で腕を振りほどいて脱出し、距離をとった。
「私はあなたがいなくたって生きていける。1人でいい」
 ──あなたがいないのなら。
「だから、帰って」
 ──本命のところに。哀れみは要らない。
「もう姿を見せないで」
 ──このうざったい未練を断ち切らせて。
 降谷零が呆然としている。この隙にとドアを開けて追い返そうと手を伸ばすがビクともしない。しまった相手はゴリラだった。
「他に、好きなやつができたんじゃないのか」
「はあ?」
「君のことだから、不義理をしないのは分かってた。だからその前に出ていったんだとばかり、」
「しばくぞ」
 心の声が漏れ、ここ数年取り繕っていたいい彼女の皮がどんどん破れていく。
「もういいから。早く帰ってよ本命のとこでもなんでも」
 一ミリも動かない降谷零に苛立ち、その腕をぱしりと引っ叩く。堪えた様子がないのが益々腹ただしい。
「ちょっと待て何の話だ」
「風見さんからも言われたでしょ」
「なんのことかさっぱり分からないんだが──僕が? 確かに仕事で女性と二人になることはあったが、それは決して浮気じゃない。信じてくれ」
「なんで誤魔化そうとするの! いい加減にしてよ!」
「誤魔化してなんか──」
「本命は、江戸川コナンでしょうが!!」
「は?」
「風見さんにお願いした! あなたのその小児性愛から来る罪をこれ以上犯さないよう諭して欲しいって! ええ、お願いしたわよ! 知ってるんでしょ!!」
「はあ? ちょっと落ち着け」
「落ち着けって何を今更! 遅いのよ! 零の気持ちが離れていくのは気づいてた! あの少年が本命だって分かった! なのになんで今更来るの。帰って。帰ってよ!!」
 怒鳴りつけながら、哀しみと怒りと未練と恋心と、色んな感情が混ざって涙が溢れる。失恋の傷が癒える前に抉りに来るなんて本当に最悪だ。
「ショタコン! 馬鹿!」
 なおも罵倒し叫ぼうとする私の口が無理矢理手で覆われる。ゴリラこの野郎! 今のお前の壁ドンにときめきなどない!
「君は、勘違いを、している。どうしてそうなったか分からないが──僕には、君だけだ」
 精一杯睨みつけ、目で反抗する。
「好きなのは君だけなんだ。──好きだ好きだ大好きだ、愛してる」
 なんで今更そういうこと言うかなあ。揺らいじゃうでしょうが。
「だから、教えて。知りたいんだ。なんでそう思ったの」
 目を逸らせない。彼の手が緩む。
「らぶほにはいるの、みた。キスしてくれなく、なった。わたしはあの子のためのレモンタルトのあじみがかりだった。あの子が絡むと、あなたは笑ってて、はじめてみたのは、」
 時系列も流れもぐちゃぐちゃだ。それでも彼は相槌をうちながら最後まで聞いてくれた。

 それからは怒涛の切り返しである。
「つまり。ラブホに入ったのは逃げ込んだ犯人を追っていたからで、零の不注意で怪我をしたコナンくんへのお詫びがレモンタルトで、風見さんとの話は子供を事件に巻き込む是非の話、ってこと?」
「そうだ」
「勘違い……?」
 まじか。めちゃめちゃ恥ずかしくない? 独り相撲もいいとこだ。
「そうだ。だからお願いだ、帰ってきて。あの家に1人は堪える」
「……勘違いして、焦って突っ走って、ごめんなさい」
「ん、」
 彼が私の顔中にキスの雨を降らす。最後に唇に触れる。
「零、帰ろう」



 久しぶりに彼の車に乗った。運転しながら、彼は今までのすれ違いを埋めるように話した。
「焦ってたのは、僕だ。君に我慢させてばかりなのは分かってた。頑張ってくれてるのは知っていた。
 最近、化粧とか──夜の雰囲気も変わって、ますます魅力的になっていくから、失うのが今まで以上に怖くなった。今回の事件は規模が大きくて、ここ半年程は巻き込まれる可能性が高くなっていた。絶対に守るって、言えなかった。時々風見をつけたりして、遠ざけた」
「会って笑顔を見たら離れづらくなるから、いつも寝ている君にキスしていた。自惚れみたいだが、君は国のために働く僕のことが好きだと分かっていた。自分のためにも君のためにも、誰の為にも半端は絶対に許されない。だから何よりも大切な君だけを見ていることはできないのに、目が離せなくなりそうで恐ろしかった。それなのに君に甘えていた」
「君はいつもちゃんと挨拶をする人だ。それがすごく好きなんだ。帰ってドアを開けたら部屋が真っ暗で、君の声が聞けなくて、本当に堪えたんだ。でも、君にとってはそれが日常だったんだよな。僕がそうさせてたんだって今更気づいたよ。本当にごめん。
 帰ったら、話をしてくれないか。一緒に居れなかった時の話。君が何を見て何を思ったか、知りたい」



 一ヶ月ぶりの我が家だ。ただいまと言いながら零より一歩先に入って振り返る。
「おかえり、零」
「……ただいま」

***

警察官だと思ってたら犯罪者だった話。それから、勘違いだった話。

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