(全ての人間を平等に愛す)
今日も頭の中で繰り返す。
(客の前では笑顔を絶やさないこと)
水揚げをしてから続けている習慣。
(心まで捧げはしないもの)
一線を越えぬ為の自分への戒め。


静かな音と共に、襖が開く。申し訳程度の薄明かりが漏れて、来訪者の風貌を照らした。
すらりと伸びる長い手足に着流しの隙間から見える肌のきめ細やかさ、そして何よりも目を引く金色の髪の毛――…聞いた通りの外見。幸運な事に今日の男は結構な色男だ。こういった場所に慣れて居ないのか襖を閉めてから畳の上に座り込むその様子は落ち着きが無く、何処か浮ついて見えた。俺は紫色に派手な花が描かれた女物の着物を正し、一礼。

「ようこそいらっしゃいました、貴方様の噂は常々聞いてたよ」

「噂って何だよ……って、御前…男…?」

声を聞いて丸くなる目前の双眸。何だ、本人は何も聞かされて居ないのか。

「君、随分と馬鹿力らしいじゃない。だから花魁や娼婦、遊女の相手はさせられないって俺の所に通された訳」

「は」

「だからといってがっかりはさせないよ?そこらの女よりも俺の方が上手い自信は在る」

「いや」

「色気だって他の女よりも在るでしょう?」

「まあ……在る、が」

そこで彼の視線が俺の爪先から腿、腹に胸元に鎖骨に顔とゆっくりと這い上がる。と同時にもどかしいような心地好いような感覚が背筋を走る。嗚呼、堪らない。

「じゃあ、……問題無いでしょう」

膝頭を畳について、視線以外は一切身動きを取らぬ身体の前に行って遣ると柔和な笑みを形作った唇をいまいち未だ状況が理解出来て居ない様子の彼の薄く綺麗なそれに重ねた。俺の後ろには皺一つ無い丁寧に敷かれた布団。うん、我ながら上出来なお誘い。
ゆっくりと唇を離して様子を窺うと、彼は頬を紅潮させて居た。

「……な、…何を……」

はて、俺は首を傾げる。こんな処に来たからには無論溜まった欲求を晴らすのが目的だろうに、この初な反応は何だろうか。

「何って、口づけ。まさか初めてしたとかじゃないよね?」

「………」

目線を逸らしている様子を見るとそのまさからしい。見た処俺と年齢はそう変わらない様なのに恐ろしい事も在るものだ。
羞恥に細かく震える肩の上を通過し、首へと腕を回す。そのまま体重を掛けて俺は体を後ろに、彼からすると前に倒した。まあ簡単に言うと俺の上に覆いかぶさらせてあげた。

「っ手前、何して……」

「仕方ないね、俺が筆おろししてあげよう」

「筆おろ…ッ!?」

着流しの間から手を差し入れて素肌に触れると彼の体温が急激に上昇した。突起を探ろうと掌を滑らせると物凄い勢いで手首を捕まれた。え、嘘。痛い痛い何これ痛い折れるかも知れない痛い。

「ふざけんな…っ俺は、そんな事する為に来た訳じゃ無ぇ…!」

「え。じゃあ、何する為に」

そこで室内の空気を震わせた間の抜けた一声。

にゃあ。

気が付けば襖と襖の隙間から黒猫が入り込んでこちらを見ていた。

「…こいつが、迷子みてぇだったから誰か何か知らねぇかと思って」

「え」

「聞きに来たら勝手にこんな所連れてこられて」

「………」

「…悪かったな、仕事の邪魔してよ」

「……ぶ、…あははっ」

心底困った様子で頬を掻くその仕草が、そんな彼を必死に誘った自分があまりにも間抜けで久方振りに大きな笑い声が込み上げた。すると俺を見た童貞君が小さくぼそりと。

「……何考えてんのか解らねぇ気色悪ぃ微笑みより、そっちのが全然好い」

だなんて言うものだから、益々笑って仕舞った。

「……まあ、俺は客じゃねぇしそろそろ帰る。悪かった」

「待って」

身体を起こして背を向ける彼を見ていたら考えるよりも前に唇が動いた。思っていたよりも必死な声音で、正直驚いた。

「俺、結構顔は広い方だから知り合いに聞いてみるよ。その猫の事」

「あ……有り難な」

僅かな困惑を孕みながらも口角の上昇と共に細くなった双眸に少し、ほんの少しだけ頬が上気するのが解った。

「俺の名前は折原臨也、情報収集しておくからまた来てくれる?」

「嗚呼、……俺は平和島静雄」

こくりと頭を縦に振ると緩慢な数歩の後、襖は呆気なく閉まり。室内は一気に静寂に包まれる。その沈黙を破るのは、俺一人。

「平和島、静雄………シズちゃん…」

唇から零れ落ちる言葉を何処か他人事のように聞きながらも、胸に何かが引っ掛かるような。

そんな気がした。



(心まで捧げはしないもの)


(だけど、でも)
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