突然抱き寄せられた事にジュードは驚き身を竦ませたが、抵抗はしてこない。
掻き抱くようながむしゃらな抱擁をそのまま受け入れている。これも嫌じゃないというのか。
胸が熱い。切なく満ちるこの熱さはジュードの言葉に応えたいと思っている。
それならばまず第一にジュードの多大なる誤解も解かなければならない。
「――俺だって、お前の事…嫌いなんかじゃない」
「嘘。だって、前にっ」
降ってきた言葉に腕の中で泣き声のままジュードは首を小さく横に振った。
「きらい、って言ってた…ッ、うそつき」
嘘吐き。その言葉が最も自分を端的に表す言葉に間違いは無い。
分かりきった事実だ。それなのにこの少年に言われるととても耳も心も痛い。
優等生ぶっているジュードが大嫌いだった――銃を向けてそう罵倒したことがあった。
何よりも忘れたいその記憶は残酷なまでに鮮明だった。それはジュードにとっても同じなのかもしれない。
「…あの時のお前は、お前自身を傷付けるものも何もかも、受け入れてたから」
ミラの死も、己を襲う死の脅威も、自分の裏切りも何もかも全て―――抗わず、受け入れて。
「だから俺の存在もな、お前にとっては仕方無く受け入れるしかないものの一つなんじゃないかって。だから余計苛々した」
「…っ、違う、だから違うって」
「分かってる。こんなに泣いて怒られちゃ、流石に分かるさ」
子供のように泣いて怒ったジュードの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。赤く腫らした目が痛々しい。これも自分が流させた涙なのだ。
片方の手のひらを小さな頭に後ろから包むように回す。
漆黒の髪はここまで走ったせいか乱れている。その頭を宥めるように撫でた。
「悪い。泣かせるつもりなんて無かった」
「…ばか、アルヴィンの大馬鹿」
「…そうだな、俺はどうしようもない馬鹿な奴だよ。―――でもな、」
こんな顔をさせてしまったのは紛れも無く自分が原因なのに、ジュードの涙を流す姿を見るのが辛くて仕方無かった。
だから走り去る背中を柄にもなく無我夢中で追いかけていたのだと、今更気付く。
もう信じろとは言わない――それでも。
「嫌いだったらここまで追いかけてこない。それだけは分かってくれ、な」
泣かせたくない人間を嫌いだと思うはずが無い。
信じてもらえないかもしれないから口には出さないが、自分だってまだジュードが好きだった。
少年に何度も苛立っていたというのに、この感情は未だ捨てきれない。そんな簡単に放棄出来るものではない。
「…っ」
ふいに腕の中でジュードが身じろいだかと思えば、震えた両腕が自分の背へと回って力一杯抱き締めてきた。
胸元へ顔を押し当てているせいでその表情は分からない。ただ、また泣いている、それだけは分かった。
「…何でまた泣くんだよ」
泣いてほしくないと言ってるのに。
濡れた頬に手を添えて少し上を向かせようとすれば、意外に抵抗も無くその顔は手に導かれてこちらへ向く。拭う事を諦めたせいで際限無く涙が溢れている。
だって、と涙声が唇の隙間から漏れた。
「…アルヴィンがずっと、僕を嫌いだと思ってたから。一緒に居たくないから…また一人でいるんだって」
「だからそれは誤解だって。俺はジュードが一緒に居たくないだろうから―――って…」
ジュードと目が合う。泣き腫らした目で、彼もまた目を丸くしていた。
自分の誤解のみならずジュードの誤解もが複雑に絡まり合って、こんな事態を招いてしまっていたのだ。
互いの誤解が本心を押し込んで素直な行動を妨げていた。それが更なる溝を形成し、悪循環していた。
本当は歩み寄りたかったはずなのに。少しでも一緒に過ごしてしたかったはずなのに。
いつから遠慮し合うようになったのだろう。そんなのはお互い望んでいなかったはずだ。
視線が絡まり合って何秒経ったのか――ジュードの涙でぐちゃぐちゃな顔が小さく綻んだ。それにつられて自分も表情が緩んでいた。
最後にこんな自然に笑いあったのは一体いつだっただろう。この一瞬の時間に幸福を感じた。
「俺はお前にこうやって我慢しないで笑ったり怒ったりして欲しい訳よ、分かるか青少年」
「うん…努力はするけど。でも僕だってアルヴィンが嘘ばっか言うのはもう嫌だよ」
「ん。じゃあお互いに約束だな」
もう仲間に嘘は吐かない。もう感情を押し殺して全てを受け入れたりしない。
二つの契りは指と指を絡めるこんな些細な行為で成立する。けれどこの約束は自分にとって傭兵契約なんかよりずっと尊く重みがある。
「アルヴィンのせいだからね。始めはあんなにべたべたしてきた癖に」
「うっせ。多感な時期の青少年が俺しか見えなくなったら可哀想だと思ったの」
「……そんなの遅すぎるよ」
俯き気味にジュードが零した言葉も、この距離では潮騒でも掻き消されない。
自らの発言に濡れた頬がみるみる紅潮していく。上目遣い気味にこちらを見、目が合った途端逸らされる。その愛おしい姿に、少年の背中に回す腕の力を強めていた。
「馬鹿、大人を煽んな」
「あ、煽ってなんか…!」
ジュードは途中から自ら抱擁してきたというのに、今は気恥ずかしさに逃げ出そうとしている。
勿論逃がす気は無い。旅を通して多少身体的にも成長したとはいえ小柄な身体は大人の両腕にすっぽり収まってしまう。
最後にこのように両腕いっぱいで細い身体を包んで抱き締めたのはいつだったか。
肩を組むよりずっと体温が近い。心地良い。この感覚すら記憶から薄れかけていた。
「――まだ好きだって思ってるのはお前の方だけだと思うなよ」
多分この呟きも彼の耳に届いてしまっただろう。
驚いたように上を向いたジュードの無防備な唇にそっと口付けを落とした。
あの時この場所で初めて出会った時、誰があの少年が自分にとってこんなにもかけがえの無い存在になると予想していただろうか。
囁くような潮騒と海鳥の歌はあの時と変わらないはずなのに、今目の前に広がる世界は何もかも違うものに見えた。
ジュードを傷付けない、傷付けさせない。その為なら嘘や欺瞞をもう重ねない。
弱く狡い大人から、心から大事なものを守る全うな人間に変わってみせる。それは確かな決意だった。