ゆらりとその漆黒の頭が緩やかに船を漕ぎ始めた。
澄んだ蜂蜜色の瞳が落ちる瞼に姿を隠したかと思えば、長い睫毛がひとつ震えてその色が再び現れる。

先程からその繰り返し。
視線を落とした先の、分厚い本のページに記された情報が少年の頭に入っているかも怪しい。
華奢な指が字列をなぞるが、最早意味を為さない少年のその必死な行動に、アルヴィンは自然と笑みを漏らしていた。





訪れた宿の一室。窓の外はとうに陽も沈み、夜に沈んだ町は静寂に包まれている。
女性陣3人は食事後は部屋へと揃って仲良く戻り、ローエンは宿屋の主人と夕飯時に会話に花を咲かせたまま、未だ戻って来ない。

少年は部屋に戻ってくるなり読書に耽り始めた。
それがアルヴィンにとってはつまらなく、何度もちょっかいを出したが全て無視に近い形であしらわれてしまった。


事態が変わり始めたのは少年が本を読み始めてから数刻後。

「(おねむの時間か)」

日付が変わるまでまだ時間はそれなりにある。
就寝時間にしては早いが、激しく戦闘を繰り返した昼間の疲れもあるかもしれない。






部屋に取り付けられていた粗末な椅子に腰掛ける少年へと歩み寄り、その手から分厚い本を取り上げる。
眠気に襲われそちらへ集中して格闘している者から奪い取るのは容易だった。
いつもならば抵抗されていただろうが、実にあっさり紺色の表紙の分厚い教則書は手中に納まる。



「う、わ!何するのさ」

持っていたものを突然奪われ、ようやくジュードは意識を覚醒させた。
尾を引くような眠気を振り払うように、がたりと音をたて椅子から立ち上がる。

先程まで眠気に蕩けていた瞳が恨めしそうにアルヴィンを睨みつけた。


「返してよ」
「やなこった」


伸ばした手をやんわりと除けられ、目の前の大人が浮かべた悪戯っぽい表情にジュードは拗ねたように嘆息した。

「今良いところだったんだから…邪魔しないでよ」

基本的に誰にでも礼儀正しいはずの少年の、この容赦の無い言葉。
ミラやローエンは勿論、年下であるエリーゼや幼馴染みのレイアにでさえこんな率直に言葉をぶつけない。

ジュード自身は無意識なのだろうが、言葉を選ばない素直な態度に少なからずアルヴィンは優越を感じていた。
特別扱いを喜ぶほど、自分はもう子供ではないはずなのに。この少年だからなのかもしれない。




「ふーん?良いところねえ…どう見てもジュード君眠り沈みかけてたけどな」
「そ、そんなことない」

事実を告げれば少年は漆黒の髪を揺らしてかぶりを振った。
取り戻す為に手を伸ばしても体格差には敵わず、奪われた本には届かない。もどかしそうに指先は空を切るだけだった。

身体能力の優れた少年が少し本気を出せば、体格差など簡単に埋めて本を取り戻していたかもしれない。
そんな簡単な事も出来ず単純な動作を繰り返しているのは、やはり抗えぬ眠気のせいか。



「…だったら無理しないで早く寝ればいいのにな」
「――っうわあ!?」

ジュードの口から飛び出た素っ頓狂な声が部屋に響いた。
直後、ここが他の客も多数宿泊する場所だと思い出したのか、両手が慌てて口元を押さえる。脚はぶらりと宙に浮いたまま。


むきになった少年が勢い付けて跳んだ時、その手は危うく本へと届きかけた。
取り損ねた身体はそのまま前方へと傾きながら落ちる。それが着地する前に片腕で抱え上げた、それだけのことだった。

その華奢な身体は見た目通りとても軽い。衣服越しに伝わる温もりが心地良いと思った。


「ちょ、アルヴィン、離して!」
「はいはい、子どもは寝る時間ですよ」
「僕は子どもじゃない!」

腕の中で暴れ出す前に持っていた本を机の上へと放り置き、両腕で細い身体を抱き込む。
びくりと身体が小さく跳ねた後ジュードは暴れ出したが、固く抱えられた状態では抜け出すのも叶わなかった。



アルヴィンは抵抗を続けるジュードを両腕で抱き押さえたまま部屋に備え付けられたベッドへと歩み寄る。
高級宿の高級ベッドまでとは言えないが、宿屋の主人の気質が滲み出た寝心地の良さそうな寝床だった。


少年を抱えたままその上へと寝転がれば、二人分の体重でスプリングが沈んだ。真っ白なシーツからは太陽の匂いがした。

「アルヴィン…」

腕の中ジュードが恨めしそうな声で名を呼んでくる。
蜂蜜色の瞳がやや上目遣い気味に睨むが、それを宥めるようにさらりとした漆黒の髪をぐしゃぐしゃと撫で回した。
頭を撫でられるという行為に慣れていないのか、こうすれば少年は決まってくすぐったそうな表情を浮かべて大人しくなる。

腰に片腕を回し、もう片方の手で後頭部を包むように抱き寄せるだけで距離はさらに縮まった。
眠りかけの子供は体温が高いというが、その説に違わぬ少年の高体温がただ愛しく感じられた。


「…どうせアルヴィンはまだ起きてるんでしょ」
「大人の夜は長いからな」
「じゃあ僕も寝ない」


今にも眠り落ちそうなジュードの宣言はまるで子供の虚勢。
真面目な性格な反して意外と意地っ張りな面に笑みを零せば、腕の中の少年は拗ねたようにアルヴィンの胸元を拳で小突いた。






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