絆し、絆され (コン→ルカ)
TOI/コン→ルカ
一人の少年が慌ただしい足音と共に階上から駆け下りてくる。 銀糸のような柔らかな髪を乱して、大きな翡翠色の瞳を濡らして、こちらの姿には目もくれずその少年は宿屋から飛び出して行ってしまった。 叩きつけられるように閉じられた哀れな扉の軋む音だけが余韻となって響いた。
数度の瞬きの後、手にしていた白いティーカップをテーブルへと戻し、一つ小さく息を吐いたのは同席していた女性。 その女性の雇われ人も女性と数秒目を合わせた後、呆れたように肩を竦めていた。 次の瞬間には女性は立ち上がり普段は慈愛に満ちた瞳の中に怒りの炎を宿らせて、少年が先程駆け下りて行った階段を強かに上っていく。
「イリア! スパーダくんッ!」
そして女性の怒号が飛ぶ。いつもと変わらない(少年にとっては決してそうでないだろうが)平和な時間が流れている。
大方、現在進行形で女性の説教を受けている二人の些細な悪戯がまたあの少年の心を抉ってしまったのだろう。 飛び出して行くのはこれが初めてではないが、余程の事でない限り少年はその場で耐える。詰まる所、今回は「余程の事」だったのだ。
先程の女性と同じように空になったティーカップをテーブルへと戻し、木の椅子から腰を上げる。 ただし向かう場所は階上ではなく、扉の外。
逃げ出したあの少年の姿を発見するのは意外と容易い事だと数度で学んだ。 あれだけ勢い良く飛び出しておきながら彼は結局遠くまでは行かずに、宿屋の近くの路地裏のような狭く薄暗い場所に蹲っている事が多い。
今回もその例に漏れる事はなく、それらしき路地裏を数か所探しただけでその少年の姿を探し当てる事が出来た。 仄暗い闇の中で膝を抱える少年の薄い肩は震えている。
「ルカくん」
少年の傍へと膝を折って彼の名をそっと呼ぶ。喧噪の中なら揉み消される程ささやかな声で。
「! コンウェイ、」
彼は驚いたように顔を上げてこちらへ視線を向けた。 細く美しい髪は走ったせいで乱れ、翡翠色の瞳からは今も絶え間無く涙が溢れて腫れた目尻が痛々しい。
確かに嗜虐心を煽られてもおかしくない。現に自分でも彼をこの顔に変える事は出来るのだろうかとおかしな事を考えてしまう程に。
それでも自分が彼にそんな事を出来ずにいるのは何故だろうか。 他の仲間達に対するように遠慮無しに言葉で突き刺せば、あの少年の涙ぐむ表情を見る事など簡単だというのに、どうしても彼にだけは優しくせずにはいられないのだ。 己の確固たる目的の為に無意識にそうしてしまっていると思っていたが、そうではなかった。
細い身体を抱き寄せて、涙の粒を掬って、赤くなった目尻へ優しく唇を落とす。 柔らかな銀糸を梳きながら頭を撫でて、「大丈夫」と何度も宥めるように彼の耳元に囁く。
役得と言えばそれまでかもしれない。 だが、そこにあるのは確かな深く純粋な好意にほかならない。
「ルカくん」
だから今日も彼の名前をそっと優しく囁き落として、他の誰よりも彼を絆し続けるのだ。
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