ヒアサ様から:『不思議の国でこんにちは』
さっきまで、そう、ついさっきまで、自分たちは部屋にいたはずだった。
間違いなく、自室にだ。・・・それなのに。
「えっ、えっ、何ここ!?どこ!?」
「えーと、落ち着いて?」
「だっ、誰!?」
「何、私?どっち?」
「・・・なんでこんな状態になってるの。返答によっては潰すよ」
いや待て、とりあえず状況を整理しよう。
そこは、とにかく真っ白な部屋だった。シンプル過ぎる室内には、ただ壁と天井と床しかない。唯一色のあるものといえば、白いドアに付いた金のドアノブだけ。
そしてその中に、紫色の青年と、それぞれ水色と黄色の少年たちと、少女が2人が、理由は全く不明だが『迷い込んでしまった』らしい。
「・・・それにしても、ここまで真っ白で箱型って・・・なんか閉塞感があるなぁ・・・」
改めて周囲を見回した水色の少年が、困惑した様子で呟いた。
それに続けて、髪をポニーテールにした少女が口を開く。
「私、ちょっと気持ち悪くなってきたかも。吐き気的な意味で」
「ちょっ、ヒナちゃん!?」
真顔で吐き気宣言をした彼女に、紫色の青年が大慌て。
ちなみに、小柄な方の少女は何やら思案中、黄色の少年は全くの無反応である。
「さて・・・冗談はそれくらいにして」
「冗談だったんだ!?」
「とりあえずそこの少年少女、あなたたちはもしかしてポケモン?」
紫色の青年の突っ込みを華麗にスルーして、ポニーテール少女が率直に聞いた。
その問いの内容に、色とりどりの少年少女がお互いに顔を見合わせる。そして、水色の少年が代表として口を開いた。
「えっと、僕たちはポケモンだけど・・・もしかしてお姉さんは・・・」
それはいかにも恐る恐る、といった様子。しかし、彼女は一切気にした風がなかった。むしろ堂々と胸を張り、勝気そうな笑顔で名乗る。
「そうよ、私の名前はヒナ。生粋の人間で、トレーナーよ」
「トレーナー?」
「あら・・・」
ヒナは明快な自己紹介をしたつもりだったが、水色の少年には首を傾げられてしまい、ちょっと考えた。ここは簡潔な説明、なおかつ分かりやすいものが望ましい。さて。
「そうね・・・ポケモンたちに闘ってもらう代わりに、身元保証人兼扶養義務者になるっていう契約をした人間、かしらね。まあそれにしたって捉え方は様々だけど、私にとっては、みんなは家族か親友かってとこかしら」
言外に敵対意思はないと言うと、そこは伝わったらしい。黄色の少年以外の2人から、明らかに力が抜けた。まあ、彼らよりもヒナの方が年上で、さらに言うなら紫の青年はゲンガーで、いわゆる『大人』のため、多少圧迫感に近いものがあったのだろう。
しかし、この場で唯一の『大人』は、実は性格が見た目より幼めだったりする。
「俺はラク!最初の生まれは人間だけど、今はゲンガー!」
ぴんと右手を上げ笑顔で名乗った彼は、最終進化までいっているくせに割増しで幼く見えた。・・・いや、それはいいのだが、問題は名乗りの内容。
水色の少年と小柄な少女は目を丸くし、やがて少年の方がきょとんと首を傾げた。
「へえ・・・空みたいな感じなのかな?」
「そら?」
「あ、えっと、あっちの・・・ピカチュウなんだけど」
実は空も人間で、気が付いたらポケモンになってたらしくて、と水色の少年が説明。
それを聞いたラクは、正直苦笑するしかなかった。
「いやそれ、俺と一緒にしたらかわいそうだろ・・・」
「えっ?」
「俺はなー、死んで生まれ変わってゲンガーだからさぁ」
「えええっ!?」
とんでもない答えを聞いた瞬間、少年は真っ青になって悲鳴を上げた。その後ろの少女も、さっきからぽかーんとしっぱなしだ。
純粋な彼らの反応にちょっと和んだラクとヒナだったが、そういえばこっちの2人の名前はなんだろう。
「あのさ、とりあえず名前教えてくんない?」
「あっ・・・!えっと、私は彩夢。イーブイです」
「僕は藍!ポッチャマだよ」
ピカチュウの子はともかく、こちらの2人はもうあまり警戒していないらしい。笑顔での自己紹介に、思わずラクの顔が緩む。
「・・・っくあ!アヤメちゃんにランか!名前まで可っ愛いな!てか、俺あんま年下の子と交流ないから実は超嬉しいんだけど!!」
「ああ・・・あんた子供好きそうよね・・・」
ヒナが軽く呆れる程度には、ラクのテンションは上がっていた。
・・・と、ここで、ずっと黙ったままだったピカチュウの子、つまり空が、「ねえ」とおもむろに声を上げた。
「人間なら、名前に意味があるんじゃないの」
「へ?意味?」
訊かれた内容を掴みかねて、ラクがくるんと首を傾げる。その様子を見た彩夢は、慌てて空の言葉を補足した。
「意味っていうのは漢字でってことで、えっと・・・あ、ペンしかないや」
「お、貸して貸して。壁に書く」
「壁に!?」
「え、だって他に書くとこないし」
「手とかはどうなのよ」
「あ、そか。じゃあ・・・」
ヒナの言葉で結論が出て、ラクは自分の掌に『楽』と書いた。そしてそのペンを奪って、ヒナがその横に『雛』と書く。
「・・・別にいいけどなんで俺の手に?」
「だって広いじゃない、書く場所が」
「俺の手メモ用紙じゃないんだけどな・・・」
「ちなみにあなたたちの名前は?やっぱり漢字あるの?」
「またスルー!」
コント風のやりとりが、傍で聞いていると妙におかしい。この雛という人は、空とは違った意味でマイペースだなあ、と彩夢と藍はしみじみ思った。
・・・ところで、ペンと一緒に差し出されたこの手はなんなのだろう。
「えーっと・・・」
「ははっ、書きにくいだろうけど俺の手にどーぞ」
「えっ、いいの?」
「もうここまできたら変わんないし。書いちゃえ書いちゃえ」
「じゃあ、」
きゅぽ、とふたを外して、広い掌に3つの名前を記す。合計5つの名前が、所狭しとばかりに並んだ。
「・・・へぇ」
最後に寄って来た空は、全部の名前を見て納得したように小さく頷いた。
「分かった。・・・楽、雛」
確かめるように呼ばれた名前。
それに対し、ラクとヒナは一瞬目を見開き、それからふわりと相好を崩した。
「おお、なんか響きが違って懐かしいな」
「そうねぇ・・・普段はみんなと区別しないように呼んでるけど、今は私たちだけだから意味付きで呼んでもいいかもね。ね、楽」
「了解、雛ちゃん」
いたずらっぽく顔を見合わせて笑い合う2人は・・・なんだか姉弟のようにも見えた。
その親密そうな様子に、「あの、」と彩夢が声を掛ける。
「もしかしてパートナーだったり、とか・・・?」
「・・・。いやぁ?」
ちょっと期待したようなその視線には、なんだか申し訳なさを感じるが。こればっかりは否定するしか。
「俺はさ、雛の手持ちの一番最後なんだ。ちょっと前まで悪役の手下やってて」
「「え!?」」
「爆弾で無理やり脅されてたのを、最終的に私たちが保護したの。ちなみに私のパートナーはヒイロ・・・緋色、っていうバシャーモよ。すごくわがままな子」
「あはは・・・でもいいやつだもんな、緋色は」
「まあね。私の相棒なんだし、強くて優しくて前向きなのは当たり前だけど」
雛は見事に仁王立ちの状態で、肩になだれかかってきたポニーテールを片手で払い、自信満々にそう言った。ここまではっきり言い切れるのも、なかなかすごいと藍と彩夢は思う。相棒に対する信頼度が半端ない。
。
・・・まあこの話はここまでにして。
「んじゃあ・・・自己紹介も済んだし、行ってみるか」
「え?」
前ふりの一切ない、唐突な言葉。戸惑った声を上げる藍もなんのその、てくてくとドアに近づいた楽が、無造作にノブを捻った。
なんとも急すぎるその行動に、各所で冒険し慣れている彩夢と藍が肩を跳ねあげる。
「いっ、いきなり開けたら危ないんじゃ・・・!」
「へ?」
しかしそれはすでに遅かった。
呆気なくも間抜けな音を立ててドアが開き・・・その向こうには、また似たような真っ白な部屋があった。
ただし、今度はドアが合計4つ。
「うわっ・・・なんかめんどくさそうな予感・・・」
半眼になって嫌そうに呻いた楽が、真っ先に部屋の中に入った。ちなみに、押し開きタイプのドアから手を離さないでいるのは、トラップによる分断防止のためだ。ドアが閉まったら鍵が掛かるとか何とか、そういうトラブルは冒険慣れしていない楽とて予測している。
とはいえ今のところ、部屋の中に異常はなかった。
まさかこの意味不明の状況で別行動するわけにもいかず、全員がぞろぞろと部屋を移動する。
「・・・やっぱりただの部屋、だね・・・」
不可解そうな藍の言う通り、壁や床をどれだけ調べても、先ほどの部屋と同じで何の手がかりもなかった。壁は堅く窓もなく、正直脱出口が見えない。それに、何が出てくるか分からない以上、ドアを次々に開けて回るのも気が引けた。
といっても、ずっと同じ場所を調べていても埒が明かないのは事実。そのため楽は、ある程度までで調査に見切りをつけた。
「じゃあとりあえず、別のドア開けてみるか?」
「そうだね・・・空、彩夢、それでいい?」
「いいよ」
「ん」
「了ー解、っと・・・あれ?」
入ってきたドアの左手側、先ほどと同じ押し開きのドアを開けた瞬間、楽が固まった。
「え・・・なにこれ待って待って」
あからさまに動揺した様子に、楽の背後で身構えていた藍が焦る。
「ど、どうしたの!?」
尋ねられた楽は、赤い目を驚愕に見開いてがばっと振り返った。その際、楽の手元のドアノブからは、何とも言えない不吉な音が。どうやら驚きのあまり力加減を間違えたらしい。
「この先さっきの部屋なんだけど!ちょ、あれ雛のヘアピンだよな!?目印に置いてきたやつだよな!?」
「・・・ああ、本当だわ」
「で、俺らが出てきたのは空が立ってるとこのドアだよな・・・!?」
「「「「・・・」」」」
部屋の中に沈黙が下りた。
ややあって、そろりと動き出した楽が、静かにドアを閉めた。そして、空の後ろに回り込んでドアをうっすらと開く。すぐ閉めた。
「・・・別の部屋だ」
「ええーっ!?」
藍が叫びたくなる気持ちも分かる。
楽は額に手を当てて、ぐるぐる回る思考を抑えにかかった。
「ちょ、なにこれ、俺の勘違いじゃないよな?空ずっとそこにいたよな?」
「・・・いたよ。ていうか僕、全然動いてないから」
「だよな?・・・なんだこれ、どうなってんだ・・・?」
うーんうーん、と唸る楽を横目に、雛は握っていていたバッグの中を探った。がさごそがさごそ。・・・ああ、あったあった。
「とりあえず目印つけてみましょ。はい」
ぽん、と楽に渡されたのは、ビニール袋に入った色とりどりの粒だった。普通に受け取った楽は、「なにこれ雑穀?」と首を傾げる。すると、「米だと白くて見にくいでしょ」と言われた。いや、そういうことが聞きたかったわけではなかったのだが。
「とにかく。開いた部屋に印付けてけば、何か法則が分かるかもしれないじゃない?」
笑顔で言われて、楽はげんなりした。仕方がないと言えば仕方がないのだが、これは非常に面倒そうだ。
・・・さて。
時計がないので体感時間になるが、おそらくは数時間経過したであろう状態。しかし、いまだに手がかりはつかめていなかった。
「まだ新しい部屋が出てくるの・・・?」
「んー、あー」
返事をせず嫌そうに唸る楽に、雛は苦笑いせざるをえない。どうやらこの子は、こういうじりじりしたものが苦手らしい。忍耐力そのものは有り余るほどあるのに、単調作業はダメなのかと思うと少しおかしい。
いやそれにしても、全くもってこの状況は意味不明だ。
彼女たちは今、『入ったドアの左側のドアに入る』という条件を決めて進んでいるのだが、通過100部屋近くなってもまだ、元の部屋に戻る、もしくは出口に出る、というミッションをクリアできていない。
いいかげん先が見えなければ、ちゃんとここから出られるのかどうか焦るし、不安にもなる。
「あー!もー!やだー!気持ちがつかれたー!」
ついに楽が先鋒を放棄した。次開けるべきドアに背を預け、ゆるい体育座りの状態で動きを止め、さも不機嫌そうに「ちょっと休憩させて・・・!」と唸る。
困ったように笑った彩夢は、楽のトレーナーに決定を任せることにした。
「雛ちゃんはどうしたらいいと思う?」
「じゃ、ちょっと休憩しましょうか。どうなるか分からないから先頭は楽に任せたいもの。この子に先鋒させてれば、最後尾は空くんにやってもらえて安心だしね」
聞かれて即座に決断できるあたり、普段からいかに彼女が我が道を行っているかが分かる。
・・・ちなみに、楽がわめきだした時に空がいらっとして顔をしかめたが、そこは藍が的確なフォローを入れていた。
。
各自思い思いに座ったり凭れたりし、休憩という体勢を取る。
そうすると、自然と会話が発生するわけで。
「へぇ・・・人間のいない世界、ね。私たちからすると考えられないわ」
「あははっ!そうすると藍は今、すごく珍しい状況に居るってことだな!」
「え?」
「だって生粋のポケモンはあなただけよ?私は人間、楽は前世人間、彩夢ちゃんは半分人間、空くんは元人間」
「あっ・・・」
「うわぁ・・・た、たしかに人間ばっかりだ・・・!」
改めて指摘され、藍はもとより彩夢も驚いた。こういう状況になると、藍の存在が雛と同じほど物珍しい。なにせ、生粋のポケモン1、生粋の人間1、混合3、という割合。イレギュラーのはずの、人間かポケモンかの判断に困る面々の数が多すぎる。
ちなみに、話題の当事者のひとりでもある空だが、さきほどからあまりに静かだと思っていたら、壁にもたれてマイペースにも『寝ていた』。それに真っ先に気づいた楽は、この状況でよく、と半ば感心した風情で、「フリーダムだな」と軽く感想を述べた。パレットメンバーは苦笑する以外にない。
全く違う場所からの2組の迷子。それぞれが自分たちのことを話すと、大きな異差が生まれる。それを埋め合わせながら話したいことや聞きたいことを連ねていくと、あっという間に時間は過ぎてしまっていた。
「それにしても、どうやったら帰れるのかしらねぇ」
「誰かに訊ければいいけどなー」
お互いのことをあれこれ話し、それがひと段落ついたころ。不意に、雛が話題を今回のミッションの目的に戻した。
正直、かなりの時間をお喋りに費やしてしまったため、どうしようもない今更感が漂うが、空しい脱出調査で疲労した精神が回復した今なら、何か良い案も浮かびそうな気がする。
そして、楽の言葉を聞いて、何かに思い当たったのは彩夢だった。
「聞・・・はっ!?」
そうだ!と彼女は気づいた。パニックするあまり最初の時点で気づきそびれたが、今まで自分はずっと、『彼』に訊いたり頼んだりしてきたではないか!
「そうだよ神理に訊けばいいんじゃん!」
「シンリ?」
「えっと、私を先導者として指名したポケモンなんだけどね。アルセウスっていう」
「へー」
解決の見通しがついた彩夢は勢いづくが、アルセウスというポケモンをよく知らない雛と楽は薄ーい反応しか示さなかった。似たような世界から来た人間でも、知識の度合いはだいぶ差があるようだ。
しかし、この解決策には1つの難点があった。
「・・・どうやって寝よう」
そう。彩夢がアルセウスの神理に出会えるのは夢でのみ。まあ、意識を飛ばせばいいというだけの話なので、普通に寝るだけでなく気絶も可なのだが・・・それはあまりやりたくはない。
これを受けて、ちょこんと首を傾けた楽が普通に言った。
「だったら俺の『さいみんじゅつ』でいい?」
「お願いします!」
技をかけると言われて即座に頷く彩夢はなかなかの度胸だ。
しかし。
「じゃあ・・・はい」
「・・・へ?」
何を考えたか立てていた膝を下し、招くように両腕を広げた楽。意味不明の行動に彩夢は戸惑い、首を傾げる。
「いや、床に寝たら体痛いだろ。女の子なんだし・・・ソファー代わりになるからおいで」
「ええええっ!?いやそんな!」
「大丈夫大丈夫イーブイくらい軽いって」
「そ、そう言われても・・・!」
平然と言われた内容に焦る彩夢。その姿は大層可愛らしく、楽と雛がちょっと和むが、そんなことを気にしている余裕がないのが彩夢側の2人。
「彩夢には僕たちがいるからそういうのはいらないよ」
「それ以上彩夢に近づいたら潰すから」
さっきまで温和な笑みを浮かべていた藍と、今の今まで寝ていた空。まだ細身で少年少年しい彼らから放たれるのは、真っ黒な苛立ちのオーラだった。・・・言葉のみの藍はまだいい。問題は、眉間にしわを寄せて電気をまとっている空の方。電撃の鋭さが普段以上で、どうやらこの状況そのものに対する苛立ちも上乗せしてきているようだ。
最近では日常的になってきたその腹黒コンビ発現に、守られる側である彩夢の方が慌てる。
しかし、楽と雛は全く意に介した様子はなかった。なぜならば。
「あらぁ・・・楽に攻撃意欲燃やすとか上等じゃない。子供といえど容赦しないわよ」
なんと、それまでの勝気な笑みに黒さを上乗せして、雛が大人げなく殺気を見せていたからだ。・・・彼女も彼女でそれなりに黒属性持ちなのだ。しかも見境がない。
これに慌てたのは良識ある手持ちの方である。
「待って待って待って雛ちゃんお願いだから落ち着いて・・・!」
「楽は落ち着き過ぎなのよ!これは名誉棄損よ、侮辱よ、冤罪よ!いつもいつもいつもいつもあんたはちっとも気にしないんだからこのお人よし!!」
「あれなんで俺怒られんの!?ていうか俺空と藍に攻撃とかしないからね!?相手未進化だからね!?」
「ぬるい!!」
「ぬるい!?」
どういうことなの!と叫ぶ楽は、さりげなーく立ち上がった。そしてそそくさと場所を移動し、腹黒たちの間にポジションを取る。
・・・成人男性のものとはいえ、無防備に晒された細い背中に、空はともかく藍の方は戦闘意識をしぼませた。まあ、先ほどの発言がまだ言葉だけで、『彩夢を抱える』という行動には移していないのも、その理由のひとつだ。
しかし、止めに入るか否か悩む彩夢の目の前で、2人の言い争い(?)はさらに激化していく。
「いいから私に道をゆずりなさい!」
「できるわけないし!」
「せめて殴らせなさい!」
「ダメだってば!」
「大体楽は女の子なんだから抱っこくらい別にいいじゃない!」
「ちょ、雛ちゃ・・・それ中身ィィィ!!」
半泣きになった楽が本気で叫んだ。なぜにこのトレーナーはいつもそれを言いたがるのか。説明するこちらの身にもなってほしい。
案の定、場の空気は固まり、一同の視線が楽の背に突き刺さった。どうしようもない不可抗力である。
唖然とした状態のまま、まっさきに訊いたのは藍だった。
「楽って、お、女の人、なの・・・?」
これに対し、本人より早く雛が吼えた。
「そうよ!私とこの子、お風呂だって一緒に入るんだから!」
「ぃぎゃああああ何てこと言うのはしたないぃぃ!!」
真っ赤になって悲鳴を上げる楽がかわいそうに見えてきた。ぐるんと体を回転させてパレットメンバーに向き直り、あわあわと弁解する姿もなんだか悲しい。
「いやそのっ!か、体は男なんだよ!?だけどなんていうかほら、生まれたときは女で、人生の大半は女で、だけど事情があって今は男になってるっていうか・・・!」
「取り繕ったって今更遅いわよ。ガールズトークできる時点であんたの性別なんて決まってんの。生理痛知ってる男なんているわけないでしょ」
「わー!!わ―――!!」
・・・とんでもない話の内容に、彩夢と藍は引きつり、空は「うるさい」と顔をしかめた。
なんというか、これはひどい。
数分後、楽はその場にしゃがみ込んで両手で顔を覆い、さめざめと涙をこぼしていた。哀愁漂うその背中にかける言葉などない。
しかしその原因となったトレーナーは、訳が分からないという様子だった。どうやら無自覚らしい。
「何泣いてんの・・・?」
「・・・彩夢ちゃんおいで・・・俺無害だから・・・」
「よ、よろしくおねがいします・・・!」
「・・・女の人ならいいや」
「女の人ならね」
「ぅわあああ2人共もうやめたげて・・・!」
「「?」」
「ありがと彩夢ちゃん。気持ちだけ受け取っとくよ・・・」
諦めた風情でさらっと礼を述べて、楽は自分の膝に乗せた彩夢の額にぽんと掌を乗せる。これ以上は不毛だ。早めの解決を目指そう。
少しひやりとした手。それに気を取られた彼女を静かに睡魔が襲い、意識がすっと遠のいた。
そうしてやってきたのはいつも通りの白い世界。
「良かった会えた神理ーっ!」
「彩夢!大丈夫だったか?」
「うん大丈夫・・・って、何か問題あった?」
見慣れた端正な顔がすこし心配そうに見え、不思議に思った彩夢が首を傾げると、神理は「ああ」と頷いた。
「あの空間はゲンガーの記憶だ。普通のポケモンや人間が見ると良くない。・・・すまない、お前たちの波長が合ってしまったことには気づいたのだが、彩夢たちが紛れ込む前に記憶の具現を塗りつぶすだけで精一杯だった・・・」
「あ、なんか見覚えあると思ったら、あの部屋のデザイン神理だったんだ!」
最初の時点で何かが引っかかっていたのだが、どうやら理由はそれだったようだ。
なるほど、と納得する彩夢へと、神理がこれからすべきことを告げる。
「入ってきたドアを3つ戻ると、空間がよじれて出口となる部屋に出られる。そこでカギを使うといい」
「カギ?それどこにあるの?」
「彩夢とゲンガーが持っている」
「へ!?いや知らないよ!?カギなんてどこにも・・・!」
「大丈夫だ。思い出せばいい。・・・あの世界に巻き込まれる直前に口にしていたものだ」
「口!?」
「出口に行けば思い出す。我が言えるのはここまでだ。・・・無事に戻ってきてくれ。彩夢」
「う、ん・・・ありがとう神理!がんばるよ!」
ぐっと手を握ったところでおなじみの感覚がきて、そして。
。
夢から覚めた彩夢は皆に説明し、元来た扉をくぐった。1枚目、2枚目、そして3枚目。
「・・・あ」
先ほどと同じく先頭に立っていた楽は、見覚えのある物体を見つけて目を丸くした。殺風景な中で存在感を思いっきり発する、大きくてつやつやしたそれ。
白い部屋の真ん中に、真っ黒なグランドピアノが堂々と鎮座していた。
「えっと、これがカギ?」
「うーん・・・あっ!」
はっ、と彩夢は再び思い出した。よくよく考えれば、『口にしていたもの』に心当たりがあったのだ。そして更に考える。神理が言っていた、『波長が合った』の意味。
「楽、もしかして・・・」
かくして。彩夢の予想は、寸分たがわずその通りで。
原因となったそれを思い出し、楽がはっとした、直後。
次の瞬間に訪れたのは、目がつぶれるほど白い光と、耳に痛いほどの静寂だった。
全員がとっさに目や耳を庇うと、それらは10秒と経たず消える。
そして、上も下も分からなくなった真っ白な世界に、ぽつんと残ったグランドピアノ。
それを囲むように取り残された面々は、カギを意識したことで場が切り替わったことを知った。
・・・ここが、『出口』だ。
「・・・なるほどね。彩夢ちゃんと楽が、全く同じタイミングで一緒の曲を揃ってうわの空で、それぞれ歌うか弾くかしたから『こう』なったって訳ね。そして今の状態でそれを再現すれば、元の世界に戻れる、と」
「いやー、たぶんうわの空である必要はないと思うけど・・・」
腕組みして頷いた雛に、楽は苦笑い。
しかし、たまたま暇になって、ポケモンセンターに置いてあったピアノで出生世界の歌をぱんぽん演奏していたことが、この良く分からない世界へのカギになってしまっていたとは。
「私的にしてみれば、相当なレベルでありえない系よ、これ。」
「ありえたから今こうなってるんでしょ」
「ははっ、空はクールだな」
相変わらずの無表情でさらっと言った空に、ころっと表情を変えた楽が楽しそうに笑う。そして、ピアノの正面に回って手を添えた。
「んじゃ、彩夢ちゃん、歌よろしく」
「ぅえいっ!?が、がんばるけど期待はしないでください・・・!」
下手でも笑わないでね、と念押しするも、藍は期待に満ちた目で彼女をじっと見ていたし、空もしっかり顔を上げていて興味津々なのが分かる。どうやら逃げ場はないようだ。この場にギャラリーが少ないのが救いだろう。
すこし調子を整えてから、細長い指が鍵盤を滑る。・・・前奏がしっかりした曲で良かった、と彩夢は思った。主旋律もしっかり入っているので、ピアノだけでも十分歌いやすい。
息を吸って、やわらかいメロディを響かせる。某ペラップのようには歌えなくても、彩夢の歌声は十二分に可憐で優しかった。
・・・曲がひとつ終わるころには、白い部屋の金のドアノブも、異世界の人たちも何もなく、いつも通りの自室の光景がそこにあった。
がやがやとにぎやかなギルドの音が、窓やドア越しに空間を彩る。それがとても温かくて、3人は知らず強張っていた肩から力を抜いた。
「・・・戻って、きたの・・・?」
「そうなんじゃない」
「あいかわらずリアクション薄いね、空」
「それにしても彩夢、歌も上手だなんてすごいね!また聞かせてよ!」
「うっ・・・ま、まあ、機会があったらね?」
緊張するから出来れば誤魔化したいかも、と思いながらも、彩夢は思う。
同じものを知る異世界の2人も、無事に『あるべき場所』へ戻れたのだろうか、と。
「ちゃんと戻ってきたみたいね」
「ん」
「ところで楽」
「何?」
「カラオケ行きたい」
「無茶言わないで!?」
「仕方ないわね・・・じゃあ伴奏してよ。歌いたい気分なの」
「いいけど、とりあえず俺が弾きたいのが先でいい?」
「珍しいわね」
「ラ○ュタ」
「!?」
理由が良く分からないチョイスだった。
。
----------+
ヨメイ一ヶ月の管理人、ヒアサ様から相互記念に頂きました。
我が子を素敵に書いてくださりありがとうございます!