外伝2「Yell to You」01
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 中庭で別のクラスの友人と別れたばかりの沙谷見 隼(さやみ しゅん)に、突然舞い込んできた告白は、余りにも耳を疑うものだった。
 白い肌の、無愛想だがまあまあ可愛い凛とした目の一年生は、たったこれだけしか言ってこなかったのだ。
「二日間だけ付き合ってください」
 確かに隼は、自他共に認められるほどモテてはいる。双子の弟と全く同じ顔というのはいただけないが(それでつい最近まで弟の名を騙(かた)って女遊びもやりにやり、とばっちりもきっちり受けたばかりだ)、大抵寄ってくる女子はほとんど、こんな漫画みたいな言い方はしてこなかった。
 下級生の申し出はありがたい。しかし別に、そうやって言ってくる浮ついた女の子は校内に沢山いる。最近弟の名を騙って、弟を好いていた下級生を誑(たぶら)かした事がばれたばかりだから、大きな事になるのは避けたいが――。
「嬉しいな、君みたいな可愛い子に言ってもらえてさ」
 根っからの性分には逆らえなかった。慣れた笑みで笑いかけ、ほんの少しだけはにかんでいる様子も出す。そんな隼に態度を変える様子もなく、一年生は淡々と隼を見上げてくるではないか。
 ……。いや、今まで五十人近く落とせた自分が、ここで物怖(ものお)じするのは名が廃る。
「でもなんで二日間?」
「正確に言うと十月十五日と十六日です」
「はい? なんでまた。あと三週間はあるだろ?」
 さては、交際している振りでもすればいいのだろうか。別にそれはそれで構わないし、それを話の種に次の女の子の同情も誘える。そう考えれば楽な話――
「詳細は後日お話します。お願いします」
「は、はあ……まあ固くならずにね。こっちこそよろしく」
 何はともあれ、三週間後だけでいいなら別にいいか。

「なあ三上。三週間後って何かあったっけ」
「はあ? 体育祭本番前だろ」
 耳を疑った。隼は慌ててブレザーのポケットに手を突っ込み、携帯を開いて突っ伏す。
 本当だ。十五日、十六日は、二日間ある体育祭の本番ではないか。最近バンド活動に勤(いそ)しみすぎて忘れていた。
「しくったー……そういう事か」
「何、またデートの誘いか? モテる奴っつか、引っかける奴は大変だな。また女子にぶっ飛ばされるんじゃね?」
「うーるせ。そりゃまあ隻(おとうと)の名前使えなくなったのは誤算だとも。けど別に痛手って言うほど痛手じゃないし? それでも言い寄ってくる女の子はいるんだぜ、変わんねえよ」
 隼が笑うと同時、前の席にいた三上は複雑そうに苦笑い。隼は欠伸(あくび)と共に突っ伏しながら、片手で机の中のノートをまさぐる。
「どうすっかなー。部活はもう行けないし……あーそうだ。三上何部だっけ?」
「陸上。女の子のリサーチなら断るからな」
「はっは断られた。まあ部活には所属してなさそうな子だったからいいよ」
「……可哀想(かわいそう)に」
 それはどちらの意味なのかは、言及しないでおくけれど。授業ノートに貼り付けている、名簿になっている付箋(ふせん)に、今日の一年生の名前を書き込む。
 里田 翠(さとだ みどり)。十月十五、十六日のみ。
 ――体育祭に彼氏がいる宣言でもして目立ちたいだけなのだろうが、それで自分を選ぶなんて奇妙な子だ。この間の騒動を知らない一年の女子なんて珍しすぎる。
「……もしかして友達いないのか?」
「……一応、交際する相手なのに言いすぎだろ」
 三上の渋面(じゅうめん)が、ついに眉間に皺(しわ)を刻むまでになってしまった。隼は「悪い悪い」と笑って手を振り、黒板に目を向ける。
 もうすぐ、教員がやってくる時間になってきた。

 里田という少女は、隼の予想通りの一年生だった。
 初対面の無愛想に輪にかけて、学校にもそんなに来ていない。黒髪と黒目が際立つ白い肌に納得が行く、話を聞く限り病気に弱い少女らしい。
 出席日数の少なさと淡白な態度のおかげで、思った通り友達もいないようだ。
 病気に弱いという点では、普段隠して過ごしている隼にも少し分かる所はある。多少風邪を引きやすいだけの自分がそんな事を思うのも、おこがましい話だと弟なら切り捨てそうだ。
 ――正直、相手が自分に兄を見る視線を向けないように、自分もあいつを弟として見ているかと聞かれれば、全くそんな事はないけれど。
 その里田翠は現在、目の前にいる。
 まさか食堂でうどんを買った直後に会うとは思わず、隼は愛想(あいそ)笑いをして近づいた。
 取り巻きになりかけていた女生徒達の不服そうな顔には、ごめんねと申し訳なさそうな態度を作って離れる。何はどうあれ、里田が体育祭を狙って交際を申し込んできた事は、隼にとってはいい暇潰(ひまつぶ)しだったからだ。
「こんにちは。里田さんも昼食だった?」
 里田が少しだけ視線を上げてきて、また俯(うつむ)いたと思うとそのままこくりと頷いてきたではないか。前回唐突(とうとつ)に話しかけてきたから、結構に気が強いタイプなのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。がやがやと煩い学食の中、テーブルの角で一人静かに食べる少女は余りにも浮いていた。
「前、いい?」
 沈黙の後、向かいの席を見た少女は小さく頷いた。余りにも早い動きで、怯えた子犬を思わせられた。ひとまずうどんを乗せたトレイを里田の前の席に置き、座った隼は笑顔が強張(こわば)る。
 里田の昼食がうどんなのはまだいい。
 なんだ、その薬剤ケースは。錠剤の数は。
「奇遇だね、里田さんもうどん?」
「……こ、これぐらいしか食べられないから」
「あれ、蕎麦(そば)とかは? 蕎麦も消化にいいよな?」
 里田が目を丸くして見上げてきたではないか。すぐに伏せられた目は明らかに動揺している。
「……どうして分かったんですか。病弱だと」
「そのケース見れば誰だって分かると思うよ」
 その前に下調べはついているわけだけれど。うどんを啜(すす)りつつ、隼はさり気なく少女を観察した。うどんは半分減った程度で伸びきっている。薬のケースは既に開けて、昼分が飲まれていた。
「先輩も……」
「ん?」
「先輩も体の調子、悪いんですか」
 はたと、うどんを持ち上げた箸が止まる。
 笑顔も綺麗に止まった彼は、内心冷や汗を流しながら「たまたまだよ」と取り繕った。
「それよりさ。この間の――どうして体育祭の日なのか聞いてもいいかな?」
 少女が俯く。暫くしてポケットをまさぐった彼女は、一枚の紙を机に載せ、静かに差し出してくる。受け取るが、何も書かれていない。
「何これ?」
「……今度、その紙を持って来てくださったら、お答えします」
 なんだそれ。
 少女はすぐに立ち上がり、細い手でトレイを持つと、俯きながら隼の隣を過ぎていこうとして――立ち止まる。
「……先輩にしか、お願いできませんから。放課後、食堂前までお願いします」
「分かった。じゃあまた後で」
 愛想笑いで見送って、紙を凝視(ぎょうし)して固まる隼。
 白紙。正確に言えば紙そのものは薄黄色だけれど、何も書かれていない紙。
「……電波少女って奴か?」
 また、妙なものに引っかかってしまった気がした。
 約束の放課後まではいつも通りだった。声をかけてくる女子には気軽に話し、授業もほどほど真面目に出て、周りの連中を騒がせて楽しんだ。自分以外が先生に怒られた後で、何やってるんだとふざけてクラスに笑い声が響く。
 だがそれも、最近自分でもぎこちなくは感じていた。
 一応分かってはいるつもりだ。この間の、弟の名前を騙って後輩を騙そうとした時、見事に見破られた事がまだ尾を引いているのだろう事は。
 今まで見破る人はいなかった。そもそも弟に好意を抱く女子なんて、自分が弟を利用してきたせいでいもしなかったのだ。
 何かが動きつつある中で、今度はあの少女と来た。悪い予感とまでは思わなくても、また弟絡みでやって来たというのなら、保身のためにも遠慮しておくべきだったか。
 放課後のバンド練習を断った後、閉店した食堂に着いた隼は溜息が出た。
 里田はまだ来ていない。薬の量を見ても、病弱というのは本当だろうが、約束を破る真似をする女子なのだろうか――

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