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「梅本〜なまえどこにいる?」
「なまえならプレハブ行ったけど」
昨日の試合のスコアをなまえが持っているというのでなまえを探したが、一向に見つからないので梅本に聞くと、どうやらプレハブにいるようだ。そりゃグラウンド探してもいないはずだ。
「なまえ?」
プレハブに入っているはずの人物の名前を呼ぶも、返事はない。が、その人物はたしかにそこにいた。
「…寝てんのか」
スコアブックをまとめなおしていた途中で睡魔に負けたのか、自分の腕を枕にして寝ている。お目当てのスコアブックはその下にあるから、こいつを起こさなければ目的のものは手に入らない。
「気持ちよさそーに寝ちゃって」
こちらに向けられた寝顔はとても気持ちよさそうで、起こす気にはなかなかなれなかった。
音を立てないようにして隣の椅子に座りそれを眺めていたら、ふと目に付いた薄い唇。
ずっと野球だけ、そしてきっとこれからも野球だらけな俺が、唯一執着している存在。自分の中に野球以外でこんなに強い気持ちがあることを初めて知った。
誰にも渡したくない、俺のものにしたい。
ダメだダメだと思いながらも、触れたい欲がむくむくと湧き上がってきた。…少しだけならいいかな。うん、少し指で触るだけならいいだろ。俺今まで我慢してきたし。
そっと触れた薄くて小さい唇は、思ったよりもずっと柔らかかった。
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あれ、わたしいつのまにか寝てた…?だんだんと浮上してきた意識の中で、唇が何かにふにふにと触られている感覚があった。
それを確かめようと重たいまぶたを押し上げると、見覚えのある人といつも以上の至近距離で目が合った。
『御幸…?』
思わずくっついてしまいそうなほど唇と唇の距離は近くて、目の前の人の名前を呼ぶと、御幸は目を見開いてカッと顔が赤くなった。
「あ、っと、ワリィ…」
普段なかなか感情が顔に出ない御幸が、ここまで表情に出ることはなかなか珍しい。だからこそこちらまでその感情が伝わってきて、わたしも頬に熱が集中するのが分かった。
『や、大丈夫…』
「なまえちゃんよくここで寝るね」
『…御幸が寝てるときに限って来てるだけ』
スコアをまとめなおしてて寝てしまうなんてそんなに頻繁にあるものじゃないしあっちゃいけない。だけどたまに、睡魔に勝てないときがある。そのときに限ってこの人はこうしてやってくるのだ。
「タイミングいいな俺」
『よくない』
「それ薬師と稲実の?」
わたしが見ていたスコアは春大三回戦、注目のカードだった薬師と稲実の試合のもの。それを御幸は覗き込んで見ようとしているから、必然ともともと近かった距離がさらに近くなる。
「真田がよく抑えたよな」
『う、うんソウダネ…』
「?カタコトなってるけど」
『いや、なんでもない…』
本人は特に気にしてなさそうな反応をされたから、わたしも特にそれに突っ込まなかったけど、御幸のニヤリとした表情を見てこれがわざとだと確信した。
「近い?」
『…近い』
「もっと近づいていい?」
『…なん、で…』
ニヤニヤと、いつもグラウンドでよく見る顔がぐっと近づいてきて思わず目を瞑ったら、頬に何かが押し当てられた。それが何かなんて考えなくても分かる。
「真っ赤」
『…御幸もじゃん』
「…しゃあねぇだろ」
いつも余裕そうな表情をしている彼からは想像できないであろうこの表情。それを今独り占めしているわたしは、なんて贅沢なんだろう。