■ ■ ■

青道が、一也が甲子園に出場する。

それを聞いてからの数ヶ月間、そのことばかり考えていたと思う。そのくらい、一也が甲子園に行くということがわたしにとって嬉しいような、悔しいような、一言では言い表せないような感情がどっと押し寄せてくる出来事だった。

迷って、迷って、でも夢の舞台に立つ一也を一目見たくて、ここ甲子園にきてしまった。

初戦から牽制球や打撃が注目され、そしてバッテリーを組んでいる降谷くんという投手の豪速球もあって青道高校はたちまちメディアに引っ張りだこ。

しかし前年優勝、そして去年の夏、神宮大会優勝の巨摩大藤巻高校に敗れ、ベスト8に終わった。

青道高校の最後となった試合を見届けてから、スタンドを立ち上がる。

ここから見るマウンドは、とても遠かった。
あのマウンドに立っていたのはわたしだった。それでも女であるわたしがあそこに立ち続けることはできないし、もしそうだったとしても彼がこの舞台に立つことはなかっただろう。

悔しい。悔しいけど、あんなに楽しそうに野球をしている一也は、とても眩しかった。

自然と笑みがこぼれて、一也に会いたいななんて思ってしまった。

あんなにずっと一緒にいたのにこの2年は一度も会っていないし会話すらしていない。
一也がわたしを許してくれるかどうかは分からないけど、また会えたら、話ができたら謝ろう。

「なまえ」

スタンドから降りて甲子園球場を後にしようとしたわたしに後ろから声がかかる。ここには一人で来たし、わたしの名前を知っている人なんて、一人しかいない。

『…一也』

記憶の中にある彼よりも、幾分か低くなった声、さらに見上げなければならなくなった身長、さっきまで試合をしていたからか土にまみれたユニフォーム。

2年前と少しだけ雰囲気も変わった一也に、なんて話を切り出そうか迷っていたら、右腕を引っ張られて人気のないところまであっという間に連れて行かれる。
強引なとこはあんまり変わっていないらしい。

「…忘れられたかと思った」

一也がポツリとこぼした。その一言は、わたしを泣かせるには十分だった。

「泣くなよ…泣きたかったの俺の方なんだけど」

電話もメールもできねぇし。実家帰ってもいつもいねぇし。
2年間溜まっていたものを吐き出すようにそう話す。その間わたしの涙が止まることはなかった。

『ご、ごめんなさい…』

あのね、忘れてなんかいないよ。2年間、一度も忘れたことなんてないし、むしろ一也のことばっかり考えてた。
青道でどんな投手と出会ったのか、どんな練習をしているのか、寮での生活は大丈夫か、キャプテンになったって聞いたけどいろいろ抱え込んでないかとか、もう一也のことばっかりで。

一也が高校で野球に集中できるように、別の高校に行ったり連絡をしなかったり。そんな選択をしてしまったのは、わたしたちが野球でも私生活でもべったりだったことと、わたしがほかの投手の球を受ける一也を見るのが辛かったからだと、何度も謝りながら、止まらない涙のせいで支離滅裂な日本語でそう伝えた。

その間、一也はずっと「うん」とだけ言って聞いてくれていた。

『…会いたかった』

ほんとはずっとずっと会いたかった。

「…うん、俺も」

その言葉が嬉しくて、思わず抱きついたわたしに、最初はびっくりしてたけど抱きしめ返してくれた。
汗を含んだ一也の匂いがする。全然嫌な感じはしなくて、むしろ変わらない懐かしい匂いに安心した。

「俺汗くせぇかも…」
『全然。でもなんでわたしがいるって分かったの?』
「父さんから来るって聞いてた」
『…お母さんだな…』
「まあそのおかげでこうなってんだからよかっただろ?」
『まあ…』
「てか俺まだ結構怒ってんだけど」
『デスヨネ…』

「俺の言うこと、聞けるよな?」

にやり。そんな擬音がつきそうな、嫌な予感しかしない顔でそう言うものだから、思わず目を見開いてしまった。

その間に一也の顔がどんどん近づいてきて、気づいた時には唇に柔らかいものがあたる感触が。

「…もう俺からも、野球からも逃げんな」
『…うん』

甲子園に来ると決めてから、もう逃げないと決意はしていた。だけどこんなに早くわたしを見つけてくれるなんて。

『あ…甲子園おめでとう』
「おう。負けたけど」
『それでもベスト8だよ』
「そうだなーまた夏リベンジだな」

『あとね、一也』

『好き』
「…ん、俺も」
さよならからでもうまれますように

title by まばたき




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