個人の所有する事務所にしてはいささか広すぎる一室。



二人の人間が同じ空間を共有しているというのに会話は一切無い。

必要ないからといわれればそれまでだ。

しかしそれ以上にあたかも初めからお互いが存在していないかのように振舞う二人は、第三者の目には奇妙に映ることだろう。











数多くの高層建築が林立する新宿という街。

その一角に位置する高級マンションの最上階まるごとワンフロアが情報屋である折原臨也の根城だ。





そしてその住所はよほどの“お得意様”でない限りは知ることが出来ない。



情報屋という職業柄多方面に恨みを買っている彼は、お得意の情報操作で巧みにその住まいを隠し通していた。










自分が居るのはそういう場所だ。

自分の職場がアンダーグラウンドなことくらい自覚している。

初めて訪れたときこそその広さに多少の驚きを覚えたが今となってはすっかり慣れてしまった。

とある理由によって自分が勤めていた製薬会社に追われる身となった自分を助手として雇っているのがこの折原臨也だ。



時給も一般企業に比べれば法外であるし、場所も高級マンションの一室とあって、金銭面、労働環境面は申し分ないのだが。



「何を考えているんだい?」



カタカタとキーボードを叩く音と幾枚もの紙をぱらぱらと繰る音、そして時折足音、空調設備の排気音。

様々な音が聞こえていても、臨也の声は広い室内によく響いた。



「別に、ちょっと考え事をしてただけよ」

「ふーん、そう」



自分で聞いておいてさして興味もなさそうに答える臨也。

彼のこういうところが苦手、いや嫌いなんだとこういうときに思う。












程なくして壁に備え付けられた壁時計が少しくぐもった電子音と共に正午を告げた。

臨也が姿勢を変えたことによって大きな黒い椅子がわずかに軋んだ音を立てる。



「波江、ちょっと参考までに聞きたいことがあるんだけどさ」

「無駄なお喋りをしてる暇があるなら自分の仕事をしたらどうかしら」



にべもなく臨也の言葉をはねつけると、波江は先程処理を済ませた大量の書類をそれぞれのラックに直す作業に取り掛かる。






そう、ここで働くことに対する不満という不満は全て、形式上自分の上司にあたる折原臨也の気まぐれに付き合わされることに集約できる。






初めて会った時は『存外に若い』というくらいの印象しか持たなかった。

ただそれは波江自身は情報屋という職業の人間に今まで一度も会ったことがなかったからその基準はあくまで自分の中の想像の域を出なかったのだが。

その程度にしか思えなかったのも最初だけで、少し言葉を交わすとこの男が相当の“変わり者”であることくらいすぐに理解できた。




そして職場であるが故に、はっとさせられることもありもこそすれ、例外なく不愉快な彼の言葉戯びに幾度と付き合わされる羽目になるなったのだ。


あの時にそうなることなど考えつくはずもない。


このことを考えれば現在の一般的に見れば法外な時給も妥当、いやいっそ不足なのではないかとすら思う。



「……何かしら?」

「どうしたらシズちゃんって死ぬのかなぁ?」

「さぁ、殺したら死ぬんじゃないかしら」

「波江、俺は言葉戯びをしたい訳じゃないんだけど」

「あら、あなたの得意分野じゃなかったかしら、人を唆すのは」

「人のことを悪人みたく言わないでくれるかな、これは俺なりの愛情表現なんだから」



大袈裟に溜息を吐きながら臨也は立ち上がり、デスクのすぐそばに置いてある将棋盤に手を伸ばした。

広い盤上に並べられた複数のボードゲームで使われるたくさんの駒のうちの一つ、白のナイトを前方に進める。


そうすることでオセロゲームの黒い駒に3方向を囲まれる形となった白い騎士を見て、臨也は満足そうに微笑んだ。




まったくもって彼の行動は読めたものではない、読みたいとも思わないが。



「愛し方なんて人それぞれでしょう?たとえばキミがキミの弟に向けてるそれと同じだよ」

「気分が悪くなるからやめてくれないかしら、私とあなたを一緒にしないで」

「奇遇だね、俺も丁度そう思っていたところだ」


















「ねぇ」

「何かな」

「平和島静雄とは高校時代の同級生だったんでしょう?」



臨也は盤上からオセロの駒を拾い上げて指先で弄びながらそうだよ、と軽く答えた。



「どうしてそんなに毛嫌いしているの?仮にも“人間を愛している”と明言するあなたが」



以前から気になってはいたのだ。

ただわざわざ本人に尋ねるほどのことではないと思っていたからあえて詮索するようなことはしなかっただけのこと。

もともと池袋を縄張りとしていたらしい臨也がなぜ新宿という今の場所に住み替えたのか。

それは彼の天敵とも呼べる平和島静雄と顔を合わせないようにするためだと以前ぼやいていたのを思い出した。

どうも過去に何らかの事件において臨也が自分の罪を静雄に擦り付けて逃げたことによって静雄が警察のご厄介になる羽目になったとか。

それ以来平和島静雄はこの男のことを目の敵にしていて顔を合わせる度に人外な暴力によって臨也を排除しようとするらしい。






自分がこの二人の関連性として知っていることといったらこの程度のことでしかない。



「気になる?」

「発言の矛盾が気に入らないだけよ」

臨也がキーボードに手を伸ばし、幾つかのキーを軽やかに叩く。

どうやらパソコンの電源を落としたようで、臨也の顔にぼんやりと映っていた光が消え失せた。



「いくらで聞きたい?」



発言の意図に気がついた波江はまた先ほどのようにその端整な眉をひそめて吐き棄てる。



「答えなくても結構よ」

「怒らないでよ、軽い冗談じゃない」





両手を肩の高さにまであげてひらひらとさせるその仕種は更に自分の苛立ちを煽った。

本当にこの男は他人の感情を逆なですることに長けていると思う。

仕種だけじゃない、どこか他人を他人を見下したような物言い、臨也自身はそれを愛だと称するがそれを向けられる側としてはたまったものではないだろう。



「そうだねぇ、あの理屈が全く通用しない暴力がそのまま歩いてるみたいなところとか凄く嫌いなんだけど、これはシズちゃんの暴力が嫌いな理由であって、シズちゃん自身を嫌いな理由にはならないよねぇ」



まるで自問自答するかのように音吐浪々と言葉を発する俺の傍らで波江の手は休まることなく大量の書類を捌いていく。



「人が特定の個人に好意を抱くのにきっかけはあっても理由なんてないと思うんだよね」



大袈裟な溜息とともに吐き出されたその言葉。




「恋人を好きなことに理由なんて無いでしょう?それと同じさ」



















「好きか嫌いかに理由なんて無い、嫌いだから嫌いなだけだよ」









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