「Hey! 砂夜子!」
「…………?」
廊下を歩いていた砂夜子は、突然呼び止められ、立ち止まった。
砂夜子が振り返る。その先には長身の男が立っていた。
黒い髪にテンガロンハット、右目を覆う包帯、襟元を飾るオレンジ色のバンダナ、そして何より目を引く背中に張り付いた緑色のワニ……。ジム・クロコダイル・クックだ。
ジムは片手を上げて砂夜子に近づく。
砂夜子は何度か瞬きをすると、目の前に立つ大男を見上げる。そして器用に片眉を上げた。
「確か……チム・クロコタイル・ポップ……だったか」
「oh……。惜しいな、俺はジム・クロコダイル・クックだ」
「わかっている、ほんの冗談だ」
砂夜子はそう言うと襟に掛かった髪を手で払った。
その何気ない仕草をジムはじっと見つめる。
「……ジロジロ見るな。それと、要件は何だ」
「Oh! Sorry! これから購買に行こうと思うんだが、良かったら砂夜子も一緒にどうだい」
「断る」
即答だった。
ジムは面食らったように目を丸くする。砂夜子は表情の無い顔でジムを見ると、そのまま首を傾げた。黒髪がさらりと流れる。
ジムは少しだけ固まったが、すぐに復活した。そして再び砂夜子を見つめた。
その目はいつもの飄々としたものではなく、輝いている。
「……なんなのだ、何故私を見る。気色悪い」
「Beautiful……」
「……は?」
「Beautiful!youのその黒髪、すごく綺麗だ!」
砂夜子がぎょっと目を見開いた。
滅多に表情を崩さない砂夜子がここまで顔を歪めるのは非常に珍しいことだ。
ジムは目を輝かせ、唖然とする砂夜子の手を握る。
砂夜子が小さく声を漏らした。
「ひ……」
「良かったら! 良かったらこれから一緒にこの島の地質調査に行かないかい!」
「……えええ……」
地質調査に行かないか。
それはジムにとっての最高の誘い言葉だった。つまりデートと同義である。
しかし砂夜子はジムの意図を上手く汲み取れないのか、眉をひそめた。
砂夜子はがっちり掴まれた手を振りほどこうとするも、固く握られた手はびくともしない。
「おい……」
「化石発掘でも……」
「おい! いい加減に手を離せ。痛い」
砂夜子が声を荒げた。
ジムがハッとしたように手を離す。砂夜子は軽くジムを睨みつけながら、手を摩った。
「Sorry、つい力が入ってしまって……」
「いい。それより、いきなり何なのだ貴様」
「Oh、そうだった。まあ聞いてくれ……」
ジムが眉を下げ笑う。ガシガシと頭を掻きながら語りだした。
* * *
それは3日前、ジムが島の港近くの崖で採掘作業をしていた時のことだった。
降り注ぐ柔らかな日差しの下で、ひとり静かに岩や土に触れている時間がジムは好きだった。砂を払い、土を退かし、岩を削る。手や服を汚しながら掘り当てるお宝はとても美しい。
充実したひと時を過ごし、休憩がてらペットボトルの水を飲んでいたときのこと、それは起こった。
「ん? どうしたんだカレン」
傍らで眠っていたワニのカレンが目を覚まし、少し離れた一点を見つめた。
何かを感じ取ったかのような仕草に、ジムは疑問符を浮かべる。カレンが見つめる先を同じように見てみれば、そこは港の堤防だった。そして堤防にはひとりの少女が立っていた。
「…………Wow……」
その少女は両手を掲げ、空を見ている。
少女の手には沢山のカモメ達が群がっていた。青い空と青い海、そして白いカモメ達と戯れる少女。それらはジムの脳裏に強烈に焼き付いた。
「なんて綺麗なんだ……」
それは、いわゆる一目惚れというやつだった。
* * *
「……ということだ。その後俺は君を探してアカデミア中を走り回っていたというわけさ」
「………………」
砂夜子がぽかんと口を開けて固まった。
ジムはぽりぽりと頬を掻きながら、苦笑いする。
「突然こんなことを言われても困るだろう……Sorry、すまない」
「……まあ、そうだな」
こくりと頷いた砂夜子に、ジムの心がチクリと痛む。
困っていることを肯定され、ほんの少しだけショックだった。もっと時間を掛けて距離を縮めるべきだったと、衝動的な自分の行動を今更ながらに後悔した。
「すまないが、お前の気持ちには応えられないと思う。私は観光しに地球に来たのであって、人間と、お前の望むような、そういう関係になるために来たのではない」
「そうか」
「だから、地質調査には行けない」
「……そうか」
ジムが肩を落とす。砂夜子は翡翠色の瞳でそんなジムを見上げ、続けた。
「アレルギーなのだ」
「そうか……Wat?」
今度はジムがぽかんと口を開ける番だった。
砂夜子は、すん、と鼻を鳴らし、ジムを見る。
「砂が舞うところや埃っぽいところに行くとくしゃみが止まらなくなる。だからお前と地質調査に行ってやることはできない。お前は調査仲間が欲しかったのだろう?」
「Oh…………」
色々な意味で、ジムは項垂れた。先ほどの回想は一体なんだったのか。砂夜子はジムの気持ちを理解してはくれなかったらしい。具体的にどうしたいと言っていない自分が悪いのだが。
「砂夜子……俺と……」
「地質調査は無理だが……」
「……?」
砂夜子がジムの言葉を遮った。黒いまつげに縁られた大きな瞳はとても静かだ。
「釣りなら、付き合わせてやる。まずは磯釣りだ」
そこまで言うと、砂夜子はくるりと背を向けて歩き出した。
ジムはゆっくり顔を上げる。緑のリボンと艶のある黒髪を揺らす砂夜子の後ろ姿があった。
「……Chanceはあるってことか……?」
「ガウ」
呆然と呟かれたジムの独り言に、カレンが返事をする。
ジムは、はっと我に返り、慌てて砂夜子の後を追った。