「ふあ〜あ……お! 今日もやってるな」

 俺、クロウ・ホーガンはこの日、かなり寝坊してしまったらしい。時刻はとっくに昼過ぎで寝坊にしても遅い時間だ。特に予定も無い休日だったから、まあたまには良いかなって思うけど。
あくび混じりに階段を降りてガレージに入れば、そこではジャックと砂夜子がいつものように喧嘩をしていた。ガミガミと怒鳴りつけるジャックと、涼やかな顔で受け流す砂夜子。
それがまたジャックを煽っていることを砂夜子は自覚しているもんだから質が悪い。
毎度毎度飽きないやつらだ。
とりあえず、一人黙々とD ホイールと向き合う遊星に声を掛ける。

「遊星、今日はどうしたって」

「……砂夜子がジャックのカップラーメンを横からかっさらった」

「あー……」

なるほど。
ふらっと現れた砂夜子がジャックのカップラーメンを横取りしたのか。
砂夜子はどうにもジャック限定で手癖が悪い。ジャックの反応を楽しんでいる節があるようにも見える。ジャックもジャックで、砂夜子の前ではカップラーメンを食べなきゃいいのに、学習しない。
……あ、隠していても盗まれるのか。そりゃ仕方ない、ごめんなジャック。

「まったく貴様はいつもいつもいつも! 一体どうやったらそうホイホイと他人の飯を奪い取れるんだ!」

「失礼なことを言うな、私がいつも誰かれ構わず飯を強奪している最低な人間に聞こえるだろうが。私が飯を奪うのは貴様からだけだ」

「何もフォローになっていない! 大体何故俺なんだ!?」

「一番チョロそうだからだ」

「おのれええええ!!」

相変わらずうるさい声を張り上げるジャック。一方砂夜子はどこ吹く風といった表情でソファに後ろから寄りかかりながらDホイールを弄る遊星の手元を見つめている。
そんな砂夜子が気に入らないジャックは更に怒鳴る。うるせえっての。
なんていうか、遊星が可哀想だ。砂夜子が近くにいる限り、静かに作業できないだろう。いつの間にかジャックと砂夜子に挟まれてしまっている。
俺は遊星を救うべく、そして何となく面白そうだから行動を起こしてみることにした。

そっと静かに砂夜子に近付いた。
砂夜子は俺に気付くことなくジャックに夢中だ。
そっと……そうっと……。手を構え、その背中に飛びかかった!

「おりゃ!」

がば!
無防備だった砂夜子の襟首を猫を摘まみ上げる要領で掴み上げた。
首の後ろを持ち上げられ砂夜子の踵が浮いて、ジャックとの喧嘩が中断される。
恐らく目を丸くしたであろう砂夜子から一瞬「うっ!?」という短い間抜けな声が聞こえた。いやあ、愉快愉快!

……だったのもつかぬ間。
ドサ! という物騒な音ともに俺の視界が上下逆になった。そしてやって来る強い痛み。

……投げられた。
誰に? 砂夜子に。
投げ技を掛けられ、床に倒れ伏す俺の視界に砂夜子は入り込む。
むっと眉を寄せ「いきなり何をする」と文句を言った。
……いや、確かにいきなりびっくりさせたのは悪いけど、だからって投げ飛ばすのは……うん……いや、ごめんなさい、俺が悪かった。はい。

「わりい……ちょっと脅かすつもりだけのつもりだったんだって」

「ちょっとどころではないわ、馬鹿者」

静かに怒る砂夜子。その後ろでジャックが嫌味な顔で笑っていた。
クスクスと口元を抑え、肩を震わせる。

「ジャック! 笑ってんじゃねえ!」

「自業自得だろう。ば・か・も・の」

砂夜子が俺に言った「馬鹿者」にジャックが意地悪く便乗した。
くそ、ムカつく! 覚えてろよ……!

いい加減冷たい床に転がっているのも辛くなってきたから起き上がる。
体を起こして、ソファーに這い上がろうとすれば砂夜子が手を差し伸べてくれた。
何だかんだで砂夜子は優しい。一瞬でも怒らせてしまったのがちょっと申し訳なかった。差し伸べられた手を取って立ち上がり、ソファーに座れば隣に砂夜子が腰掛ける。

「…………?」

何だか一瞬、ジャックの視線が鋭くなったような気がした。
その意味がわからなくて、俺は首を傾げる。
だがすぐに話題を変え、隣に座る砂夜子に話を振った。

「砂夜子、お前今日は何してたの?」

「今日は猫を探していた」

「猫お?」

猫ときた。なぜに猫?

「ああ。茶色くて大きな猫なんだが、その猫に会えれば……」

そこまで言って、砂夜子が黙り込む。
急に何も言わなくなってしまった砂夜子の顔を覗き込めば、砂夜子は首を横に振る。
遊星が持つものとはまた違う艶を放つ黒髪が揺れた。

「……いや、なんでもない。久しぶりに猫と遊びたくなったから、野良猫と戯れてきた。そのあと腹が減ったからジャックが持っていたカップラーメンを頂いたのだ」

「ふーん……」

自分から振った話だったけど、俺の口から出たのは生返事だった。
ジャックのカップラーメンの件はともかく、その前の猫の話が気になる。
何故最後まで言わなかった? 猫に会えれば何なんだ?

わからなくて考え込む。
そんな俺を砂夜子がチラリと一瞥した。
そしてポケットから何かを取り出すと、カサカサと音を立てて弄りだす。

「ん? 何して……んが」

ガリっと何かが俺の口に突っ込まれた。
そこそこの大きさで、つるりとしていて、甘い。
口を閉じれば視界の端に映る白い棒。キャンディーだ。
どうやら砂夜子にキャンディーを口に突っ込まれたらしい。

「……あんらよ、いひあい」

なんだよ、いきなり。じとっと砂夜子を見れば、砂夜子はにっと悪戯っ子のように笑う。
いつもの静かな表情とは違う、ちょっとレアな顔だ。

「何だか難しそうな顔をしていたから。疲れた時は甘いものが良いとよく聞く


「ほーはい……あんがと」

そーかい、ありがとうと、もごもご言いながら砂夜子の頭を軽く叩けば、砂夜子は満足そうに目を細め頷いた。
その姿にちょっとときめいてしまったのは秘密だ。

……ジャックの視線がまた鋭くなる。何なんだよったく!
せっかくいい気分だったのに。

「ジャック、いい加減邪魔だ」

静かな声が聞こえた。遊星の声だ。
すぐ傍でずっと立っていたジャックがそうやら作業の邪魔だったらしい。
どこでもいいから座れ、と遊星の目が語っていた。

「……ふんっ」

遊星に促されたジャックは鼻息荒くソファーに腰掛ける。
ドサっと派手に砂夜子の隣に沈むように座ったため、砂夜子の体が一度浮いて俺のほうに凭れて来た。

「すまん」

「いや……」

凭れていた体を起こしてやれば、砂夜子は何もなかったかのように座り直す。
砂夜子の向こうに座るジャックが大きな態度をそのままに腕を組んで大股開いて座るもんだから、俺と砂夜子の座るスペースが狭く、ちょっと窮屈だ。
だけど……。

ぴったりとくっついて座る砂夜子の膝が俺の膝とぶつかって、暖かな体温が伝わってきた。いつも野良猫と戯れるような気持ちで構っていた砂夜子だが、こうして身を寄せ合うことは無かった。だから触れた体温が新鮮で心地よく、窮屈なことが嫌ではなかった。
せっかくすぐ傍までやって来た野良猫ともう少し一緒にいたい。そんな気持ちだ。

口の中のキャンディを舌で転がしながら、さりげなく足を伸ばす。
すると俺とジャックに挟まれた砂夜子が窮屈そうに身をよじった。
狭苦しいのか、ソファーから立ち上がろうとした。
その手を引っ張る。

「うお!?」

「ぐ!?」

狙い通り、立ち上がろうとした砂夜子がバランスを崩し、再びソファーに沈み込んだ。
背中から倒れた時、どういうわけか肘がジャックの腹にめり込んだらしくジャックの情けない声も上がる。

あーおもしれえ!
間抜け面のジャックと砂夜子が面白くて俺は一人笑う。

……だのが。

「いてえ!」

ばこん!

強い衝撃と共に鈍い音が頭の中にまで響き渡り、ぐらんぐらんと視界が揺れ、そして星が散るほど痛み。
目の前には仏頂面でスパナを構える遊星。
遊星に殴られた……! スパナとか危ないだろ!

「……危ないだろ、クロウ」

立ち上がった砂夜子を転ばせたこと、ジャック達を笑った事に対する遊星なりのお仕置きらしい。
確かに俺が悪かったけど、スパナはダメだろ……。

「自業自得だ」

「まったく、懲りないなクロウも」

ジャックと砂夜子が言う。
いやまあその通りなんだけど。なーんか今日はつい悪戯しちまうんだよなあ……。

がりっと口の中のキャンディを噛み砕く。
レモンの爽やかな風味が口いっぱいに広がって、幸せな気持ちになる。
殴られた頭は痛いし、ジャックはムカつくし、気がつけば昼飯って時間でもないし、色々ついてないし、全部自業自得だけど、何だかんだで楽しいし、キャンディは美味いし、何より隣の砂夜子が暖かい。

うん、たまには寝坊もいいもんだな。
ぎゃいぎゃいとまた騒ぎ出したジャックと砂夜子とそれを宥める遊星を見ながら、俺はあくびを一つ噛み殺した。


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