「…………」

こくり、こくり。
艶かな黒髪を揺らし、砂夜子は微睡みのなか船を漕ぐ。
放課後の静かな図書室で、東側の壁に背を凭れてカーペットの上に座る砂夜子の手元を向かいの窓から差し込む夕日が照らす。
膝の上で開かれたままの本は砂夜子の手の下敷きになってしまっていた。

「砂夜子」

名前を呼ばれ、砂夜子は微睡みの中から顔を上げる。ゆったりと瞬きを繰返し、すぐ隣で自分を呼んだ男を見つけ、同じように呼び返した。

「……ジム」

「砂夜子、眠いのかい」

「眠くない」

ジムの問いかけに、砂夜子は緩慢な動きで首を横に振る。
重いまぶたを擦り、開きっぱなしで手の下敷きにしてしまっていた本のページを数分ぶりにめくった。
ぱらぱらと捲られる本には、色鮮やかな魚の写真が沢山載っている。魚の図鑑だ。
魚を眺めてる……と思いきや、再び砂夜子の頭がカクンと揺れた。
ジムが苦笑いする。

「oh……やっぱり。眠そうだ」

「うるさい、眠くないと言っている。読書の邪魔だから話しかけるな。いっそどっかいけ」

「ruthless……厳しいな」

容赦ない砂夜子の言葉にジムはわざとらしく落ち込んで見せた。
だがすぐに砂夜子との距離をぴったりと詰めて座り直す。今にも肩が触れ合いそうだ。
めんどくさそうに砂夜子が視線だけをジムに寄越した。それに満足したかのように、ジムはニッと笑う。

「少し眠るかい? 俺の肩で良ければ貸すよ」

「いらん」

ばっさり。即答だった。
ジムは落胆する。けれども彼はここで折れるような男ではなかった。
即答は予想外だったが、砂夜子が簡単に自分に触れるとも思っていなかった。
まだまだ諦めない。

「なら膝にするかい?」

「殺すぞ」

ぐさ! 思っていたよりもその言葉は包丁のように鋭く重くジムの心に突き刺さった。
ぐう、と咄嗟に左胸を抑え「sorry、冗談だ」ともう片方の手を小さく上げた。
砂夜子は「ふん」と鼻を鳴らし、図鑑を捲る。
うっすら浮かんだ涙を拭い、ジムも一緒にその図鑑を横から覗き込んだ。

「fish……そういえば砂夜子は魚が好きだったね」

「……まあな。近々、天気が良ければレッド寮下の崖で岩釣りでもしようと思って。先にターゲットを絞っていた」

「fishingか! 楽しそうだ、俺も連れて行ってくれないか?」

上手く会話を逸らすことができたと、ジムは内心ガッツポーズをする。
このまま一緒に釣りに行くという約束を是非取り付けたいものだ。

「……別に構わぬが……邪魔するなよ?」

「OK!」

「それと、全く釣れない時もあるから暇を持て余すことになるかもしれない」

「No problem! その時は君の隣で昼寝でもするさ」

「……起こしてやらないからな」

砂夜子はそう言ってまた手元に視線を落としてしまう。
ジムは満足げに頷いて、砂夜子に倣い図鑑を見下ろした。そんなときだった。

「……」

砂夜子が急に黙りこむ。そして。

「……む」

こくりと砂夜子の頭が大きく傾いた。
図鑑が膝からずり落ちる。バサバサと音を立てて、砂夜子の爪先の側に転がった。

「砂夜子?」

腕を伸ばし図鑑を拾い上げながら、ジムは砂夜子の顔を覗き見た。
砂夜子は焦点の定まらない目でジムを見る。
ゆっくりと瞬きをしている。今にも瞼を閉じて眠りに落ちてしまいそうだ。

「……眠くない。眠くないよ」

「そうは見えないね」

ジムは図鑑をカーペットに置いて、砂夜子の肩に手を伸ばした。
薄い肩に腕を回し、ぐいっと自分の方へ引き寄せる。

「ジム? おい……」

「dinnerまで時間がある。後で起こすから、休めばいいさ」

引き寄せた砂夜子を、ジムは自分の膝へ導く。
少々強引に、けれど優しく砂夜子の頭を膝に乗せた。
驚いた砂夜子は起き上がろうとするも、眠気に満たされた体は重く起き上がれない。

「おい……何のつもりだ」

砂夜子はジムをジロッと見上げた。
しかしジムは気にすることなく人好きのする笑みを浮かべ、片手でテンガロンハットのツバを押し上げた。

「枕があった方が良いだろう?」

「だからと言って、何故貴様の膝を使わなければならんのだ。カレンはどうした。まだカレンの背中を借りた方がいい」

「カレンは今日は森で森林浴を楽しんでいるよ」

いたずらっぽく笑ったジムに、砂夜子は呆れた。と同時に、今頃森では生徒たちがパニックを起こしているだろう、とも思った。
そのままくたっと体の力が抜けてしまう。眠気はMAX、限界だった。もうジムの好きにさせよう。そう思うことにする。

「わかった、好きにしろ。でも変な気は起こすなよ」

「OK]

「それと、貴様から私に手を触れるな。いいな?」

「……OK……」

ジムがひっくと口元を引きつらせながらも頷いた。それを目聡く確認し、砂夜子は目を閉じた。

「……それでは……すまないが少し眠らせてもらおう」

「あ、ああ……おやすみ、砂夜子」


 ■


 すー……という静かな寝息が聞こえてくる。
すぐ下に目線を下ろせば、膝の上で眠る砂夜子の横顔が見えた。
艶やかな黒髪が散らばっている。

「oh……」

散らばった黒髪に思わず伸ばした手を、ジムは触れる寸前で引っ込めた。
“触るな”という砂夜子の言い付け故だ。
膝から伝わる温かさに、つい手を触れたくなる。だが、それが許されないというのは結構辛いものだった。けれどもこうして無防備な姿を見せてくれるのは嬉しい。だから、言い付けを守ることにする。
膝から伝わる温もりは、ジムの胸の内も温めた。

「……俺も、寝てしまおうかな」

その温もりは次第にジムの眠気を呼び起こす。
あくびを一つこぼして、目を閉じた。砂夜子の寝息と伝わってくる鼓動に合わせて呼吸をする。そうすれば、あっという間に微睡みが訪れた。
もう一度あくびをして、ジムも眠りに落ちるのだった。


 そして、すっかり寝入った二人が目を覚ますのは夕食の時間を大分過ぎた頃だった。もちろん、夕食は抜きであった。


back


 
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -