ヤンスときゅうりと夕暮れ(イナズマイレブン/栗松)
その日の帰り道、いつものように私は栗松先輩と夕暮れの河川敷を歩いていた。
クラスの事やチームの事、本の些細な悩みや下らない笑い話……他愛もない話をしながら栗松先輩と帰るこの時間が私は大好きだった。
出来ることならずっとこの時間が続けば良いのに……。
「そういえば、さっきの練習での先輩のドリブル、凄く良かったです! マボロシドリブル……ナイスでした! あの鬼道先輩をあっさり抜き去るなんて……ほんとにかっこよかったです」
「そ、そうでヤンスか? 何か照れるでヤンス」
「はい! その後も豪炎寺先輩をスライディングで吹き飛ばしたり、シュート打ってみせたり、先輩凄かったです!」
「ありがとうでヤンス……」
「いえ……」
円らな瞳で見詰められ、私は顔を赤らめて俯いてしまった。
そして何も言えなくなって、無言で歩く。
けれど何となく視界に入った煌めきに目を見開いた。
私たちが歩く道のすぐ下に揺らめく水面に、キラキラと夕日が反射していた。それはとても綺麗で、私は思わず足を止めて水面を見下ろした。
「見てください栗松先輩! 水面が光ってとっても綺麗ですよっ」
「ホントでヤンス!」
先輩も私の隣に立って同じ様に水面を見下ろす。
肩と肩が触れあって、私は顔を赤くして栗松先輩の横顔を盗み見た。
艶のある栗のような髪、絆創膏が貼られた鼻筋、特徴的な口元……。
夕日を受ける栗松先輩をじっと見詰めていたら、ふと目があった。
「な、何でヤンスか……」
「ごめんなさいっ……」
再び沈黙……。
だが、それはすぐに破られた。
「名前! 俺……」
ガシッと栗松先輩が私の肩を掴んだ。
真っ直ぐ見詰められ、目をそらせない。
明らかに夕日のせいではない、顔を赤くした先輩が私に迫った。
「名前が好きでヤンス……!」
夢かと思った。
だって、大好きな栗松先輩に告白されているのだから。
その言葉を理解した途端に溢れる涙。私はみっともなく泣きながら頷き、返事をしようと口を開いた。
「私も先輩が……っ」
「ちょっと待った!!」
好きです。そう言おうとした矢先、ザッバーンという音と共に声が響いた。
振り向く私と栗松先輩。そこにはずぶ濡れで川の中に立つヒロトさんがいた。
「ヒロトさん!? どうしてそこに」
「河童がこの川に現れると聞いてね。探していたんだ」
「ヒロトさん頭おかしいでヤンス。河童なんて実在しないでヤンス」
「そんなことないよ! 河童は確かにいるんだよ!」
「元宇宙人が何を言ってるでヤンス」
「そんなことより!」
ザブザブと川から出てきたヒロトさんは私達の前に立つと、私を栗松先輩から引き剥がし、こう言った。
「名前、僕と付き合ってほしい。一緒に二人で愛の河童を見付けよう」
そう言うとヒロトさんは何故か手に持っていたきゅうりを私に差し出した。
青々としたきゅうりは川の水に長い間浸かっていたせいか、瑞々しい艶を持っている。私は反射的にきゅうりに手を伸ばした。
いや、伸ばそうとした。けれど、それは叶わない。何故なら。
「受け取っちゃ駄目でヤンス!」
「栗松先輩……」
小さく乾いた音を立て、栗松先輩がきゅうりに伸びる私の手を掴んだからだ。
幼さを残してはいるものの節々が角張った先輩の手は確かに異性の手で、それを掴まれた部分に集まっていく熱が嫌でも意識させる。
「栗松君、邪魔をしないでくれるか」
「いや、そういう訳にはいかないでヤンス! 名前は俺がもらうヤンス!」
「く、栗松先輩……!」
ヒロトさんとの間に入り込むように、私を背に庇うように、栗松先輩はその丸く小さな目を釣り上げて叫ぶ。コトコトと走り出す胸の鼓動に、私は只々先輩の名を呟くことしか出来ずにいる。
「何を言う栗松君! 君は確かに期待されるプレーヤーだけど、でも名前を幸せに出来るかどうかと言われたら答えはNOだ! 僕こそが彼女に相応しい! さあ、名前、このきゅうりを受け取るんだ!」
「ヒロト先輩……」
「受け取っちゃダメでやんす! 受け取るくらいなら……いっそ俺が!」
ヒロトの手から栗松がきゅうりをひったくる。きゅうりの沢山の刺がヒロトの柔らかな掌を傷つけた。
顔をしかめるヒロトを睨みつけ、そしてきゅうりを見つめる。
「栗松先輩……?」
「名前がこのきゅうりを食べるくらいなら、俺が食べるでヤンス!」
意を決したように、栗松先輩がきゅうりに食らいついた。
ぽきん、と甲高い音を立て栗松先輩はきゅうりを噛み砕く。口の端からきゅうりの汁が飛び散り、栗松先輩の頬と襟を汚した。
「……く、栗松君……!」
「栗松先輩……どうして」
固いきゅうりを咀嚼し、飲み込んだ栗松先輩は私を振り返る。
口の端の汁を袖口で拭い、私の肩を強く掴んだ。
掴まれた肩の熱にトクっと心臓が高鳴って、私はハッと栗松先輩の目を見つめた。
「こうしてしまえば、もうヒロトさんは告白できないでヤンス……!」
「栗松君、君ってやつは……! ……ふ、叶わないよ」
そう言って、ヒロト先輩はその赤い髪を白い手で掻き上げる。
群青色の瞳には切なげに歪んでいて、私は少しだけ胸の痛みを感じて眉を寄せた。
「ヒロトさん……そんなに私のこと、思ってくれていたんですね。ありがとう……でも私、栗松先輩が好きです。ヒロトさんよりも、ずっと……!」
「名前……」
「先輩……!」
感極まって、私は先輩に飛びついた。先輩の少年らしく、けれど逞しい首に腕を回してその胸に頬を寄せる。するとほのかに汗の匂いが香ってきて、私はその安心感に目を細め息を吐いた。
背中に回る先輩の腕。背中を優しく叩かれて、心地よさに酔う。
「……それじゃあ、僕は行くよ。……栗松君」
ヒロトさんはくるりと私たちに背を向け小さく手を上げて告げる。そして最後に栗松先輩を呼んだ。
「……はいでヤンス」
「……名前を幸せにできなかったら、僕が許さないから」
「はい、ヒロトさん。俺、絶対名前を幸せにするでヤンス」
そう言って、栗松先輩はまた私を強く抱きしめる。
先輩の肩ごしに見たヒロトさんは、もう私たちに背中を向けて歩き出していた。
去っていくヒロトさんの背中が夕闇に消えていく。
日は落ち、星が輝き出す。
あんなに輝いていた川の水面は黒く染まり、まるでコンクリートのようだ。
すっかり暗くなり、互いの顔ももうよく見えない。それを良いことに、私達はまっすぐ互を見つめ合い、そっと頬を寄せ合えば、私達の重なった影は闇の中に消えていった。
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