◎ぽかぽか(王泥喜)



 「お、終わんない……」

悲壮感と焦りに満ちた声を瑛真は上げた。

「成歩堂さんもヒヨコちゃんも、何も二人がかりで泊りの仕事行っちゃうことないじゃない……。みぬき嬢も友達の家にお泊りしにいっちゃうし」

ぐおおお……っと、瑛真はデスクに突っ伏した。

現在、成歩堂なんでも事務所には瑛真と王泥喜しかいなかった。
成歩堂と心音は他県まで泊まりこみで(珍しく入ってきた大掛かりな弁護の)仕事、みぬきは友達の家で開かれたパジャマ大会のためお泊り。
王泥喜と瑛真は留守番……という名の書類整理に追われていた。
小さな依頼をコツコツとこなす傍ら、その資料や書類達は後回しにされ続け、ついに山のようになってしまっていた。
朝からずっと書類と戦っていた瑛真達だが、いい加減疲労が溜まってくる。
瑛真よりも慣れている王泥喜も、大分疲れていた。
……その王泥喜といえば。

「王泥喜さん……コンビニ行ってご飯買うのにどんだけ時間かかんの……」

少し前に「夕飯買ってくる。コンビニだけど我慢してね」と言い残し事務所を出て行った。
もうかれこれ数十分経つが、王泥喜は戻ってこない。
瑛真は即席感が漂う狭いデスクに頬をくっつけて、窓の外を見る。
外はもう真っ暗だった。

「帰りたい……もう疲れた」

丸めていた背中を更に丸めて溜め息をつく。
静かな事務所にその溜め息はよく響いた。
目の前に積まれた書類を一瞥し、手に持っていたペンを放り投げる。一向に終わらないデスクワークに嫌気が差した。

「……もう8時か……」

今までは依頼で外を走り回ってばかりだったせいか、初めての(それも大量)デスクワークに悪戦苦闘し、気が付けば普段の退社時刻をとっくに過ぎていた。ずっと至近距離で書類とにらめっこしたせいで目の辺りが重い。
眉間を揉みほぐしながら、小さく呻いた。

「……眠い」

集中力も切れ、眠気がやって来る。瞼が重くなってきて、瑛真はそのまま目を閉じた。



 ■


 「……んあ」

ぱちっと目を開けて、突っ伏していた体を起こす。慌てて時計を確認すれば、最後に確認した時から数十分経過していた。いつの間にか眠っていたようだ。
キョロキョロと周りを見回し、視界にちらついた自分の肩に掛けられていたものに気付く。
手にとってみれば、それは見覚えのあるものだった。

「……王泥喜さんのジャケットだ」

あるときはソファーにブランケットのごとく掛けられ、またあるときは拘束縄の一部として皺くちゃにされている、王泥喜のジャケットだった。
今回はアイロンをあてたばかりのようで、シワ一つなく綺麗な状態だ。
これを着ている王泥喜をあまり見たことがないが、一応ちゃんと手入れしているらしい。

「あ、起きた?」

突如聞こえたのは、今まさに考えていた人物……王泥喜の声だ。
振り返れば、王泥喜がドアを開けて事務所内に入ってくるところだった。

「遅くなってごめんね。さっき帰ってきたんだけど、千秋さん寝てたからちょっと俺も外の空気吸って休憩してた」

そう言ってへらっと王泥喜は笑う。
テーブルを見れば、確かにそこには夕食であるコンビニ弁当が二人分置かれていた。
どうやら、コンビニから帰った王泥喜がジャケットを瑛真に掛けたらしい。
……というか態々整理しなくとも、ジャケットを掛けた人物が王泥喜以外にいるとは思えないが。
そこまで考えて、瑛真はジャケットをキュット握り締めた。
ささやかな気遣いがくすぐったかった。

「……王泥喜さんって、実は結構モテるのかも……」

「ん? 何か言った?」

「いえ、なーんにも。それより、ご飯ありがとうございます。待たせちゃってすみません、食べましょうか」

「どういたしまして。俺の方こそ待たせちゃったし、大丈夫!」

にっと笑う王泥喜。
妙に子供っぽい笑みを正面から見るのが何故か照れくさくて、瑛真はジャケットを肩に掛けたままソファーに座るこことで顔をそらした。


 
 「あーあ。ホントなら私、今日牙琉検事とディナーだったのに。定時で出られないからってことでキャンセルです」

「へー、ディナーねえ……。やっぱり高級フレンチとか行っちゃうの? 検事のおごりで」

「まっさか! ディナーっていってもアレです。居酒屋ですよ」

「居酒屋かー。意外と庶民派だなあ、検事」

ソファーに向かい合って腰を掛け、弁当をつつく。
何となく牙琉の話をしてみれば、王泥喜が乗っかってきた。

「ですよね。こないだも美味しそうにがんも食べてましたよ」

「がんも? うわっ、似合わねー!」

「でしょ。私もなんか可笑しくって笑っちゃいましたよ」

カラカラと笑い合う。
本人のいないところで申し訳ないと少しだけ思うが、こういった手の話が盛り上がってしまうのは仕方の無い事だとも思うわけだ。
話は“がんも”から発展して“おでん”の話へ切り替わる。

「私、何げににコンビニのおでんって凄いと思うんですよ」

「あー、確かに。大根とかいい感じに味染みて良いよね」

「そうそう! あと卵とかもしっかり茶色くなってて」

「俺あそこのコンビニの卵が一番うまいと思う! ほら、公園の近くの」

「えー、コンビニによって味って違うんですか?」

「ちがうちがう」

おでんトークに花を咲かせ、いつの間にかお互いの弁当は空になっていた。
ごちそうさま、と手を合わせて容器をゴミ袋にまとめて突っ込む。

「ふう……なんかご飯食べたら本格的に眠くなってきました」

「俺も。でも書類終わらせないとなー」

「うーん……わかってますけど、ほんとに眠いです」

こくこくと瑛真の頭が揺れる。
ペットボトルの茶を握る手もどこか頼りなく、ついには欠伸混じりに目を擦り始めた。
どうやら書類から逃げるただの言い訳ではなく、本当に眠いのだと王泥喜は悟る。
たはは、と苦笑して頷いた。

「それじゃあ千秋さん、仮眠とっていいよ」

「え、いいんですか」

「うん。俺が出かけてる間一人で作業してくれたし。眠いときは無理しないで仮眠とった方が後々効率良いっていうだろう?」

「そうですが……」

食い下がる瑛真。王泥喜は立ち上がり瑛真の机の前に立つと、積み上げられていた書類を十枚ほど取った。それをばさっと自分の机の上の書類に重ねて笑う。

「今から一時間ね。ほらほら、早く寝るなり何なりしないと時間なくなっちゃうぞ!」

「は、はい! それじゃあ……あの、すみません」

慌てて瑛真は靴を脱いでソファーに横になる。
それから肘で体を起こしながら、王泥喜に小さく頭を下げた。

「いいって。おやすみ」

「ありがとうございます。お、おやすみなさい……」

ぎこちなく体を倒し、肘掛に頭を乗せてデスクについた王泥喜の背中を見た。
いつもしゃんと伸びている背中が少しだけ丸くなっている。元々あまり大きくない背中が更に小さくなっていて、面白い。
ぼんやりとそんな背中を見つめ、肩に掛けたままだったジャケットを手繰り寄せ気付いた。

あ、ジャケットのお礼言ってない。

すっかり忘れていた。先ほど夕食の前の時点で言うべきだったというのに。王泥喜も何も言わないから、今の今まで忘れてしまっていた。
今からでも言ったほうがいいのだろうが、恐らく王泥喜はもう作業に集中している。声をかけるのが申し訳ない。
それに。

(……なんか、触ってると落ち着くのよね)

ブランケット代わりになってしまったジャケットは、手触りがよくぽかぽか暖かくて手放し難い。だから。

ま、このままでもいっか。起きたら言おう。
瑛真はジャケットに触れながらそう思った。
色々理由を心の中で呟いて、ゆっくり目を閉じるのだった。振り返った王泥喜がくすっと笑ったのを見た気がした。





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