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 「むっちゃん」

勇気を振り絞って、俺は縁側に寝そべっていた彼に声をかけた。
あにこち跳ねた茶色の髪と橙色の着物の彼が、陸奥守吉行が体を起こして俺を見る。
普段の好奇心に満ちた少年のようなきらきらとした眼差しを引っ込めて、驚いたような、呆けたようなそんな目で。

「むっちゃん。一緒にお茶飲まない? お団子もあるよ」
「……頂くぜよ」


 俺の部屋の真ん中に引っ張り出したちゃぶ台を挟んで、俺達は向かい合う。
ちゃぶ台には急須と湯呑、三色団子と煎餅が置かれていて、そのすぐ傍には大きめの世界地図が広げられていた。
俺達は顔を付き合わせ地図を覗き込みながら、ああだこうだと何気ない言葉を交わす。

「ここ、この芬蘭という国。日本から遠く離れた国なんだけどとても寒い所でね、冬の夜にはオーロラという
虹色の光の大きな帯が夜空を覆うことがあるんだ」
「ほりゃあまた不思議やき。儂も見てみたいのう」
「うん、いつか一緒に見たいね」

ね、むっちゃん。俺はそう続けて、少し冷めた茶を一口飲み下す。すると正面からじっと視線を感じて、顔を上げれば
茶褐色の瞳とかちあった。

「主、さっきから思っちょったが……儂のことを『むっちゃん』だなんて急にどうかしちゅうか?」

三色団子を頬張りながら、“むっちゃん”は不思議そうに僕の目を見て首を傾げる。不思議に思うのも無理はない。
 俺達は少し前に出会ったばかりで、しかもその出会いもあまり素敵なものではない。俺は所謂引き継ぎ審神者で、彼らを悪徳審神者から無理矢理引き取ったのだ。
そんな俺と刀剣達の関係はまだまだ溝だらけで。中には以前暮らしていた悪徳審神者の元で酷い事があった故に『審神者』である俺に対し嫌悪感を剥き出しにしてくる刀剣もいる。
 陸奥守吉行は、引き取った幾振りかの刀剣男士達の中で俺が一番最初にその名を呼んだ『最初の一振り』。我が本丸最初の刀剣男士と俺が定めた刀だ。
 陸奥守さんは好奇心旺盛で、明るく豪胆でありながら時に冷静な一面も併せ持ち、引き継ぎ審神者である俺にも明るく気さくに接してくれた。本来ならば最初の一振りである打刀と共に少しずつ本丸を作っていく手順をすっ飛ばし、駆け出しの身でありながら、いきなり高練度で希少価値のある刀剣達を任され不安を感じていた俺にとって、陸奥守さんはとても頼りになる存在だった。
だから。

「……もっと、君と仲良くなりたいと……思って」
「おん? ……それで」
「うん。渾名っていうので呼んでみようかなって。堀川くんが和泉守さんを兼さんと呼ぶみたいに……。その、嫌かな?」

いつだったか、どうすれば刀剣男子らとの距離を縮められるか考えていた時の事。偶然見かけた堀川国広が傍らにいた和泉守兼定を嬉しそうに「兼さん」と呼ぶのを見て思い付いのだ。
親しげな呼称を使ってみれば、もっと早く心の距離を縮められるかも、と。

「まずは呼び方から変えてみようかなって。もっと砕けた感じにしてみたら、早く仲良くなれるかも……って考えた、ん、だ、けど……」

尻すぼみになる俺の声。
陸奥守さんは何も言わずに団子を咀嚼している。もしかしたら呆れられてしまったのかもしれない。
言ってしまった後ではもう遅いが、考えてみれば安直な考えだったかもしれないと、俺は肩を落とす。冷静に考えてみれば呼び名を変えたくらいで仲良くなれれば苦労はない。
互を「兼さん」「国広」と呼び合う和泉守兼定と堀川国広は、同じ主のもとで共に戦い長い時間を共に歩んできた揃いの大小だ。彼らを参考にする事がまず間違いだったのだ。
どんどん俺の気持ちは落ち込んでいく。ああ、失敗したなあ。
顔を上げるのも恥ずかしくて、俺は膝の上で握った拳をじっと見つめる。俺達を包む静寂が重苦しくて、陸奥守さんも何か言ってくれればと思う。いつも煩いくらいよく喋るのに。

「なーんてね。ごめん、やっぱり今のなし。陸奥守さん、お茶のおかわりいる?」

きっとつまらなそうな顔をしているんだろうなあ、と思いながら俺は顔を上げ、居心地悪くしてしまった空気を払拭せんと無理矢理笑顔を繕い彼を見た。だが彼の顔は俺の予想とは大きく外れたものだった。

にんまりと口角を上げ、目元を緩めて陸奥守さんは笑っていた。
今度は俺が驚いた顔をする番。思わずぽかんと口を開け、まぬけな顔(だったと思う)を披露してしまった俺に陸奥守さんは嬉しそうに湯呑を差し出す。

「なんじゃ、『むっちゃん』とは呼きくれんがか? ええと思うがのう、『むっちゃん』」

むふふ、と子供のように笑う彼の顔は、いつもの明るいそれと同じで、俺はほうっと胸を撫で下ろした。暖かな湯に触れた時のように、じわりと胸の内が満たされていく。彼の笑顔を見ただけで、こんなに安心する俺がいた。

「……むっちゃん」
「おう」
「むっちゃん」
「おう!」
「むっちゃん!」

二度三度、俺は彼を呼んでみる。『陸奥守さん』ではなく『むっちゃん』と。
つい先ほどやめようと思った呼び名は、口に出してみたら少々照れくさいながらもしっくりきて、俺も陸奥守さん……むっちゃんも声を出して笑った。

「おかわり、お願いするがで」
「うんっ」

差し出されていた湯呑を受け取って、急須の茶を注ぐ。
俺の手元を身を乗り出して覗き込んでいたむっちゃんはふいに目を細め言う。

「のう、主。そんなに急がのうていいやか」
「え?」
「はようこの本丸に馴染もうと躍起になってないがか? 儂の思い違いならそれでええが。時間はこじゃんとあるから、ほがーに焦らのうていい。儂も皆も、主とおんなじやか。主と仲良くなりたいやか。まあ、和泉守や蜂須賀のような一部例外もおるが……皆口にゃ出さないがあの地獄のような場所から助け出されて感謝しちゅう。もうひとりのちいさな女子の元に行った連中だってきっとそうやか。やけどまだ気持ちの整理がついちゃーせんやつもおる。おまんと仲良くしたいと思っても、前の本丸で受けた仕打ちが頭をよぎって素直になれんやつもおる。やき、傷ついた心を直していく時間が欲しいぜよ。ゆっくり歩み寄りたいやか。
儂らはいつか必ず主に応える。やき主も焦らず歩み寄ってきてくれんかのう」

力強く、そして優しい声だった。
急須を置いて彼の瞳を見れば、真摯な眼差しで俺を見つめていた。
自分の焦りを見透かされていたことが少しだけ恥ずかしかったが、同時に彼の言葉が嬉しくて、俺は唇を噛み締めゆっくりと頷く。
手の中の湯呑を両手でそっと差し出せば、むっちゃんは「ありがとう」とまた笑ってくれた。

「むっちゃん……ありがとう」

小さくこぼした声は果たしてむっちゃんに届いただろうか。目元が熱くなり、思わず手で覆ってしまった俺は、その時むっちゃんがどんな顔をしていたか知らない。
でも、なんとなくなけどとてもいい顔で笑っていたと思う。
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