シンデレラストーリーA




上手に私を操る。


きっとこの人は優しい。
彼に私の身を全て任せた。私の妄想が始まる。もう既に異世界にいるのにも関わらず、また異世界へ私を飛ばす。


やはり貴族は踊り慣れている。
一曲はとても長いし、一言も彼と言葉を交わさないが、時間の流れは早いように思えた。


彼が周りに合わせているのではなく、周りが私たちに合わせているのだと気づいたのは、はっきりと状況把握が出来てしばらく経ってからだった。


一曲がひと度終わると彼はまた私の腕を掴み、私を会場の隅へと引き連れていく。


「ちょっと待ってろ。飲み物持ってくる」


そう言って彼は私を置いて人の間を掻き分けてゆく。


見知らぬ者に連れてこられた不安よりも、以前、どこかで同じような感覚に陥ったことがある、と思ったことの方が先だった。







それはいつどこで・・・。私に考える間もなく彼は戻ってきた。
無言で渡されたマティーニを飲もうとした時には彼はもう飲み終えていた。


「早いですね」
「ああ、喉が渇いてたからな。飲まねえなら飲むぞ」


私の可否を聞かずして彼は私の手からマティーニを奪いとった。
この人、ここまで来る間に何杯か、いや、何本か飲んだのではないかと思うほど酔ってる。さっきの優しい口調が一変して友人と話すような口調になった。


「あの・・・大丈夫ですか」


突然、彼は私の胸の方へ倒れてきた。ゼイゼイと呼吸を荒くする。


さっきのデジャブ的な感覚は消えて不安が増してくる。


「ちょっと、大丈夫じゃ・・・」


首筋に手を当ててみると物凄く熱い。酔ってるのではなかった。熱があったのだ。それも尋常じゃないほど。


彼の荒い鼻息が私の首筋を擽らせる。



「誰も呼ぶな。側にいればいい」



そう一言言うと彼の顔が私の目の前を覆った。
そして生暖かで柔らかい彼の唇が私の唇に触れた。私は不可思議な感覚に陥る。それは先ほどとはまるで違うエクスタシーな感覚。惹かれ合うようにしばらく交わす。生暖かさがいつしか熱さに変わってしまったことも気づかぬほど私は夢中になっていた。







しばらくして彼の唇が離れてゆくのが分かった。目を開けて彼の顔を見るとマスクの奥に潜む彼の瞳はどこか虚ろ気だった。


「お帰りになられた方が宜しいかと」


彼はまた私の腕を強く掴んだ。初めに掴まれた時よりも体温は増していた。
私の言葉に応答することなく、突然私を引っ張って勢いよくドアに向かって走っていった。


「どこへ行くのです?!」


言ってみたものの、彼は何も聞こえてないように思えた。私たちは重たいドアを開け、そのまま会場を抜けた。この姿を見た者は誰もいなかったことが唯一の救いだった。







廊下はやはり暗かった。光は半月の光がガラス窓から差し込んでいるくらいだった。私はどこの誰かも知らない男性に引き連れられている。とても慣れた足取りで進んでゆく。これだけは確信できる。この人はこの宮殿の内装を知っている人だ。これほど広い宮殿を迷うことなくすたすたと歩けるのは余程一家と親密な関係か、仕える者でない限り不可能だ。あとこれはまだ確信出来てないが、きっと何処かで私と会ったことがあるのかもしれない。私が忘れかけてた記憶の何処かで私はこの人の何かを知っている。


長い廊下を渡り、突き当たりで左に曲がる。更に廊下を渡り、奥の部屋へ入った。きっと彼はこの部屋が常に空いているということも知っててここへ来たはずだ。


バタンとドアを閉め、ゆっくりと鍵をかける。


「探してたぞ…ずっと…」


誰かと勘違いしてるのだろうか。
それとも私の正体を存じているのだろうか。
この人も私と同じ感覚に陥っているのかもしれない。


「きっと何かの間違いです」


不思議。


違うと否定するべきだっただろうか?
私はあなたが求めた誰かです、って答えたくなる。


どこか心地よくて懐かしさもおぼえるから。


そしてお互いは求め合った。


どうか今日だけはお許しください。
夢から覚めたらもうこのようなことはしませんから。


彼はマスクを外したが真っ暗で誰なのか検討をつけることができない。


彼は私の顔から首筋、胸に口づけしていく。火のように熱い彼の舌が私の首を這いまわしているのを感じた。優しい指が私のいたる所で滑るように弄んでいる。思い出したいのに思い出せない感触。私は自然と涙が溢れてきた。







意識が飛んでから今に至るまでそんなに時間は経っていない。まだまだ外は暗かった。
横で寄り添うように眠る彼が愛らしくて母性本能が擽られる。


ハッと現実に戻る。


早く会場へ戻らないとテマリ様がご心配なさる。それよりもこの人のご家族が彼の不在に気づかれたらと思うとゾッとする。


彼を起こさなければ。彼の身体を揺さぶって起こした。


「起きてください、早く」


しかし起きる気配はなかった。おでこに手を当てるとそれはもう先程にも増して熱かった。間違いない、これは気絶してる・・・


どうしたらいい。泣きそうになるのを堪えてとりあえず立ち上がった。私はマスクを着け、彼の分も着けてあげた。彼の腕を肩にかけ、彼を引きずるように元来た道を通る。


深刻な状態になる前に手当てをしなければ。それが重さを忘れさせる。
偶然、倒れた彼を見つけたかのような芝居を頭の中でイメージトレーニングした。
ドアの前で彼を降ろし、急ぎ気味にドアを開ける芝居をしてみせた。


「人が倒れております!誰かお助けください!」


私が広間の者に大声で援護を要請すると、一斉に私を見た。
何人かが走って向かってくる。その何人かの者に彼の治療を任せ、私はそのまま仲間達が眠る休憩部屋へと戻った。







今日は夢を見ることはなかった。むしろ昨日の出来事が夢だったのではないかと疑ってしまうほど充実した。それは彼が現れたことが全ての始まりだった。
ドレスは朝一にテマリ様のドレスルームへ返却した。


それより昨日の彼はどうなったのだろうか。
熱は下がったのだろうか。


いや、生きているだろうか。


この宮殿の医務室に彼がいるとは限らないのに、つい行ってみてしまう自分がバカみたいだった。
だけど正体を知らずしてこのまま忘れてしまった方がいいような気がした。


でも・・・


恐る恐る扉を開けると1人の男性がベッドで横たわっていた。
その男性こそ、昨日の貴公子様だった。







彼はベッドで眠っているので今なら顔を見ることが出来る。
物音1つも立てずに近づき、彼の顔をじっくりと見つめてみた。



―この人を私は知っている



一瞬にして私は血の気が引いた。もしかして・・・


思い出した瞬間、いきなり彼の目が見開いた。





「イノなのか?」









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