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あれよあれよと夜会への準備に追われ、結局私の気持ちはエルヴィンに伝えられないまま時間ばかりが過ぎていった。ドレスはエルヴィンが用意してくれて、それを身に着け、化粧を施すと陽の高い時間から内地へむけて出発する。
「今夜は、キース団長も出席される。」
「奥様と?」
きっちりとタキシードを着こなしたエルヴィンは馬車の中でそう告げた。二人乗りの馬車で団長と奥様はもう一つに乗られているということなのだろう。
「ドレス、ありがとう」
「似合っている…気にしないで。」
それにしても大胆なデザインだった。深めのスリットと大きく開いた背中が特徴的で。鮮やかなブルーに宝石のようなきらきら光るガラス細工が胸元を飾っていて繊細で素敵で。綺麗に着飾るのは苦手だけれど、やはり自分もひとりの女なのだ、美しいドレスにどこか気持ちが浮き浮きとしてしまう。
それから今夜も、エルヴィンが貴族の女の子にいい顔をして、ふたりでどこかに消えていくのだろうかと思うと辛くなった。
はっきりと自分の想いを自覚してしまうと、「好き」の気持ちを止められそうにないのだ。
しかしまだ、どんな風に伝えたらいいのか考えあぐねているところで。
告白なんてしたことないし、今まで付き合いが長かっただけにどう自分の気持ちを表せばいいのかわからないのだ。
馬車の中でふたりきり。なのに、気の利いた言葉も切り出し方も浮かんでこない。今は告げるタイミングではないのかもしれないと結局エルヴィンと他愛のない話をするだけにとどまってしまうのだった。
夕刻にウォール・ローゼ東部の大きな館にたどり着いた。シーナの中の土地ではこんな大きな館は建てられないのだろう、エルヴィンはスマートな所作で私をエスコートし、その夜会会場へと私たちは入っていった。
キース団長とその奥様がご招待されるほどなのだから今夜の夜会は規模が大きい上に重要なものだということを物語っていた。兵団のトップ、ダリス・ザックレーの姿も見られたし、団長補佐になってから顔見知りになったピクシス司令、そして最近憲兵団の師団長が代わられたのだが、こちらも団長補佐として数回お会いしたナイルさんの姿も見た。
今夜は、エルヴィンも私もキース団長夫妻の後方で貴族階級にあたる支援者の方や支援者の親類にあたる人たちに挨拶にまわった。
しばらくして、周りの人たちの顔合わせも終わったのか会場にいる人々はいくつかグループをつくって談笑していた。
「じゃあ、少し行ってくるから、きみの方も対応よろしく頼む」
エルヴィンは囁くように私の耳元でそういうと、兵団の関係者なのだろう数人の若者が談笑する輪へと入って行った。
当分はなにもすることがなくなってしまった私はバルコニー寄りの壁の近くでぽつんと突っ立っていた。しっかりとエルヴィンの位置は確認していたが、女性と話している素振りはなさそうで少し安心する。
…と、私は視線を送っていた方向とは逆側に移動しようと、きちんと進行方向を見ずに一歩踏み出してしまった。すると、トン、と軽い衝撃が肩に、その次の瞬間胸元に冷たい液体がふりかかる感覚。
「あ…すみません。」
人とぶつかってしまったのだ、私がきちんと向いていなかったばかりに…。しかし胸元はシャンパンがかかってしまったようで染みが広がっていた。ぶつかってしまったのはエルヴィンと同い年くらいの男の人で、眉尻を下げとても心配げに私の様子をうかがってくれる。
「こちらこそ、すみません。お嬢さん、お怪我は?」
「けがはないのですが…」
「ドレス、ですよね…」
そう言うと、その男の人は急に私の後ろに回り、腰を抱くように引きよせると耳元で、
「こちらに替えになるドレスの用意があるのですが、着替えに行きましょう」
と、あたかも紳士面のまま柔らかい声音で言う。
触れる所作はとてもスマートだったけれど、腰を抱く腕はびくともしない。この人、おかしい…!そう思ったときにはすでに遅く、逃げようともがくけれど、しかし逃げられない。
「私が部屋を用意するから、暴れないで…?」
ことを大きくすることにも気が咎め、声すらも出せない。そのうち男は私を連れて会場の外へ出ようと足を進める。どうしよう、どうしようと気が焦るばかりで何も行動を起こす手立ては思いつかない。
「…待て」
と、そこに背後の男よりさらに後方から抑えた声量で鋭く、男を詰るような声がした。男も私も足を止め、振り向けばそこには、ナイルさんがいた。私ははっと息を呑む。
憲兵団の師団長が交代したのは大きなニュースになり新聞にでかでかとその似顔絵と名前は発表された、だからだろうか、男もナイルさんのことは知っているようで、憲兵沙汰にされたくはないのだろう、あっさりと腕を離した。
「他言は無用だ。」
そう言い残した男はナイルさんに数枚の紙幣を持たせて去って行く。
「はぁー、お前なあ。」
ぽんと私の肩に手を置いて、ナイルさんは安堵の溜息をついた。ナイルさんとは仕事で数回会っていたのだが、ここまで砕けた調子で話すのは初めてで(それでも自分の直属の部下と同じように接してくれていたが)、気の抜けたように大息されたところを見るによっぽど彼が勇気を出してあの男を止めてくれたのだということを知る。
「ごめんなさい。…それと、ありがとうございます。」
「ああ。気を付けろよ、お前、エルヴィンは?」
「えっと…どこかに行ってて」
ったく、しょうがねえな、とナイルさんは言うと、次に突然、こう切り出した、
「俺とエルヴィン、同期なんだよ」
「………え?」
どう見たってエルヴィンの方が若いと思っていた。お歳の話題を振る前で良かった。それにしたってまだ若いのに師団長だなんて優秀なのだろうな、などと悠長に私は感心してしまっていた。
「同期のよしみだからな、お前のことも少しはエルヴィンから聞いてる」
「え…?そうなのですか。」
エルヴィンが私のことをナイルさんに話していたなんて思わなかった、だから意外そうに返事をしたのだがナイルさんは怪訝そうだった。
「お前、エルヴィンの…」
…とナイルさんが切り出したところに
「ナマエ!」
とエルヴィンの声。
となりには、あのいつの日かエルヴィンの自室で彼と会っていたマリーさんという女性の姿があった。
早足で私とナイルさんのもとへ寄ると、荒々しい表情で語気強くドレスのことを指摘した。
「そのドレス、どうしたんだ」
「まあエルヴィン、そんなに怒ってやるなよ」
先ほどの事情を知るナイルさんが私をかばってくれる。しかし、その様子が気に入らないのかエルヴィンは更に不快な表情を貼り付けて私を詰問する。
「ナイルは黙っていてくれ。君はぼんやりしているから、こんなことになるんじゃないのか。」
一方的なエルヴィンの物言いに私もカチンときてしまう。あなたは隣の美人な彼女とよろしくしていたのに、ナイルさんは助けてくださったのだ。なのに『ナイルは黙っていてくれ』?『私がぼんやりしている』?ああもう!事情を何にもしらないくせに!
「ナイルさんは、私が知らない人に誘われてたのを助けてくださったの、そんな言い方ないでしょう!」
こう言ってしまえば、エルヴィンの怒りも落ち着くだろうと思った、なのに。エルヴィンの表情は怪訝なままぴたりと容を変えなくなった。
ナイルさんが私のすぐそばで、はぁと深いため息を吐いたのがわかった。
「ナマエ、来るんだ。…ナイル、少し外させてもらう。すまない」
エルヴィンも溜息まじりにそう言うと私をエスコートして裏に用意された小部屋に私を連れていくようだった。なんで、と問おうとしてエルヴィンを振り向けばとてつもなく恐い顔で私を睨み付け有無を言わさぬ雰囲気を纏わせていたので、私は押し黙るしかなかった。
用意された部屋へ入ると、そこにはダブルベッドと上質なソファの応接セットが設えられている。
エルヴィンは部屋へ入るなり、ガチャリと鍵を閉めて私を壁に追い詰めた。
逃げ場をなくした私を見下ろして私の肩に手を置くと、大きなため息に続いてこう言った。
「君には警戒心がないのか?」
警戒心などと、エルヴィンに言われたくは、ない。だって…
「何よ、エルヴィンだってあんな美人な人と一緒にいたじゃない!…あの人、エルヴィンの恋人?だったら早く会場に戻りなよ」
「あれは…マリーは………ナイルの妻だ」
「………へ?」
「それで説明してくれ。ナイルは何から君を救ってくれたんだ。」
あのマリーという美人な女の人、エルヴィンとお似合いだなんて思っていたのに、ナイルさんの奥様だったなんて。混乱する頭の中とは裏腹にエルヴィンは、はやく答えろと言わんばかりに問い詰めるので私は言葉を何とかして紡ぐことしかままならなかった。
「えっと…貴族の、男の人にぶつかって、着替え用意してるからって腰を抱かれて、」
「それで?」
「連れていかれかけたのをナイルさんが…止めてくださったの」
まっすぐに目を見据えながら私の一言一言をかみしめるように聞いているエルヴィンに私はしどろもどろになりながらも先ほどのことを説明した。
すべて聞き終わったと分かるとエルヴィンは一層大きなため息とともに私を大きな身体で包み込んでしまった。エルヴィンが好んでつけている香水が強く香って、抱きしめられているのだと漸く実感する。
「…ナマエ、あまり俺に心配をかけないでくれ、頼む」
「ごめんなさい…」
でも、どうしてそこまでの心配を私にしてくれるのか。これは、期待してもいいのだろうか。エルヴィンも私と同じように、私と同じ思いでいてくれるからこんなふうに心配してくれるのだと、思ってもいいのだろうか。くすぐったい気持ちと、こみ上げる感情がせめぎ合うなかで私は言葉を振り絞った。
「でも…でも、どうして、エルヴィンがそんなに怒ったり心配したりしてくれるの」
「…改めて言ったことはなかったかな、」
エルヴィンは腕をほどいて顔を寄せると、秘密をうちあける子どもみたいな顔をして、すぐ口元で囁いた、
「きみを愛しているからだよ」
私は目を見開いていたと思う。
まるで時がゆっくりすすむようにエルヴィンの顔が近づいていて、私はいつの間にか目を閉じて、唇に乗る彼の感触を待つのだった。
―――――
内地の屋敷の一間。二人で寝るには大きすぎるベッドでふたり、明るみはじめた東の空を眺めていた。
「団長から聞いた、もうすぐ退陣されると。それで君が団長補佐になったことも。」
そう、と私は頷く。
エルヴィンの指が私の髪を梳いた。私たちはゆっくりと流れてゆく早朝のひやりとした空気を感じていた。
「この世界は難しく残酷だな、もしかしたら君を…諦めなければならない時がくるかもしれない、逆に俺が死ななければならないかもしれない」
「そうね」
「こわくないのかい」
大切なものをもつことが、とエルヴィンは続けたいのだろう。
「あなたは団長。人類の希望、兵団の期待、すべての重圧はあなたのもの。私はせめてあなたに安心とか安らぎとかそういうものを与えられる人でありたい。そのために、生きていく。そのために強くなる。」
自分に言い聞かせるようだった。こわくないといえば嘘でほんとうはこわくて仕方がないのだ、彼という大きな大切な存在がもっともっと私の中で大きくなっていくことが。
「頼もしいね」
「愛した人くらい守れなくて人類なんて救えないよ」
エルヴィンは髪を梳いていた指をぴたりと止めた。
「公私ともに一緒にいよう。片時も離れることは赦さない」
「はい。エルヴィン団長。」
ようやく太陽が壁の上へと顔を覗かせた。そろそろ時間だ、そうエルヴィンは言い放ち私たちは温もりの残るベッドから抜け出したのだった。
20150707 missing end
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