桃色アイロニー


リヴァイさん、
小さく呼んだ彼の名は雨の音に掻き消されてしまった。雨がぱちぱちと傘を叩いていた。

くだらねぇこと言ってんじゃねぇ、

そう言って前を歩く細身の背中はどんどん先を進んでゆく。ああ、やっぱり、大人しくしてればよかった。久しぶりに話せたと思ったのに。
いや、違うか。久しぶりに話せた、じゃないんだ、私が話し掛けたんだ。今の案件が一段落つくまでは、お互い残業続きでまともに会話すらできていなかったのを私が追いかけて、それで。



「もう、上がられるんですか」

「…ああ」

「偶然ですね…私もです」

偶然ですね、なんて嘘。リヴァイさんがパソコンを閉じて帰る準備を始めたときに私も急いでデスクを片して、急ぎで上げなくても良い仕事だけ残して出てきたのだ。
そしてビルを出たところで、しとしとと静かに降る雨にふたりして足を止めたのだった。

「お前、傘は」

リヴァイさんは抑揚のない声で言う。

「今日は持ってくるのを忘れたみたいです」

えへへ、と笑ってごまかして、気を遣われないように、リヴァイさんより先に最寄りの駅へと向かうことにした。
そのとき。ぐいと腕を強く引かれ、振り向けば私はリヴァイさんの差し出す傘の内にいた。入れ、とぶっきらぼうに言う彼の表情はビルの明かりに逆光で見えない。久しぶりに触れた体温がそこから染み渡るようで、そして強引に引き寄せ距離を縮められた身体がじわじわと熱を帯びてゆく。まばたきを忘れてしばらく立ち尽くしたままの私を、はぁ、とひとつため息をついて、行くぞ、と言った。

「あ、リヴァイさん…」

「なんだ」

歩きだした彼を私は引き留める。ここは、会社の近くなのだ。彼の傘に入れてもらうわけには…いかない。

「会社の人に見られちゃいます、よ」

「…だからどうした」

「いや、でも、あの………え?」

“わたしたちの関係”がばれてしまいますよ、と、私は言おうとした。言おうとしたけれどそれは声にならなかった。わたしたちの関係がなにものなのか私にもわからないからなのだった。リヴァイさんは機嫌を損ねたように、私に傘を押し付けるとそのまま駅へと早足で向かってしまった。上等そうなスーツの肩がひたひたと雨に濡らされてゆくさまを私はただぼんやりと突っ立って見つめていた。

ああ終わる、そう思った。たとえば私たちが恋人同士だったとして、それが終わるのは今日いまそのときだと、思うのだ。
まわりの光が流れてゆく。早足のビジネスマンが邪魔くさそうに突っ立ったままの私を追い抜いた。リヴァイさんが、見えなくなる、その直前のこと。

数週間前の暖かい記憶が、私の身体を動かしていた。



―――――


腕の中に微睡んで、好きだという気持ちが溢れて締め付けるような胸の痛みさえ嬉しい、そんな甘やかな時間にどっぷりと浸っていられたあのとき。
恥ずかしがりの私と、仕事のときとは考えられないくらい甘やかすリヴァイさんと。

私の最寄り駅から2つ先の駅からすぐのマンションにリヴァイさんの家はあった。ひとりで暮らすには大きすぎるその家に私はよく入り浸っていた。いちばん最初は何がキッカケだったっけ。
外回りの仕事を一緒にするようになってから自然とランチは一緒に摂るようになって、そのうちオフの日にも美味しい店があるから、とデートのようなものを繰り返すようになったのだった。私はずっとリヴァイさんに憧れていて淡い好意を持っていただけに、このデートの先には恋人同士になれるのかもしれないと期待をしていた。
そのうち、夜にも会うようになって、初めてリヴァイさんの家に行ったのはお互いにお酒が入っていた日だった。ほろ酔いだったくせに、お酒を言い訳にして私は少しだけリヴァイさんに甘えた。リビングのソファで彼の肩に寄りかかるとリヴァイさんは腕を回して引き寄せてくれた。はっとして彼の顔を見るとものすごく真剣な表情と瞳に射抜かれて私は顔を反らすことができなくなってしまう。そして徐々に縮められる距離。一瞬だけ、唇が触れ合った。

「終電は無い、タクシーを 呼ぶか?それとも…」

リヴァイさんはそこで言葉を切ったけれど、その先はわかっていた。私に選ばせる彼が狡くて、一瞬冷えた頭に遊びのつもりではないかという考えが過ったけれど、リヴァイさんに限ってそんなことはないと信じて、私は「帰りたくない」と言ったのだった。


それから自然と恋人同士のように家を行き来し、リヴァイさんは好きだとは言わないものの、私をたっぷりと甘やかし当然私たちは両思いなのだろうと、そう思っていた。

しかし、この数週間に渡る繁忙期。リヴァイさんとの時間を捻出するものの誘われないのは彼が忙しいからだと私は自分の感情をぎゅっと奥に押し止めていたのだった。
そして今日。仕事を切り上げた彼にあわせて会社を飛びだした私は彼の傘を握り締めて、リヴァイさんの背中を追いかけていた。



「リヴァイさんっ…!待って、」

関係が終わるなら。もし、終わってしまうのなら、ちゃんと私は好きだといって終わりたい。追いかけなかったから終わりました、なんて嫌だ。その思いだけで私は彼を追いかけることができた。
どんどん強くなる雨足、リヴァイさんは私に気づいて立ち止まり振り向いてくれる。私は傘を差し出してリヴァイさんを傘に入れ、彼と向き合った。

「風邪…引いちゃいます、よ」

「……」

「わたしリヴァイさんが好きです」

思いがけず、さらりと想いを口にした私に、リヴァイさんの驚いたような表情が見えた気がした。
今度は、私が返事を待つ。
もう飽きたと言われるならそれまで。フラれて終わる未来と、もしかしたら、という期待で頭がおかしくなりそうだ。

「……行こう、邪魔になる」

しかし返ってきたのはこの言葉。
確かに歩道の途中で立ち止まっているのは、邪魔になるから、だけど……だけど…。
リヴァイさんはわたしをどう思っているのかは依然わからないままだ。
あっけにとられていた私の腰を抱き寄せるようにして傘を差してくれるリヴァイさんに気づいてまた更にわからなくなってしまうのだった。

「ナマエ…」

リヴァイさんは傘に私を入れて歩きながら、私の耳元で名前を呼んだ。

「今夜俺の家に来てほしい。…帰してやれねぇと思うが、いいか?」

心地よい低音の声が私の鼓膜を振るわせる。これがリヴァイさんなりの返事なのかと思うとくすぐったくて、でも彼からの「帰したくない」が嬉しくて。
リヴァイさんがどんな顔をしているのか知りたくて、ちょっとは照れていてくれることを期待したのに後ろを一瞬振り向いた私の方が、驚くほど優しげな顔をした彼に照れて顔を熱くしてしまうのだった。


雨はまだまだ止みそうにない。
寄り添い歩く二人の傘は相変わらずぱちぱちと雨粒を弾かせていた。




20150410 title by ネイビー

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