深緑と土煙と暗赤色

新兵の配属も完了し、分隊長含め幹部組は次回の壁外調査に向け多方面の仕事に忙殺されていた。
今日の馬術の訓練を終えたら今一度、奇行種含め巨人の資料を洗い出し作戦案を練ろうと頭で考えながら兵舎へ戻る道すがら、エルヴィンが私を引き止めた。

「このあとお茶でも?」

まだ日も高い位置にある…業務時間内だ。なに言ってるの、と言いかけて、やめる。これは隠語か。
上官だけの作戦の打合せなどは下の兵士らには気づかれないように行っている。班長以下の兵士が、上官が上官だけの打合せを行っていること自体を知っているのは構わないが、どこで集まって、いつ、何の話をしているのかを知られてしまうようでは困るのだ。

「わかった、資料を取ってきてからでも良い?」

「…ああ、待ってるよ。」

じゃあ、と別れたところで、私はその足で書庫へ向かう。
――忙しくて、というのもあったけれど、エルヴィンとのことは何も考えないでそのままそっとしておこう、と考えるのをやめてみたら驚くほど気持ちが軽くなった。やっぱりあんなちょこっとのことだったのに浮足立っていたのだと思う。
前の関係のまま、信頼のおける先輩であり仲間、それだけだ。
目当ての資料をいくつか引っ張り出して腕に抱えると、そのまま書庫を後にし、エルヴィンの執務室へと向かった。


「失礼します。」

執務室へ入室すると、若い女性兵が紅茶を振舞ってくれた。にこにこと愛らしい笑みを浮かべてエルヴィンのそばに侍る彼女は新しい副官なのだろうか…。私と話を進めるために、エルヴィンが席を外すように彼女に言うとあからさまに嫌な顔をしてしぶしぶといったふうに退出していった。

「新しい副官?」

「いや、懐かれてしまってね、新兵だよ。」

ああ、そうか。と妙に納得した。新兵は訓練以外にほとんど雑用のような仕事しか与えられないのだ。だからエルヴィンのお茶汲みでもしているのだろう。エルヴィンの班に配属されたという彼女を満更でもない様子でエルヴィンは見送っていた。女の下心に気づかない男でもなかろうに…やはり男は若い女の子が好きなのね、と少しだけ毒づいてしまう。

「…気に入られてるじゃない」

「なんだ、妬いてくれるのかい?」

「そうね、で、本題にしましょう」

本音とも嘘ともつかないはぐらかし方にも慣れてしまった。
肩を竦めてからエルヴィンは書類を机から取り出して差し出し、少し抑えたトーンで議題へと入っていった。その本題はといえば団長づての連絡を含め、エルヴィンと私が幹部会議の際に衝突していた部分の話し合いが主で。
思えば、壁外調査の日程が決まってからの会議ではほとんど私とエルヴィンの論争が風物詩のようになっていたのだった。時には冷酷ともいえる判断を即座に下すことのできるエルヴィンと、新兵を切り捨てることに納得のいかない私と。作戦立案の時点で私の立てた案の甘いところをすぐさまエルヴィンは指摘し返していた。またその指摘に対し私のほうも反論をするから会議の空気はそのたびに重たくなってしまっていたのだ。(だからといって互いに公私混同しないから会議であんなに言い合った後だというのに夕食を一緒に摂ったりするものだから、初めはミケさんも混乱していたらしいが。)

やがて二人で行う話し合いにもひずみを生じ始めてゆく。

「納得いかない、ここはなぜ退避の命令を出さないの」

「ここで退避を下せば後列の班および荷馬車がやられて結果損害は大きくなるはず」

それはそうかもしれない、だから「でも」とさらに反論するのに躊躇した。
分隊長のキャリアが長いから経験則に従う、というよりもエルヴィンの判断には非の打ちどころがないのだった。腑に落ちないやり方だとしても長い目で、広い視野で見てそれは合理的なのだった。


壁外調査への日数は刻々と迫る。
新兵や部下に課す訓練は厳しさを増してきていた。

しかし、壁外調査の前日には昨日までの訓練が幻だったかのように穏やかな一日を過ごす。この日は軽い訓練のみで後は各々自由な時間を過ごすのだ。私はいつもどおり馬の世話をしてやり、自室に引き下がろうと思っていた。そこに、新兵の男の子が現れた。あの告白をしてくれた子だった。

「ナマエさん、」

愛馬の背を撫でながら、どうしたの、となるだけ穏やかに彼に問う。下を向いていた彼がどんな表情をしていたのかはわからなかった。

「あの、好きです。」

そこで初めてはっとして彼の顔を見る。張りつめたような、それでも冷静な表情でかたく唇を噤んでいて。私が言葉に迷って黙っていると彼のほうが続けて言った。

「やっぱり、最後になるかもしれないじゃないですか」

ちゃんと言っておきたくて。と。
彼は始終うつむいていた。

人の上に立つ立場になってから気付いたことがある。自分の考えに賛同してくれること、性質や人格を指してあなたのそういうところがいいよねって言ってもらえることが、どんなに些細なことでも嬉しいし自信になるし、責任ある立場に立つ為のパワーになる、ということ。
自分の判断で部下の生死が決まる立場になって初めての孤独と重圧をこれまでにないほどに感じていた。それでも私の判断に従順である部下や、励ましてくれた同期には救われていたのだ。
だからこの彼も例外でなくて。打算的なものでも自己を押し付けるようなものでもなく純粋に慕ってくれる彼の想いは私の確かに活力になっていた。
だからこそ。ここで有耶無耶に誤魔化すのも、約束できない未来を語るのも違うと思う。


「ありがとう、嬉しい。でも、最後かもなんて言わないで」

ね?と諭すように言えば彼はほとんど泣きそうだった。きゅっと唇を引き結んだ彼にぽんと肩をたたいて、生きて帰ろう、と呟くみたいに言った。

「ナマエさん、帰ったら、そのとき答えを聞かせてください。」

今、答えを出してほしいなんて、俺そんなの卑怯だと思うので。と彼は言う。確かに先ほどよりは落ち着いた彼に私は安心して大きく頷いた。



―――――



そして、壁外調査へ。開門30秒前。
キース団長の背後の位置、エルヴィンとミケさんの間で開門を待つ。ああ、何度目の壁外か。もう何百回も出ているような気がする、と、私はいつもそう思っていた。
生きて帰ってもう一度この土地を踏むんだ、その思いで目の前の扉を見つめた。

「開門開始!全員前進せよ!」

キース団長の指揮で全隊がけたたましい馬蹄の音を街に轟かせ前進する。
援護の班員たちが予め門付近の巨人を討伐してくれていた分、初めに巨人と出くわすことはない。そのまま目標の巨大樹の森へと隊全体が進んでゆく。

「南東よりおそらく10メートル級、こっちへ向かっています」

ミケさんが鼻を利かせて南東の巨人を宣告した直後、奇行種らしいそれはすぐに現れた。東の方向で控えた班長クラスの兵士とその部下に指示を送る。全体はそのまま目標地へ前進。
…と、ここまでは順調だった。現れた巨人は一体ずつか二体ずつだけ。討伐も順調。軽傷が数名だけという出来。
巨大樹の森にそのまま侵入する。ここからは視界が悪くなる上、隊を広げて調査を進める。
ここで私の班は幾分か後方に下がることになっていた。
団長、エルヴィン、ミケさんの班が前方を固めているのだ。
後列として前列の班の後を追うように一定速で慎重に森の中を進んでいくと、兵士の死体をちらほらと発見する。
もっと奥へ進むと、ある一か所で多くの死体が重なり合うようにして横たわっている地点にたどり着いた。
――どうして、多数の巨人がまだ近くに…?
ぴりりとした空気が背後の部下たちにも伝染してゆく。

「ナマエ!」

とそこで出会ったのはまさかのエルヴィンと彼の班。
…どうしてここに、かなり前列にいたはずなのに。

「大量の巨人と出くわした、不運だった。」

エルヴィンは悔しそうに言う。キース団長と前方の班は先頭に立ったまま前進しているが、この痛手、陣形もバラバラ。もうすぐ撤退命令が出るだろうとエルヴィンは告げる。
…そして上がった、撤退命令を示す信煙弾。

撤退準備をしなければ、とエルヴィンとともに馬を翻すと、森の奥の方から耳をつんざく悲鳴が私たちの身体を強張らせた。私たちの直ぐ近くでまた部下がやられそうになっているのであろうことには容易に気付いた。しかし撤退命令は出たのだ。その悲鳴の主を助けに奥へ行くのは命令違反で。行こう、とエルヴィンは馬を促す。
しかしその瞬間、どうしても見捨てられない、と私は思わず手綱を引いてその方向へと駈け出していた。

「ナマエ!」

エルヴィンの声が聞こえたが、もうすでに、巨人に立ち向かう一人の兵士を見つけてしまった。どうして飛ばないのだろうか…トリガーが故障したのか…カチ、カチとトリガーを引く音がするのにアンカーが飛ばない様子だった。私が助ければ、救える命なのだ、と私は確信する。運よく巨人はのろまで、ゆっくりと彼女の方へ手を伸ばしていて私に興味を示してはいなかった。愚鈍な動きでやっとこちらを振り向こうとしたそれに対しなるだけ早く背後へ渡るアンカーを指し、周りに他の巨人がいないことを確認し、地を蹴り上がった。
そして、肉を削ぐ感触。
確かにやった、と思った感覚で、そこに立ちすくんでいた女の子ともども馬に乗り、退却している隊にそのまま混じった。

分隊長がこんなに後方にいて良いのか…いや良いはずはなかったが、そのまま全速力でシガンシナまで帰還するしかなかった。とにかく無事だったその子の顔をちらりと確認すると、私はその見知った顔に思わず息を飲む。エルヴィンの部屋にいた、紅茶を入れてくれた…その子だったのだ。





20150404

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