空が金色にくすんでいる

もやもやと思うところあってなかなか寝付けないだろうと思って、昨晩は結局急ぎでやらなくてもいい書類にまで手を付けた。それに集中している間は仕事以外のことは忘れられたし、睡魔が訪れるのも時間の問題だったので訓練に支障ない程度は睡眠をとることができた。

新兵を伴っての訓練は初めてなのだ。気を引き締めよう。
今朝目が覚めてから考えてしまうことと言えばやはりエルヴィンのことだった。
内地に恋人がいるのなら、バレないとでも思って浮気しようとしたのか(いや、私とのことは浮気にさえならない程度のことなのかもしれない)。真面目でひたむきな人間だろうと10年もの間で築き上げられてきた彼のイメージは、ただ私の都合のいいように作り上げた只の虚構だったというのか。
不信感や虚しさがざわざわと胸のあたりを支配してゆく。
もうほとんど無意識に立体機動ベルトを締めることなんてできるけれど、きつめに身体を縛るそれの最後の留め具を留める前に、彼のことに関してもう考えるのは止めようと心に決めた。仕事に集中するのだ、と。


「おはよう、ナマエ」

「おはよう、エルヴィン、ミケさん」

朝食を摂りに食堂へ行けばエルヴィンとミケさんとちょうど一緒になった。自然と三人で席に着く形になって、仕事の確認をすこしと雑談をする。

「きみは俺やミケより立体機動術がきっと得意だろう。その点の指導を特に頼む」

「エルヴィンとミケさんよりも得意っていうのはわかんないけど…得意分野だし、頑張るわ」

エルヴィンに不信感を抱こうとも、目標そして憧憬するその人に褒められて期待されれば、気分はすこし明るくなった。そして自分が新兵に指示を出し、指導する立場にあることに身が引き締まる思いがした。


―――――



一通りの調査兵団員がこなす訓練を順を追って行えば、訓練兵団上がりの若者たちはさすがにスタミナはあるようだった。しかし…

「集中力はやはり足りないな」

エルヴィンの包み隠さない率直な意見に私は苦笑した。訓練兵団のときと調査兵団に入って最も異なることといえば本物の巨人を相手に戦うか否かということだ。
シガンシナ出身者ならばぼろぼろになって帰還した調査兵団を目の当たりにしていたり、ウォール・マリア南区の出身者なら巨人の足音くらいなら聞いたことがあるんじゃないかと思う。しかし予想することと実際に行うことには、聞いて学ぶことと見て学ぶこと以上の差が存在する。

「休憩にしようか」

「了解です」

新兵たちは本物の巨人だと思って模型を伐ることなどできるはずがないのだ。そんなものは各々の想像の中でしか行われないのだから。
それでも。壁の外にでて自分の命を守る術くらいは身に着けておいて欲しいと私は思う。
新兵の初仕事は巨人を討伐することじゃない、無事に生きて還ることにある。そう言っても過言ではないと私は思っている。

「ナマエさん…!」

「あ、お疲れ」

休憩を言い渡して私自身も木陰で休んでいると、昨日資料を運ぶのを手伝ってくれた男の子がいた。まわりには数人ほど彼の友人と思われる男の子と女の子がいる。

「どう?訓練の調子は?」

「はい、あの、立体機動のこつをナマエ分隊長に聞きたくて、俺たち。」

瞳をきらきらさせて人類の希望になれると信じて疑わない彼らの瞳は眩しい。
立体機動術は得意分野だし、私の指導で新兵に得られるものがあるはずだと期待されているのだし…私は快諾した。



「…で、このときはこうやって…」

「ああ、なるほど!」

「って、私が女で小柄だからこういうふうにしないと飛ばないからこうやってるんだけど…」

「いやいや、参考になります」

話がひと段落したところで顔を上げると、自分と同じくらいの目線の高さの新兵数人に教えていたはずだったのに、いつの間にか一人やたら大きい男の子がまじっていて驚いた。いや、顔を見上げると、男の子…じゃなかった。その人は、ミケさんだった。

「わ!ミケさんいつのまに!」

「ミケ分隊長!」

新兵たちは初めて言葉を交わすであろう大きな分隊長に畏まって敬礼を執る。

「ナマエ、ちょっといいか。」

「はい」

「ナマエ分隊長ありがとうございました!」

新兵たちに手を振ってその場を離れてミケさんの要件をうかがう。

「ナマエ、見ていてどう思う?」

どう思う、とは、突飛な才能を見せる新兵や逆にこの子を前線に置くには不安がある新兵についての情報交換だった。班編成を行うためには重要な情報でありこういった情報は共有しなければならない。

「んー…彼はかなり立体機動がうまい、けどちょっと自信家なのが心配かな、斬撃は普通。欲をいえばもっと速く伐れるといいのだけど」

ふたりで周囲を見回してひとりずつ長所と短所を客観視しながら議論してゆく。
…と。私の視界に入り込んだのは、主に女性兵に囲まれたエルヴィンだった。休憩だからといってエルヴィンのところに聞き込みや指導をお願いに行ったのだろう。べつにそれでモチベーションが上がるならいいけれど…また私の胸には靄がかかる気がした。
私がエルヴィンの方を見ていたことに気づいたミケさんが口を開く。

「ああ、エルヴィンは相変わらずだな」

「いつもああなの?」

「そう妬くな」

「妬くな、って…妬いてないし。」

ふん、と鼻を鳴らして視線をそこから逸らした私をミケさんは微笑したようだった。

「まあ、いつもああだな…壁外調査の時の無情さでファンはそのうちちょっとは減るが」

「……へぇ」

あくまで興味のない風を装うけれど、もはや隠すこともなくクスクスと笑うミケさんには私の思っていることが分かってしまっているらしい。
なんだか恥ずかしくなって体温が上昇したのか私は急に暑くなってジャケットを脱いだ。今日はもともと晴天で、気温も高いし。ジャケットを脱いで首元を仰いで風を通すようにする。


「おっと…!おい、ナマエ!」

「へ?」

急に声を荒げて私の名前を呼んだミケさんはこわい顔をして私の脇のあたりを凝視していた。
どうしたの、と聞く前にぽんと頭を叩かれる。

「ベルト、外れかけてる」

「え、うそ」

ここ十数年もほとんど毎日身に着けていた立体機動ベルトが締める時の不注意で外れかけていたのだ。
…きっと今朝、注意力散漫なまま締めていたからだ。思い当った私は自分がとんでもないことをしていたのだと恐ろしくなる。もし、訓練の最中に外れて落下していたなら…。壁の中でしかも訓練中に死ぬかもしれなかったのだ。
ひやりとしたものが背筋を這い上がって、身震いする。

「ど、どうしよう…とりあえず…直さなきゃ」

全身に張り巡らされたベルトはいったんすべてを外さなければ直りそうになかったので私は慌てて本部へ戻ろうとした。それを、ミケさんはすぐさま引き止める。

「おそらくもうすぐ集合がかかる」

「え、じゃ、じゃあ…」

「俺が直してやる、やつにばれたくないだろう?」

こわい顔をしていたミケさんはもうどこにもいなくて、私が自分の冒した危険を理解したと分かるとふっと優しく気遣ってくれた。
私はミケさんに甘えることにする。
確かに、エルヴィンにばれたくはない。鬼のような形相で叱られるのが目に見えているし。

静かにミケさんは私のベルトを掴んで捻じれを直していく。
ああ、きっと今朝ほかのこと考えていたからだ…。どうして、と後悔せずにはいれなかった。こうして新兵でさえしないようなミスをして、こうしてミケさんの手を煩わせて。
こんな自分が分隊長で大丈夫なのか、とかそんなところにまで考えが至ってしまう。

「あまり余計なことは考えるな」

ミケさんの言葉はやさしい。ベルトを直してくれる指もやさしい。
…ほら、直った、とミケさんは言ってくれた。


「ありがとうございました」

と、ミケさんに背を向けるようにして直してもらっていた私はミケさんを振り向いた。
――すると、そこには居ないはずの人が立っていて。私は途端に動揺し、はっと息を飲み込んだ。

「え、エルヴィン」

「ナマエ、ミケ…?何してた。」

エルヴィンはさっきのミケさんとは比にならないほどの恐ろしい表情で私を見下ろした。
いつもなら背の低い私にあわせて顔ごとこちらに向けてくれる彼が顎を上げたまま視線だけで私を見下ろしているのだ。

「えっと…あの…」

「ベルトのねじれを直していたんだ」

「ミケが?ほう…」

「いや、すまない、俺がしてやると買って出たんだ」

しどろもどろになって何も答えられないでいる私に代わってミケさんがエルヴィンに答えてくれる。
危険な状態だったことは上手く隠して話してくれるミケさんに顔が上がらなかった。

「ベルトを捩じったまま装着するなんて新兵のようなミスをするんだな。ナマエ、気が緩んでいるんじゃないのか」

尤もだと思った。
しかしずっとずっと目標にしていたその人に、冷たく吐き捨てるように言われてしまえば私の視界はすこしずつ滲んでゆく。
自分が冒した情けない失敗にも、ずっと近づきたいと憧れていた彼に突き放されたことにも、心が折れそうだった。
泣くまいと思うのに、瞼の淵はどんどん重くなる。
誤魔化すように天を仰いだ私の耳に届いたのは、すこし…否かなり不機嫌な声音の集合を知らせる怒号だった。

20141105 title by is

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