網膜に緑

※1万打リクエスト
遅くなってごめんなさい…!





片目の視力を失ってしまった彼女は兵団の前線から外されて、しばらくは荷馬車護衛班として壁外調査に出ていた。
兵団の医師と一部の医療班の人間、そして当時の団長キースのみにしか共有されることのなかったこの事実は他の兵士についぞ知られることはないままだった。
そんな折、彼女は団長に辞隊を申し出る。目に負った傷のせいで班編成に気を遣って貰うこと、前線にいたときのように成果をあげられない歯がゆさ、思うように動けない肉体を纏いながら分隊長として部下を統帥する立場にいること。すべてが窮屈だった。彼女にとって自由の翼が却って錘になっていった。
団長は唸り、ひとつ、彼女に提案をした。
「お前を金に変えることになるが」と。
彼女は兵団の為になるのなら、と快諾したのだった。



上等なワンピースはレースのあしらわれた裾がひらりひらりと脛のところで揺れていた。風がそれを靡かせるから、慣れない手捌きでそれを撫でて椅子に腰かける。
どうしてそんな格好をしてるんだ、とエルヴィンは笑った。

「似合わない?」

「似合ってる、こっちのほうが本当の君なのかとおもうくらいね」

彼はそう茶化したけれど、彼女は曖昧に微笑むだけだった。

「…今日は内地なの」

それだけ言うと彼は眉を顰めた。
彼女の表情は変わらないままだった。どこか遠くて近いただ一点を見つめたまま僅かに笑みを浮かべている。
綺麗に切り揃えられた爪がつやつやと深緑のワンピースの上を滑った。
所作もどことなく溌剌さが抜け、儚げな美しさを纏っている。目の前に座る女は一体誰なのかと錯覚するほどに、いつもの彼女とはまるで違っていた。


「いつ、帰ってくる?」

「……」

彼女は、答えない。

「明日か、それとも、週末には…?」

「…言えないの、ごめんなさい」

「君が数ヵ月前に前線から外されたことと、関係があるんだろう?」

ああ、勘の鋭い彼は殆ど気づいている。いま初めて彼女は顔を上げて彼を見た。
あまり表面には出さない同期の、怒りとかやるせなさとかそういうものを剥き出しにした表情を目の当たりにして漸く彼女はたじろいだ。

「君と前線に居たときは、良かった」

エルヴィンが昔を懐かしむみたいに呟く。おんなじ思いで彼女も彼を見ていた。
ともに壁外で団長の左右を固め、兵団の盾となり矛となり共に戦った同期。言葉なんか無くたってどう動けば良いのか、互いがなにを考えているのか、最もよく理解できる仲間だった。連携すれば自分の四肢と同じように思い通りに動くことができた。
信頼関係というものなのか、波長がそっくりそのまま同じなのか。
十年近くも一緒にいた結果なのだろう。
共闘できなくなった日から、エルヴィンは自分の半身を千切り取られてしまったかのように喪失感にひしめいていた。


「私の左目、みえないの」

「…だから?」

「内地に嫁ぐよう辞令を出してもらったの」

「ナマエ…」

「やめて」

そんなふうに名前を呼ぶのは。
エルヴィンの片手がナマエに触れる直前で、時間ごと止められたかのようにぴたりと止まった。
そのまま宙に浮いた腕は、微動だにしない。

互いの心臓が透けて見えるようになった頃から、ふたりとも気が付いたことがある。
他の誰にも感じたことのない感情だったそれは未だ一線を画してエルヴィンとナマエをただの同期為らしめていた。
その一線を真下の足元に見据えながらも、決して越えようとはしなかったのは、ふたりが臆病だったからなのか。
−−いや、違う。
一緒に為れることなど到底叶わないと分かっていたからだ。守ってやれる約束も生き延びる約束もできないふたりの残酷な運命だった。
共に背中を預けて戦っている間は良かった。
互いが互いに生きていることを、溶け合うように息を合わせて戦うことでこそ実感できていたのだから。


「やめてよ…私、幸せになるんだから、こことはちがって、安全な内地でね!」

下手くそな彼女の嘘。
瞳の淵は潤み、睫毛がきらきら濡れている。
ナマエに留められたエルヴィンの腕は再び動き出した。最後なのだから、いいじゃないか、それより、もう、時間がない。
−−余裕も、ない。
椅子に腰掛けた彼女を背中から掬い上げて、その両腕に包み込む。
はっ、と息を飲む音が胸のなかで聴こえた。

きつい男の腕で、ナマエは身を捩りなんとか彼の顔を見上げる。エルヴィンのくちびるは彼女のなまえを紡いだ、そして。

ふたつの喉がふるえた。


「…だめ。」

彼の一言目は声になることさえ叶わないまま彼女の強い拒絶の言葉に掻き消されてしまう。

「言ったらもっとかなしくなるでしょう」

うつむき加減の彼に合わせて、覗き込むように見上げた彼女の瞳はとても美しかった。
そしてそれきりエルヴィンはなにも言えなくなってしまうのだった。


「もう行かなくちゃ」

「…そうか」

深緑のワンピースを翻し、少ない荷物を拾い上げて彼女は言った。
馬車まで送る、とエルヴィンも付き添い歩き出す。
前を歩くナマエの背中はとてもか細く見えた。
この背には、たしかに自由の翼を背負っていたのだ。
奥底まで翳りなく透けて見えた心臓はもう、幾重もの紗幕に包まれて見えなくなってしまった。
彼の網膜に焼き付いた残像は最後の彼女か、同期の彼女か。

20141024

リクエストは、「お互い惹かれあってるのにうまくいかない切ないハートブレイクなお話」でした。ありがとうございました!

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