甘い言葉を耳元で
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ふんわり髪を巻いて、適当に髪飾りをつけて。
恋人に買ってもらった一張羅のイブニングドレスを身に纏う。彼の瞳の色と同じライトブルーがとても綺麗でお気に入りの一点。
彼に、胸がないのがコンプレックスなの…と密かに伝えたら、胸元に控えめなフリルがあしらわれたデザインの、私にはとても勿体ないくらい素敵なドレスを選んでくれたのだった。
ともに内地に買いに行った日のことを思い出して、無意識のうちににやにやしてしまう。
「ちょっと綺麗にしすぎじゃないか。」
「わ…!ちょっと、着替えてたらどうするのよ」
ドレスの裾を翻して姿見しているとノックもなしにエルヴィンが部屋に現れた。抗議の声をあげても、彼は全く意に介す様子はなく、それどころか、鏡にむかって口紅を引いている私の鎖骨の辺りにゆびを這わせて楽しげに言う、
「よくここの痕が消えたね、」
「……消すの大変だったんだから、もう付けないようにしてね」
「それは無理なお願いだな。…付けても?」
「ダメに決まってるでしょ!」
私は冗談じゃないと言わんばかりにエルヴィンの這うゆびをパッと退かした。鎖骨下デコルテに幾つか付けられたキスマークはなんとか化粧によって隠しているのに、この期におよんでそれを付けようとするエルヴィンに半ば呆れながらもう一度全身を鏡で確認した。
「…よし!」
「やっぱり綺麗にしすぎじゃないか。」
「内地で夜会ならこれくらいしないと浮いてしまうわよ」
「…そろそろ時間か」
「そうみたいね、……エルヴィン」
自分の身なりを整えることに集中していて気づかなかった。エルヴィンも夜会に出席するのだからそれに相応な格好をしているのは当たり前なのに、その姿に目は釘付けになってしまう。
「あなたのタキシードだってとても素敵…」
「……そんなにかわいいことをそんな格好で言うんじゃない」
「え?……きゃ…!」
エルヴィンに何を言われたのか理解するまえに急に腕をぐいと掴まれて、扉に身体を押し付け目線を合わせられる。エルヴィンの目は鋭い光を宿していて、私は思わず息を飲んだ。顔が近づいてキスを予感したけれど、ぐっ、と胸を押し返して、顔を背けて抵抗する。
「紅が、取れちゃう、から……」
「……」
「エルヴィン、ねぇ離して」
「ナマエ……帰ったら覚悟しておけよ」
鼻と鼻とが触れそうな距離で吐息を感じながらエルヴィンは言った。私はその意味するところがわからないはずもなく、身体の奥が一瞬きゅんと痺れるように疼く。夜会から帰れば、きっとこの綺麗な装束も彼の熱い手によって剥がされるのだろうと想像し身体が熱を帯びるのを感じた。
「行こう、馬車が待ってる」
高鳴る胸と熱くなる身体に動けずにいると、エルヴィンは、ふっと破顔して手を差し出した。
―――――
夜会に着いてからは、言ってみれば“予想通りの展開”だった。
エルヴィンは複数の女の子に囲まれているか、投資家の太ったおじさんと一緒に酒を飲み交わしているかのどちらか。私はひたすら壁の花に務める。いつものパターン。ところが今夜は少し状況が違った。貴族のお嬢様らしき品のある可愛らしい女性とふたりきりでエルヴィンは談笑していて、端からみるととても良い雰囲気だ。
美男美女ってこのことかしら…と呆然と思うほどお似合いな二人のもとに小肥りのおじさまが近寄った。すると、女性の方はそこから去って、エルヴィンとおじさまの二人になる。わりあい近い距離にいる二人の会話は耳をすませば周りの声をかいくぐって私の耳にも聞こえてくる。ちょっと気になった私は、良くないことだと思いつつ盗み聞きのように二人の会話に耳を寄せた。
「はっはっ!エルヴィン君さえ良ければ娘を貰ってくれないかと思ったのだが。その様子じゃ意中の女性がいらっしゃるかな…?」
縁談…?と私は動揺して、エルヴィンの言葉を待つ。
「いえ、私にそのような女性はいません。しかし、いつ殉職するか判らない仕事で……」
「ああ、そういうことなら、君は優秀ゆえに守るものができたらきちんと守りぬける男だと思っているよ……」
「……お嬢さん?」
私はいつの間にかぼんやりしていたらしい。エルヴィンとあのおじさまの会話を途中まで耳に入れたところでそこからは何も聞こえなくなっていた。目の前で背の高い綺麗な顔立ちをした男性に私の顔を覗き込んで話しかけられるまで、意識が混沌としていた。
「あ、はい……!」
「1曲いかがですか。」
気づけば空間に柔らかな音色のワルツがゆったりと流れていて、みんな思い思いにパートナーを作って踊っていた。断るのも失礼かしら、もしかしたらパトロンの家と関わるかもしれないし…と思って私は何とか頷いて、彼の手を取った。
「あの……あんまりしたことなくて……」
ダンスは下手くそなのだと、暗に小声で伝えると、
「わかりました、僕がリードしますから」
と、優しく微笑んでくれた。
彼の腕が腰に周り、引き寄せられた。そして、ゆるやかなステップを踏んでゆく。
こうしていると、エルヴィンを思い出す。舞踏会に呼ばれたときに踊り方がわからなくて、手取り足取り教えてくれたんだったっけ…。
エルヴィンの記憶を辿っていると、気分が少しだけ落ち込んだ。「恋人はいない」ってああもハッキリ答えられてしまうと、自信がなくなってしまう…私ってあなたの恋人じゃないの?……私を面倒事に巻き込まない為かもしれないとは言ってもショック…それに、無理やり手をまわされて結婚させられたらどうするの…?それでもいいとでも思っているの…?ぐるぐる思考は悪い方へ向いていってエルヴィンがわからなくなってしまう。
「……貴女は美しい女性だ…名前を伺っても?」
話しかけられ、はっとして、もやもやしながら考えていたエルヴィンのことは頭の奥に仕舞い込んだ。浮かない顔を取り繕って微笑みを張り付けて男を見つめる。
「ナマエ、です。……私は兵士をしております。」
「兵士を?…お強いのですね、ますます気に入ってしまいました。」
「え?……っ!」
広間には何ヵ所か人目に付きにくい死角がある。いつのまにか広間の隅、カーテンが吊られた窓脇に来ていた私は男に抱き寄せられ、私の身体を人目から隠すように覆い被さって距離を詰められる。
「ちょっと…あの…!」
「黙って、ナマエ」
すると端正な顔が徐々に迫ってくる。……やばい、逃げなきゃ!と思っているのにがっしりと腰を押さえられて逃げられない。顎を指で支えられて、くい、と上を向かされる。思わず、ぎゅっと目を瞑るとキスの前の呼吸を感じた。エルヴィンのものならどんなに嬉しくてドキドキしたものか…けれどこれは見知らぬ男のものだ…気持ち悪い…ああ…どうしよう…
「何をしているんだ、」
身動ぎひとつできず男に迫られていたところに、愛しい人の声が聞こえた。堅く瞑っていた目を開くと、やはりエルヴィンがそこにいた。とても怖い顔をして少し息を切らして男の肩を掴んでいる。
「恋人かい?……ナマエ、」
男は私に弱々しく問うと、私はこくんと頷いた。はぁ、とため息を漏らして男はそれ以上なにも言わず、私から腕をほどき立ち去っていった。
長い長い沈黙……のように感じた。
エルヴィンは何も言わないまま私の手を引いて、給仕に声をかけ、広間をそのまま出ていった。廊下を歩いて暫くしたところの空き部屋に強引に連れてこられたかと思えば、壁に身体を縫い付けるように押し付けられて、息を吸う間もなく唇を掠め取られる。
私の赤が移ってしまうなんて悠長な心配は一瞬にして消えていて、キスに身を委ねるしかなかった。
「……何故あの男の手を取ったんだ、ナマエ」
そっと顔を離して、エルヴィンの顔を見上げると、静かにしかし確かに怒りの炎を燃やしている。反射的にごめんなさい、と言おうと開いた口をがぶりと食んで乱暴に唇を重ねあう。言い訳なんて聞きたくない、と言っているような気がした。
「俺が行かなければ、君はどうなっていた?」
「………」
「キスされて…あの男に抱かれるつもりで?」
ふるふると首を横に振る私を見てもエルヴィンの壁に押し付ける力が弱まることはない。鋭い眼光で睨み付けられて怯みそうになるけれど、私はぐっと拳を握りしめて返した。
「違う……そんなことエルヴィン以外の人となんて嫌…!」
「俺は出かける前に君へのキスを我慢したのに、あの男にはさせるんだな」
「…ちがう…キス、されてない…信じて エルヴィン…」
エルヴィンは私のその言葉を聞くと、壁に押し付けていた力をするりと弱め、私の身体を抱き寄せて、私の肩口で安堵したように息を吐いた。
「よかった……君の唇をあの男が奪ったのだと思ったら、嫉妬でどうにかなってしまいそうだったよ…ナマエ」
「…ごめんなさい……ねぇエルヴィン、?」
エルヴィンの胸から顔を上げて、きれいなライトブルーを見つめる。一時はエルヴィンの気持ちがわからなくなって不安にゆれたけれど、こんなにもストレートに妬いてくれる彼を疑うなんてバカバカしくて私は自分を嘲笑するように微笑んだ。
「私、エルヴィンが恋人なんていないって言ってたの聞こえちゃって、やっぱり、ショックで…ぼんやりしちゃってた、」
「…すまない。君に嫌な思いをさせてしまって」
「ううん、エルヴィンは悪くないの、心配かけちゃってごめんね…」
私はエルヴィンの首に手を回して、謝罪の意もこめて彼にキスをしようと背伸びする。しかし身長差がそれを許さず、唇どうしが少し掠めるだけに終わってしまう。
「…私からじゃあ、ちゃんとキスもできないや ………わ!」
「…だからナマエ、そんな格好をしてそんなにかわいいことをするんじゃない」
私がキスできなくてふてくされると、エルヴィンが私を横抱きに抱き上げて、啄むような可愛いキスをしてくれる。私からもぎゅっとエルヴィンを抱き寄せてそっと触れるだけのキスを送った。
「やはり君は今夜綺麗にしすぎだったな、」
「…?」
「いや…それより変な虫がつかないように俺が見張っているべきだった」
エルヴィンは私を抱き上げながら胸元に顔を埋めてそこにも口づける。折角消した痕のうえに真新しい紅を咲かせてしまった。それがくすぐったくて私は思わず声を上げてしまいそうになる。
「そんなの、私だって」
「ん…?」
「エルヴィンとっても素敵だから女の子が惚れちゃわないように見張らなくちゃ」
私がそう言うと、さっとエルヴィンはこの空き部屋のソファに私を横たえて真上から見下ろした。あまりに性急な行動に呆然としているとエルヴィンは真剣な瞳で言う、
「…ナマエ、あまり言うと止められなくなる……」
熱っぽい視線を絡められて、私の身体は全身が心臓になったみたいにとくんと疼いてどんどん熱を帯びてゆく。“止められなくなる”とは、そういうことなのだろう。それがわからないほど鈍感でもないし、私ももう止められないところまで来ているような気がする。私からエルヴィンを抱きしめて肩口に顔を埋めた。
「エルヴィン…止めないで……」
そう呟くように言えば、エルヴィンの瞳に理性の瓦解が見えた気がした。もう一度、彼の名を呼ぶ私の声はとろけるように甘いキスで封じこめられた。
20140601 title by ポケットに拳銃
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