想いを何にたとうべき
揺れる電車が僅かに残る睡魔を助長する。
胃に流し込んだコーヒーはまだ効きそうにもない。そんななか話しかけてくる幼馴染は、朝練もなく体力が余っているせいか今日も元気だ。
「なぁ、あいら」
「……なに?」
今までツイッターやらラインやらを行き来していたカズの手が止まり、なにかを企てるような笑みを浮かべて、告げる。
「今日ってラブレターの日だって」
「……キスの日でもあるんでしょ」
「あ、知ってましたか」
「これ、去年も言ってた気がするんだけど。今年もありえないから」
「は〜? なんで!?」
真中に出来たらいいのにね、なんて。去年はそんなからかいの意味もあったが。
恋人の関係である現在も、恋文の日もキスの日も俺には「あり得ない」日。
「付き合ってんならそういうイベントで盛り上がるもんじゃないの?」
「それはカズだからだろ?」
「いや、まぁ、あいらがそんな性格じゃないのは分かってはいたけど。こう、そうじゃないじゃん」
真中に対して慎重になりすぎている俺が焦れったいのだろう。からかい半分、背中を押すつもりが半分といったところか。
まぁ、俺にとっては余計なお世話なんだけど。
「カズが言わんとすることは分かるけどねぇ。俺にだってタイミングがあるし。それに書ききれるわけないじゃん」
「想いが溢れすぎちゃって?」
「……もう、この話題やめない?」
「筆舌に尽くしがたいってやつね」
「うるさい」
静かに駅に滑り込む電車。
向かいに座っていたばあさんは俺たちの会話を聞いていたのだろう。
席を立つ間際とても温かな視線を向けられてすごく居心地が悪かった。
改札を通って駐輪場。いつもと変わらぬ通学手段で、いつも通りのコースを選ぶ。
途中で立ち寄ったコンビニで、再び本日付のイベントを思い出した幼馴染が、無地の便箋を差し出しながら「やっぱり書いたら」と無茶振り。だから、やらないってば。
カズの誘いを見事に無視して適当に昼飯を選ぶ。
それと一緒に新商品の炭酸飲料を思わず手にとってしまうのは、もう癖みたいなものだ。
前は遠慮がちに受け取っていた真中も、最近では自分から「一口貰っていい?」なんて言ってくるようになった。
その度になんでもない風を装うのは心臓に悪いけど、それでも小さな幸せを噛みしめる瞬間は多い。
「お慕い申しております、ぐらいやってみればいいじゃん。真中喜ぶよ」
「そのあとに『存じております』って返してくるだろうし、なによりそれに付随するカウンターが怖いんだよ」
「あぁ、真中って分かりやすいけど予測不能だよな」
普段は受動的というか、何事も見守ってる風な真中だけど、時々予想もつかない言動をする。
ミズキや東と親しくしているだけあって、時折言動に予測がつけれられないことがままある。
互いの想いあっていただけの時期にもその片鱗は見え隠れしていたけれど、恋心を隠す必要のなくなった今、いつ爆弾が投げ込まれるのか分かったもんじゃない。
真中の不意打ちは嬉しいけれど、愛しいけれど、心臓に悪い。
「でも、いいじゃん。それが恋愛の醍醐味ってやつでしょ。あー俺も彼女欲しい。俺にもワンチャンあるかな」
「あるんじゃないの。それこそラブレターでも貰えるんじゃない」
「わぁ、楽しみ」
それでこの会話はおしまい、と会計を済ませて自転車に乗って学校まで。
駐輪場で合流したミズキと東から「今日はキスの日だから」と熱烈なキッスを投げつけられる。
「視界の暴力」
「胸クソが悪い」
「ひっでぇ! こんな美少年捕まえておいて」
「おれたちの本物のを唇を狙う気か? 今日ちょっと荒れ気味だけど良い?」
「オレ、昨日ニンニク食べた」
「あー、それは無理だ。だからお前モテないんだよ」
「あじゅまがモテないのはそれだけじゃないけど」
「え? なに、どういうことなの?」
見た目は極上、中身は残念。
それでこそ東なんだろうけど。
四人、肩を並べて向かう僅かな道中。
今が盛りとばかりに咲く花々が水に濡れて輝いているのは園芸部がしっかりと世話をしている証拠。
今日は月曜。真中が水やり当番の日。
ラブレターなんてのは用意は出来ないけど、顔を合わせて話すくらいはしたい。
そんな、他愛ないことを思いながら自分の名前を掲げた扉を開けた瞬間。
「あじゅまはあじゅまのままが一番だって」
「なにそれ、テキトーくせぇ!」
「何言ってんのお前。人には人の良さってもんが……、にっしー、どうした?」
「やられた」
開けた靴箱。
上履きサンダルの上に置かれた付箋が二枚。「おはよう」の文字と歪なハートは紛れもなく真中の字。
そうだ、今日がキスの日で、ラブレターの日で、亀の日というのは去年もこの仲間内で出た話題。あじゅまやミズキが覚えているくらいだ。真中が知っていてもおかしくはない。
それを思うとこのハートが唇の絵文字という可能性もあるけど、如何せん真中の画力は特殊だから。解読には時間を要する。
「なぁに、ラブレター貰っちゃった?」
「……熱烈なのをね」
背中から覗きこんでくる幼馴染の楽しそうな気配。
内容までは見せてやるものかと、肩にかかる手を振り払ってその二片を財布の中へと仕舞い込む。
「あいらがつれな〜い」
「急用が出来たもんでね」
今すぐ顔が見たくて。かばんを置く時間すら惜しくて、直接、五組の教室へと向かう。
自分の席で貸した文庫を読む。夏の気配漂う蒸し暑い朝でも儚げな横顔の彼に声をかける瞬間は時々戸惑うけれど。
「おはよ、まなか」
その言葉で、俺の動揺すら見透かしているんじゃないか。そう思えるくらいとても嬉しそうに笑う真中に、心臓を掴まれる。
予鈴が鳴るまであと十分。
君と、どんな話をしよう。
end
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