靴は待つ
とある工場のひとりの職人。
彼の技術のすべてを費やし丁寧に作られた。
良い人と出会いなさい。良い靴になりなさい。
たくさんの愛を注がれて、私はただの革から靴になった。
それからくらい箱に入れられて。
再び明るい場所に出てから長い年月が過ぎたように思うが、私は未だに良い靴になれないでいた。
何人もの人が私を手に取るが、みんな「なんかイマイチ」と言って首を傾げるのだ。
人の手に渡らない私たちは、店に残る。
残った靴は時が経つごとにその価値を下げられる。
やることと言えば、店頭から徐々に店の奥に追いやられ、そこでじっと出会いを待つくらいだ。
早く、自分の使命を果たしたい。
それが出来ない苦しみは、同じ靴ならだれもが抱くこと。
けれど私たちは「悪い靴」ではない。
まだ運命の人に巡り合えていないだけなのだ。
「あじゅま、これ、いいんじゃね?」
久々に。本当に久々に私を取り上げてくれたのは茶髪の男。
強い意志を瞳の奥に秘めている彼は、陳列棚から私を取り上げると金髪の男に押し付ける。
「これ、ローファーじゃん」
「いつもと変わりないね」
「でもこんなスタッズ付いたのなんてよく履けるね」
「みなみの見立てって時点で、」
「いや、似合うって。自信を持ってお勧めするぜ」
両手に私を抱え、見下ろす金髪の彼。
後からやってきた友人たちの言葉を聞いても、その視線から窺えるマイナスの感情は消えない。。
「とりあえず、履いてみなよ」
眼鏡を掛けた人物に助言を受け、フィッティング用の絨毯の上に下ろす。表情の割に優し仕草。
そろりそろり。傷つけないように足を入れられた。
鏡の中。派手な容姿な彼の足元に、黒革と銀のスタッズ。
「似合ってんじゃん」
「オレもそう思う……」
鏡の前を行ったり来たり。踵や爪先まで確認。口で言う以上に私のことが気になってくれているのか、元々履いてきた子たちと私とを交互に見比べる。
「気に入ったんだ」
「買っちゃえば?」
「でもさぁ、今日はスニーカー買うつもりだったのに」
「気に入ったんならそれにしなよ」
「恋も靴も、出会いは一期一会よ?」
「ほら、たっきープロもそう言ってんべ?」
友人たちの助言を聞き、元の靴に履き替えた彼。
私を抱えて「よし!」と満面の笑みで頷いた彼は、
「……あれ?」
私を元の位置に戻してしまった。
「戻すの?」
「買わねーの!?」
「だって! あの値段見た!? 一万八千円だよ、買えるわけないじゃん!」
棚に座る私を睨み、悔しそうに彼は言う。
これでも少し、値段は落とされた方なのだが。
見たとこ若い男たちだ。彼らの財布事情からすると、私はまだまだ価値のある靴なのだろうか。しかしその「価値」が彼らとの出会いを阻むとは。悲劇ではないか。
「オレの小遣いだけじゃ足りないよ」
「お前んち金持ちだろ? じーちゃんやばーちゃんにおねだりすればすぐだろ」
「ダメ! こういうのは自分で買ってこそだろぉ」
店内に声が響く。いつもはぽつりぽつりと漏れ聞こえる程度の声が、今日は嵐のように騒がしい。
彼らのうちの一人が「静かにね」と苦笑するのが見えた。
「金持ちの癖に庶民なんだから」
「でも東のそういうとこ好きだよ」
「ご飯も残さず食べるし」
「箸の持ち方がきれいってのが無性に腹立たしいよね」
突然の褒め殺し。
私を見上げていた彼の頬がみるみると赤くなり、青みを帯びだ瞳を潤ませて振り返る。
「ちょっと、いきなり何!? 皆どうしちゃったんだよ!」
「いやぁ〜、おれ、あじゅまのこと好きだわぁ」
「みなみまで何言い出してんの!」
この店の主に笑われているのを覚った彼は、染めた頬を隠しもせずに友人たちの背中を押す。
彼を連れてきた靴は、彼の靴であることを誇らしげに出口へと向かう。
彼だけじゃない。
連れて行かれる彼らの靴もまた、彼らを誇らしげに次の場所へと運んでいく。
使い込まれた彼らは、間違いなく「良い靴」だ。
私だって、良い靴なのに。
私も、彼を素敵なところに連れて行くことが出来るのに。
ただただ、この場所で彼らを見送ることが苦しい。
彼の靴になりたい。
彼を素敵なところに連れて行きたい。
羨ましい。羨ましくて仕方がない。
私も連れて行って。
小さな靴屋のその奥で上げた悲鳴は届かない。
遠ざかっていく五つの背中。
ただの靴でしかない私は自分のあるべき場所で見送る。
出来るとすれば、ほんのすこし、また自分の価値を下げられて手に取ってくれる奇跡を待つだけだ。
小さな靴屋の店の奥。
誰とも分からぬ迎えを待つ。
悲劇は必ず喜劇になると信じて―
「ねぇ、おじさん。靴の取り置きって出来る?」
Sold out.
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