夕飯を済ませ、風呂、課題を片付けに自室へ戻る。
 いつもの日常をなぞる。
 布団の上に放置した携帯を拾う。
 話があるんだけど。
 入浴前に送ったメールに対する返信はない。ラインの方にも既読はつかぬまま。通話を試してみたがコール音が途切れることはなかった。
 聞く耳どころか、目すらも持たない。
 作られた壁は強固なもので。
 東には頑張る、と言ったものの。
 現実に目を向けろ。問題は何一つとして解決していない。
 むしゃくしゃとした気持ちのまま布団の上に倒れ込み、天井を見上げる。
 他人に迷惑ばかりかける恋なんて早々に諦めた方が良かったんじゃないの。せめて友情だけは保ちたい。
 これまでに幾度となく繰り返した自問と自答。
 どちらも欲しいと思ってしまうのが本心。それを望むのは贅沢なことだろうか。
 なんの着信もないそれをもう一度掴み、電話帳を探る。
 縋るのは、この状況を誰よりも冷静に見てくれそうな男。

「珍しいね」

 数回のコールで出た彼の、電話の向こうで首を傾げる気配が伝わる。

「今、平気だった?」
「構わないけど、どうしたの?」
「放課後、なにがあったのか気になって」

 あれから東は仁科とのことを口にすることもなく別れた。
 きっと南風原に口止めされたのだろう。南風原本人は答えることはないだろう。

「情報早いね。みなみから聞いた?」
「違う、東だよ。泣きそうな顔してさぁ、巻き込んでやるなよ」
「いやいや。連れ出したのはみなみだし。そこは東も了承してのことだろ」
「……で、なにがあったの?」
「あいらに聞きなよ」

 聞けるわけがないだろう。返した言葉は予想以上に不機嫌に響く。直前に電話をしても強制的に切られることもない。
 メールやラインでも反応はない。

「仁科の態度、知ってるだろ」
「まぁな。それでみなみに殴られたとこあるから」
「殴ったんだ」
「真中のためだよ。愛だよねぇ」
「……茶化すなよ」
「まぁ、あいらの方も甘んじて受け入れたとこあるけどね」
「なんで?」
「自覚があるから」

 自分の態度も、それが周りにどういう影響を及ぼしているのかも。それで真中が胸を痛めているということも。
 滝田がどこまで状況を把握しているかは分からない。
 明るいけれど、冷静な声が語りかける。

「真中はすげーよ」
「え?」
「真中って名前ひとつであいつの心が動くんだよ。見てて面白いくらい」
「良く言うよ」
「ホントだって。高校入って変わったよ。人間に近付いたって言うかさ」
「なにそれ?」

 大袈裟すぎたかも。
 電話の向こうで滝田が苦笑するのが分かる。
 布団の上から身を起こす。充電器のコードを探しながら彼の中の言葉が整うのを待った。

「あいらってさ、頭いいんだよ。成績とか、そういうのを抜きにしても」
「知ってる」
「うん、だからさ。あいつが真中を好きで居続けたこと自体、相当なことだと思うんだよ」
「……どういうこと?」
「あいつ、良くも悪くも聞き分けが良いんだよ。昔から。なんでもかんでも先回りして考えて、自分が欲しいものが手に入らないって分かったらすぐに諦めんの。切り替えが早いって言ったらそれまでだけど。みっともなく泣き叫んだり、我儘言ったりとかなかったと思うよ。大体弟妹に譲ったりしてさ」
「昔からって」
「保育園の頃から、じゃない?」

 俺の古い記憶はそこからだから。
 そう告げる滝田は、すぐ下に妹がいた分「兄」の気持ちが分かるのだろう。俺は我儘ばっかりだったなぁと、懐かしむ声。今の姿からは想像つかない過去だ。
 多少の差異こそあれ、環境もほとんど似通った状況で、兄弟然として育ったからこそ分かるのだろう。
 大人はそれを聞き分けのいい子、優しい子と称するそれが、単なる諦めの一端であると。

「だからさ、そんなあいらだから、真中を好きでいたってことが特別なんだよ。あいらにとって、真中に恋すること自体負け戦も同然だったわけだし」

 相手は男で、想いは通じても障がいは大きい。
 世間の目も、相手がどうみられることだって彼は考えたことだろう。

「俺だって、考えなかったわけじゃないよ」
「でも真中は乗り越えたろ?」

 恋は理屈じゃないもんな。
 けれど仁科はそれを全て理屈で捻じ伏せようとする。
 そういう男なのだ。

「自分を説得できないくらい惚れ込んでるくせに、馬鹿だよね」
「今更言われても……」
「今更じゃないよ、真中」

 切なく言葉が響く。

「ここであいつをどん底に突き落とすのも救い上げてやれるのも真中しかいないんだよ」
「そんなことない」
「あるよ。何にでも見切りをつけて有益な方しか選んでこなかった奴が、真中だけは手放そうとはしなかったんだから。二人とも、ただすれ違ってるだけだから、ちゃんと話してみなよ」

 懇願にも近い言葉の響きに、聞いてるこちらが苦しくなる。
 仁科と同じくらい、本心を覚らせない滝田がこうして何かを訴えてくることも滅多にないことだ。
 それに応えたい気持ちもある。

「……でも、どうやって話せっていうんだよ」

 現状、通信手段は途絶え、教室に赴いても面会謝絶状態。
 そんな状態で会話が成り立つとも思えない。

「会えるのは学校だけ?」
「……電車とか、家とか?」
「逃がさないためには踏み込まないとね」
「玄関開けてもらえる気がしないんだけど」
「真中はそれで諦めるの?」

 自嘲気味に告げた言葉に滝田は茶化さずまっすぐに訊ねてきた。
 責めるわけでも問い詰めるわけでもないその眼が弱い真中の芯を揺さぶる。
 真中の出す答えが正解だと思うよ。
 どちらにせよ、俺は協力を惜しまないよ。
 ずるい。その言い方はずるい。
 白黒つけない優しい言い回しに追い込まれる。

「……東がさぁ、言うんだよ。見てられないって」
「ん?」
「早く解決させて皆でご飯食べたいって」

 今日一日だけでも息が詰まりそうな想いを何度もしたが。
 東らしい平和な欲に心を和まされた。
 それは滝田も同じようで。
 沈黙の後に届く笑い声。

「いいねぇ、あじゅまらしくて」
「必死になってくれたことは嬉しいんだけどね」
「……うん、ホント。俺も同じだよ。俺の幼馴染、ホント面倒くさい奴なんだ、扱いも難しいし偏屈だし。そんな奴だから、真中にしか頼めないんだよ」
「……うん」
「多分、今日のこともあってあいつ、明日休むよ」
「だから?」
「だから、チャンスでしょ?」

 想いを乗せた一言にたたらを踏んでいた心も定まる。
 目を瞑って、大きく息を吸う。一回、二回。
 三回目の息を吐き出す時に「滝田」と声に意志を乗せる。

「……明日、ノート頼んでいい?」
「授業より大事なことだもんな」
「またそういうこと言って」
「ホントのことだろ?」

 軽い口調。姿は見えないが、きっと口元には大きな半月を浮かべているのだろう。
 休む口実を一緒に考え、「後は上手くやりなよ」とスポーツマンらしからぬ言葉で電話は切れた。
 すっかり熱くなった携帯を畳の上に放り出す。

「疲れたー……」

 長い長い溜息が漏れる。
 頭も体も重い。動きたくない、泥のように眠りたいという意志に反してどんどん目が冴えていく。

 明日会えるだろうか。
 ちゃんと話をしてくれるだろうか。
 なにから話せばいいのだろう。
 考えれば考えるだけ、心臓がどくどくと脈を打つ。
けれど、ひとつだけ、決めている。
 流されない。これだけは、絶対に。
 たくさん背中を押してもらい、ようやく実行する気になった。
 寝苦しい夜は今日も続くが、窓から入り込む風は湿っぽい。窓の外から聞こえてくる虫の声が、静かに緩やかに響いて消えた。

 夏の終わりは近いのかもしれない。



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