思えば誰かと喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかった。
 いつもことなかれと、ぶつかることを避けてきた。
 波風立てず、受け入れることが最良とばかり思っていた。
 仲直りってどうやってするのだろう。
 今になって、自分の人間としての課題が山積みであることに気付かされた。



 時間が経つほどに整理できるはずの考えはぐちゃぐちゃになっていく。
 寝ても覚めても脳を占めるのは仁科のこと。
 何度も夢に出てくるせいで、寝不足が続いている。目の下の隈は解消されるどころか濃くなる一方だ。
 授業にも身が入らずノートも白いまま。
 昼時に空き教室に行っても隣の席は空いたまま。
 あれから三日。週末直前になっても、仁科の「風邪」が治ることはなかった。

「にっしー、今日も休み?」
「風邪だっつってたけど、ホントかよ? たっきー、どうなの、その辺?」
「さぁ? 朝迎えに行っても今日も休む、くらいしか言わないしね。顔も見てないから」
「顔見てねーってなにそれ、倦怠期?」
「あいらと夫婦になった覚えはないな」
「ですってよ、真中さん、奪うなら今よ!!」
「……何をだよ」

 曖昧な返ししか出来ない。
 胸に重石を抱えているせいか、どんな会話にも気軽に入っていけない。下手に喋ってボロが出るよりはマシだが、黙っていればいた分だけ抱え込むストレスは増していく。
仁科の欠席理由には覚えがある。その原因が自分で、片思いが拗れた結果なんて事実をどう伝えればいいのだろう。誤魔化し方すら思いつかない。
打ち明けてしまえば楽になれるかもしれない。けれど普段のネタやからかいとは違う。男が男を好きだと。その事実を告げ、彼らにひかれたらどうしよう。そう思うと息苦しくなって言い出すことも出来ない。

「ホント、あいついねぇと張り合いないわぁ。授業中、暇でさ」
「もっとまじめに授業受けろよ」
「あじゅまに言われたくねーし」
「なんだかんだ言いながら、あいらのこと大好きだよな」
「は? ちょっとぉ、やめてくんなぁい。おれの嫁は画面の中だけだから」

 あらぬ疑いをかけられ、あんな眼鏡、断固拒否と宣言する。
 そんな彼らのやりとりでさえ心臓にチクチクと刺さるり痛みは増すばかり。

「それにしたって、にっしーがここまで休むなんて珍しいんじゃない?」
「まぁな。昔から長引く方?」
「いや? むしろ皆勤賞取ってくけど」
「案外フラれたからだったりしてね」
「え? ついに? どうなの、真中」
「は!?」

 自分で予想していた以上に大きな声が出る。
 反射的に机の脚を蹴り、弁当の中身がずれた。
 
「なんで俺に、降るんだよ」
「いや、あいらが振られたって話で……」
「え?」
「ん?」

 話が噛みあってない。
 もしかしなくても、墓穴を掘った。
 三人分の視線を集め、沈黙の中、そのことに気付く。

「図星?」
「ち、がう! 振ってないし」

 そもそも好きだという言葉も聞いたことがない。
 慌てて否定するが、向けられる視線はいやに生暖かい。
 真中の本心を唯一知る滝田の笑みがむかつく。この手の話題が出てくると彼はいつも良い顔をする。真中をからかう、という前提付きでだが。

「と、言ってますけど。たっきープロ、どう思われますか」
「そうですね〜。鈍い所も真中の魅力のひとつなのではないでしょうか」

 既視感。
 真中は人の好意に鈍すぎる。
 あの日、仁科にも言われたその一言が記憶を巡る。
 遠い記憶のようにも感じるその言葉が、時間を越えて心臓に突き刺さる。
 実況と解説を続ける二人とは別に、向かい側の席に座っていた東には真中の表情がはっきりと見えたのだろう。
 上手く取り繕おうとしても咄嗟なの反応まで隠し切れない。
 
「……真中」
「ん?」
「喧嘩した?」

 こんな時ばかり勘が良くて困る。
 
 不安そうな表情は、鏡も同然。
覗き込んでくる青い目に同じ表情の自分がいた。
 東の様子に気付いたのか、遊んでいた二人の口元から笑みが消え、考え込むように口を閉ざす。

「それって月曜の話?」
「だから違、」

 否定しようとした瞬間、語尾に被せるように名を呼ばれる。不機嫌とも取れる、低い声音のその主は、普段は騒ぎの中心である南風原。

「それがその目の下の隈と関係があるって言うなら、言えよ。ほら、白状しろ。喧嘩したのか、してないのか」
「……した」
「じゃあ、あいつ、その次の日から休んだってことだよな。あからさまじゃねぇか、むかつくな」
「仲直り、しないの?」

 呆れ声の南風原に対し、眉尻を下げる東の言葉に「どうしようか」と力なく答える。
 何度かメールも電話もラインも試した。
 そのどれにも反応はないまま、三日が過ぎている。
 この面子でのライングループからも名前が消えているのを見た時にはさすがに泣きたくなった。
 時間が経てば経つほど、問題はこじれていく。
 この数日で嫌というほど実感した。

「まぁ、どっちに非があるとか、俺らには分からないから言えないけど。あいつも単に拗ねてるだけなんじゃない」
「子どもじゃん」
「子どもだよ、あいらなんて」

 あの仁科を子ども扱いするのはきっと滝田くらいのものだろう。長男気質ゆえか、それとも幼馴染の強みなのかは定かではないが。
 さらりと答えてしまう滝田の言動が羨ましい。
眩しく思える。

「でも、真中さんが誰かと喧嘩するっていうのも珍しいよね」

 弁当箱に肉がひとつ転がり込む。
 東家のお手伝いさん特製の唐揚げは、真中の好物でもある。
 慰めているつもりらしい東の好意が微笑ましい。

「俺、初めてみるわ。こんなに落ち込んでる真中。基本的に優しいからなぁ」

 購買で買ったらしいかつ丼が一切れ。
 口元に押し付けられる。どんなに進みが悪くてもまずは食えと。そう言いたいらしい。
 そういうところは運動部。
 美味いだろ? と尋ねてくる姿は、さすが百戦錬磨といったところ。

「つーか、優しすぎンだよ。好い機会だから腹割って話し合ってみれば? ダメなら実力行使でいけよ」
「そんな無茶な」
「まぁ、真中次第だけどよ。あ、取り敢えず、仁科にこれ以上休むんなら、ノート、一教科につき五百円って言っておいて」

 正直、気乗りはしない。
 それでも彼らが本気で心配してくれていることも、慰めてくれる気持ちも伝わってくる。
 南風原の箸からは、しおれたレタスが唐揚げの上で布団になる。

「これはいらない……」
「なっ! おれの飯が食えんえぇっていうのか」
「これは飯じゃない、葉っぱ」

 この、とヘッドロックを掛けにくる南風原との攻防にようやく普通の笑顔が溢れた。
 嘘を言ってはいない。
 けれど心配してくれる友人たちの前で取り繕う苦しさ。
寝不足で重い身体に、更なる重石が科せられた気がした。



「一緒に帰るぞ」

帰りのHRが終わっても、東が迎えに行くまでゲームやアプリに夢中になって席から動こうともしない男が、目の前に。
 不機嫌とも何か企んでいるともつかない表情。眠たげな眼はいつものことだが、その奥の感情は読めない。

「みなみ、オレは?」
「お前は言わずとも着いて来るだろ」

 南風原の方からの来訪に幼馴染は大喜び。
 オレも、と積極的にアピールする様は千切れんばかりに尻尾を振る柴犬に見えてくる。対する南風原は落ち着いたもので鼻で笑う。然も当然とばかりに。

「なによぉ、オレのこと蔑ろにして!」
「そんなことねぇよ、お前の扱いなんていつもこんなもんだろ?」
「ひっでぇ! 真中さん、今の聞いた!?」

 まったく相手にしないがぶっきらぼうな南風原との受け答え。ぶっきらぼうなやりとりではあるが、言葉の裏に彼らの関係性が感じられる。二人の関係はいつも変わらない。変わらない日常とぎゃあぎゃあ騒ぎ立てる光景に荒む心が少しだけ癒される。
 構えかまえと背中に張り付いてくるおんぶお化けを腕で押し退けながら、南風原は変える準備をしろと鞄を寄越す。

「今日さ、真中ん家にいきてぇんだけど」
「良いけど、どうしたの?」
「なんか、畳の匂いが恋しくなって」
「なにそれ」

 わけわかんない、と言いながらも少しだけ嬉しい。
 最近は、寄り道する余裕もなく帰っていた。下ばかり見て歩くのにも不安で押し潰されそうだったところ。そこに舞い込んできたお誘いに少し救われる。
 自転車を取りに行く南風原を校門前で待ちながら「ねぇ、真中」の穏やかな声が尋ねる。
小さく傾げられた首の上。きれいに染められた金髪が午後の日差しを跳ね返して眩しい。

「にっしーと喧嘩してるっていうけど。そんなに激しくやりあったの?」
「え?」
「ん?」

 思わぬタイミングで爆弾を落とされた。
 言葉に詰まる。
 不自然な沈黙に東は怪訝そうにするが、それよりも肝を冷やすのはその会話を自転車に乗って近づき、漏れ聞いた南風原の不機嫌そうな顔。おれを置いて話すすめんなよ、と東の尻を蹴りながらカバンを奪い前カゴに突っ込む。
真中のカバンも奪われ、ぎゅうぎゅうのカゴの中に押し込まれる。人質ならぬ物質をとられ、逃げ出すことも、今更取り繕うことすら不可能な雰囲気だ。

「え……っ、と」
「別に? おれは? どんな内容でお前らが喧嘩したとかミジンコほども興味ないですけど? でもさ、喧嘩したって事実くらいは言ってくれても良かったんじゃねーの?」
「そんな告げ口みたなことしたくない」
「真中さんはそういう人だよね」

 完全なるエゴではあるが、そのことを肯定してくれる東の言葉がちょっと嬉しい。
 ふくれっ面の南風原は「でもよ、」と言葉を続ける。

「だからこそ、だろ? お前、なんでも一人で抱え込むだろ。ずっと一人で考えてたんだろ? おれ、真中のそういうところスゲーって思うけど、時々イライラする」

 ぶっきらぼうに紡がれた言葉だが、語調はそれほど強くない。彼にしてみれば優しい方だ。
 いつもは丸い背中が、今はしゃんと伸びている。
 真剣にはなしがしたから。気持ちを伝えたいからだ。

「怒ってるわけじゃねーんだよ。ただ、その溜めこんだストレスをいつ吐き出すんだよ。たまにはおれらに吐き出してくれてもいいんじゃねぇのって話だよ」

 黙っていたのは心配させたくないのではなくて、ただ単に、自分の恋に自信を持てないからだったのだが。
 それもきっと、二人の気を揉ませていた要因だろう。

「オレもみなみも真中さんのこと大好きだから! ちょっと毒吐いたって嫌いになんてなんないし!」
「言っとくけど、お前自分で思ってる以上におれらの扱い雑だからな! 発言とか特に」

 無防備な肩を後ろから叩かれ、その勢いに負け、前のめり。
 甘やかされているんだろうな、と思う。
 滅多に聞くことの出来ない南風原の優しい言葉が胸の内側にじわじわと広がっていく。
 どちらがなにを言うでもなく歩き出す二人が「早く来いよ」と振り返る。
 阿吽の呼吸の二人。滝田と仁科だってそうだ。
 幼馴染という枠組みに入っていくことが出来ない。その事実に引け目を感じてしまうこともある。
 それでも情に厚い南風原の中で、人見知りの激しい東の中で重要な位置にあることを教えてくれる。
 それを自覚させられる。
 青臭くて恥ずかしい。
 けれど、それが嬉しい。

「にっしーもにっしーだよ。喧嘩したから学校休むって。小学生じゃないんだからさ」
「眼鏡は陰険ってイメージあるからな。今度会ったら眼鏡叩き割ってやろうぜ」
「それ、仕返しと弁償する金額の方が怖くない?」
「仕返しが怖くて悪戯が出来るかよ」
「そうだそうだ!」
「……ホント性質悪いな、お前ら」
「真中がやれば鬼に金棒なんだけどなぁ」
「巻き込なよ」
「あ、そうだ。今日おれら泊まるから」
「別に良いけど、課題もしなよ」
「任せろ。今夜は寝かせねぇからな」

 投げキッス付の宣言に思わず噴き出す。
 久々のお泊りに心が躍る。
 向き合うことも大切なのは知っている。
 ただ、問題と対峙するには勇気が要る。
 今日も寝付きは悪いだろう。それどころか、布団に入ることすら難しいかもしれないが。
 明日は休み。
 少しだけ、彼らにもこの不眠に付き合って貰うのも良いかも知らないと。そう思えた。


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