風見鶏は苦労性





 新年度が始まって一週間。
 本日の最後の授業は身体測定。
 黒板に大きく書かれた学級委員の「ジャージに着替えて体育館へ」の文字。
 その指示に従って、怠い足取りながらも目的地へと向かう。
 広い空間に、人。人。人。
 体育館に時間差があるとはいえ全校生徒を集めて一斉に行う今日の身体測定。
 皆、同じ服を着て、似たような髪型、髪色で。
 この中から知り合いを見つけるという作業は些か億劫だ。
 携帯も置いて行かなければならないので、他校に通う彼女ともメールのやりとりも出来ない。
 どうせなら、クラスの女の子と楽しくおしゃべり、なんてそんなことを思うのだがそんなことは周囲が許してくれない。

 計測してもらい、数字を埋めるだけの単調な作業だが、擦れ違う知り合いから告げられるのは「南風原と仁科なら身長測ってたよ」とか「東は?」「真中くんとは一緒じゃないの?」と、他のメンツを気にする言葉ばかりだ。
 例え自分好みの女の子に声を掛けたとしても、彼女らの殆どが「珍しく一人なの?」と他の四人の存在を気にする言葉がセットになる。
 
 今年も同じクラスの真中と東は、トイレに寄っている間に置いていかれた。
 おそらく、東あたりが何かやらかしてはぐれてしまったのだろうけど。
 同じような色ばかりではあるものの、東の金髪と異国の血が混じった顔立ちはこの集団の中でも目立つ。
 女子生徒たちに聞けばきっと簡単に答えてくれるはずだ。身体測定が終わる頃には無事に合流できる確信があるので、それほど案ずることなどないのだが。
 それに、今日は離れている方が好都合なのだ。

 記入用紙に埋め込まれた身長は、172.4センチ。
 去年からの伸びは一センチほどしかない。
 男子高校生の平均としては申し分ないのだが、なんせいつもつるんでいる面々は滝田以上に背が高い自覚がある。
 なんせ、小さな頃からほとんど平行線にあった仁科の視線が徐々に高くなってきていることに気付いたのは去年の夏ごろだっただろうか。
 身長が高い、イコール、モテるという方程式が根付いたのは一体いつの頃からなのか。
 しかし、男として生まれた以上。身長は高い方が重宝する。
 スポーツひとつとってもそうだ。
 滝田以上に身長も高く、身体にも厚みのあるサッカー選手は結構多い。
 それゆえに日々の筋トレを怠らなかった成果が、十分数値としても結果としても現れつつあるのだが。
 縦の伸びばかりは、自分の意志一つだけではどうにもならなかったらしい。
 ハァ、と自然と漏れてしまう溜息を自覚しつつ記入を用紙をそっと折りたたもうとした瞬間。

「たぁっきぃ〜」
「う、わ!」

 背中に衝撃。次いで重み。
 ぐっと背中と腰に掛かる負荷にふらついてしまいそうなのを何とか堪える。

「おお、さすが運動部。鍛え方がちがうよねえ」

 つぶれてしまいそうなのを意地で堪える滝田に感心したような口調が向けられる。
 振り返らずともこの数年、嫌というほど聞き続けたその声は、紛れもなく彼の幼馴染のもの。

「……あいら、重い! 暑苦しい!」

 女の子以外に抱きつかれるのはごめんだ、とばかりにその腕を振り払う。案外あっさありと背中から離れた仁科は、嫌に上機嫌な笑みを口元に滲ませ眼鏡の奥の目を細める。
 嫌な予感がする、と思った瞬間には、既に手が差し伸べられていた。

「……なんだよ、その手」
「何って、毎年恒例じゃん? たっきー何センチ?」

 ほら見ろ。
 差し出された手を叩き落としてしまいたい衝動に駆られる。
 それをやらない代わりに眉間に力が入ってしまう。身長差は仁科から見れば明らかだというのに、嫌な奴だ。
 小学生の頃から毎年、その結果を比べては一喜一憂していたが、今年は明らかに此方が落ち込むのが目に見えている。

「……見せたくないんだけど」
「なによ、見せなさいよぉ」
「嫌よ、あいらさん。絶対私のことを馬鹿にするんですもの」
「そんなことなくってよ。私が貴方にそんなことするはず、ありませんわ。でしたら私の方からお見せしますわ、それでよろしくて、寛和さん?」
「お前、その口調なんなんだよ……」

 便乗したとはいえ、普段よりも数段高い声音と雅やかな動作が自然と決まる仁科のお嬢様ごっこは、板についていて気持ちが悪い。
 宣言通りに「仁科吾平」と記入された今年の彼の成長記録は滝田との差を明確に記していた。
 177.8センチ。
 去年の春から、三センチ以上の伸びである。

「はあ!? お前、何でひとりでこんなに伸びてるわけ?」
「ごめん、たっきーを置いていくつもりはなかったんだけど、俺の成長ホルモンが先走っちゃってさぁ」
「てか、お前どこまで伸びる気だよ、もう伸びなくていいだろ」
「嫌だよ、俺にだって夢があるもの」

 ふふ、と滝田から視線を外して未だに身長や体重を測る集団に視線を向けながら、小さく微笑む仁科。
 その視線の先にいる人物に軽く手を振りながら、彼は深入りするのを避けようとした自身の夢をさらりと語る。

「キスがしやすいとか、抱きしめやすい身長差とかって良く言うけどさ、個人的に後ろから抱っこした時に自然と肩に顎が乗るのって良くない? その身長さが理想なんだよ。実現したときには是非ともやりたいんだよね、真中と」
「うっ、わぁ……」

 常々、妄想力や危険な嗜好が溢れる仁科の発言に付き合わされる滝田だが、こんなにインパクトのあるものも久々だ。
 最後の人名が更に破壊力を増大させている。
 その仁科に狙われている真中少年は、一連の会話など知らずに滝田たちのもとへとやってくる。
 傍らには、いつもより元気のない東。どうやら彼も今回の身体測定の結果が芳しくなかったようだ。
 
「何やってんの、仁科」
「たっきーとお嬢様ごっこよ。なんなら真中さんも参加してもよろしくってよ」
「なにそれ、気持ち悪い]

 軽い調子で笑いながらも、ちゃっかり仁科の横に並ぶ真中は、結構自分に正直な奴だとこんな時に思う。

「たっきーがさ、身長教えてくれないんだよ」
「じゃあ、俺らも見せっこするよ。それなら問題ないだろ」

 自身の外見に然程興味の薄い真中の提案に、隣の東が「げっ」と声を上げる。
 あからさまに嫌そうな顔をする友人を目にとめても、やめようと撤回する様子がない。
 最早、諦める以外に道はない。

「じゃあ、せ〜のっ」

 どん、の合図に合わせて広げられる四つの紙。
 昨年の春に測った身長、体重の隣の欄に埋め込まれた数字の羅列。
 予想の通り、自分が一番低い値ではあったが、仁科以外とはそれほど大きな差はない。なんだ、良かったと胸を撫で下ろしたのも束の間、不意に見えた東の体重が目にとまる。

「なにその体重、東、ちゃんと飯食ってんの? 貧血とかなってない?」

 同じ箇所を見ていたのだろう。
 東の体重欄を凝視し、心配そうに呟く。

「一応食ってるよ」
「もう少し肉食って鍛えるとかしなよ、みなみにばっかりくっついてないで運動しろ」

 普段、真中にべったりの男には言われたくない一言だ。

「これでも中学時代は運動部だったんだけどね。その時はもう少し厚みもあったのに。薄くなったよね、東」
「サッカーだろ? なんで続けなかったんだよ」

 中学時代、学校は違ったが試合や練習試合などで東を見かけたことは多々あった。
 きれいな顔立ちは当時も変わらず、女子マネージャーたちがキャアキャアと騒いでいた記憶がある。
 高校入学当初も何度か誘ったこともあったが、結局濁されて終わってしまった。
 改めて、部活を辞めた理由を問うと、彼はさらりと告げる。「だって。みなみと一緒に学校いけなくなるだろ」と。

「ねえ、たっきー。俺、今、地雷踏んだかな?」
「さあ、無意識だろうけど、お前よりは可愛げあっていいんじゃない?」

 東の、南風原に対する発言は、時々危さを孕んでいるように感じるが、彼らにとってはそれが日常茶飯事なのだから仕方がない。
 現に、それを聞いた真中は特に気にした風もなく「そうだよねえ」と穏やかに笑みを浮かべて、話題に上った南風原の姿を探すだけ。
 思わずコメントに困った仁科は、滝田に確認。
 真中への下心を隠そうとしない仁科と違い、東の南風原への感情はどちらかといえば依存に近い気もするが。

「なあ、あいら。そういえばその南風原は?」

 彼らの感情の行方は分からないものの、話題に出たついでに同じクラスである仁科にその所在を問えば、彼は何かを思い出したのか少しだけ険しい顔をして器具の前で並ぶ生徒たちの列を示す。

「さっき身長測りにいってたよ、さっき俺より体重あるって自慢しに来てたし、あのゲーマー」
「ゲームばっかりしてる割には良い体してるよな」
「うちのみなみをそんなやらしい眼で見るなよ!」
「仕方ないよ。東よりは良い身体してるのは事実じゃない」
「え、なに、真中さん。ひどくね!?」

 東のTシャツを捲り、貧相な脇腹を突く真中。
 そんな二人のやりとりを眺めていた幼馴染は、唐突に口元の笑みを深める。
 あ、この笑い方は何か碌でもないことを考えている時の癖だ。

「ねえ、たっきー」

 案の定、滝田に持ちかけてきた男は、身長を測り終えこちらに向かってこようとする南風原を指差し、告げる。

「ちょっと今からみなみに悪戯してくる。リアクション当てたらジュースあげる」
「悪戯、とは」
「腹筋の強度を試します。大丈夫、ちょっと触る程度だから」

 顔の横で拳を握り、言外でその子細を明かす。
 小首を傾げてかわいこぶったところで、彼の性質の悪さが浮き彫りになるだけだ。
 プロレスごっこの応用のようなじゃれ合いは頻繁に行ているせいで、南風原の一大事に煩い東もこれには「みなみなら反撃してくれる」と自信満々に賭けに参加する。

「東がそれなら、俺は堪えるにしておこうかな」
「たっきーは?」
「えー。……じゃあ、堪えられない、にしておく?」
「うっかり泣いたりしたらどうする?」
「南風原だよ? さすがにそんな簡単に泣いたりしないと思うけど」

 痛みに堪えかねて涙を流す。
 普段の南風原からは想像がつかない姿に、真中同様、ないないと否定する。
 どちらかと言えば、激怒して仁科の肩を殴るくらいはするだろう。

「なぁによ、おれがどうかした?」

 そんな四人の会話をいつから聞いていたのか。
 ようやく揃った五人目の男は、真中の背後からひょこりと顔を出すと話題の中へと踏み入ってくる。

「ん、ちょっとしたゲームの話」
「え? 真中、今なにかやってるのあったっけ?」
「ううん、これからやる」

 だからおいでと手招く真中の自然な演技に、ちょっとした脅威を覚える。
 普段は比較的自由な南風原や東を止める役割にある真中も、時々仁科に加勢する。
 人畜無害そうな顔をしているだけに余計に性質が悪い。
 なになに、と南風原が食いついたところで、二人の間に割って入った男がひとり。

「そぉれ、」

 南風原の肩に手を置き、にこりと笑みを浮かべた彼は、間の抜けた掛け声とともに地味にえぐいと噂の腹に拳を一発。

「……っ、ぐ」

 完全に油断していた南風原の鳩尾に入ったそれに絶句。
 前屈みになって苦悶の表情を浮かべる。
 仁科の財布から抜かれるジュース代は、どうやら滝田の元へ行くことが決定した。

「うぇ、……仁科、おめぇ、やってもいいけどもうちょっと加減しろよ!」
「加減したじゃん。なに、その体たらく。俺よりウェイトあるって言った癖に、案外たいしたことないな。その筋肉は見せかけですか」
「へーへー、すみませんねえ、油断しきった腹で!」

 しゃがみ込んンだまま、仁科を睨み上げて吐き捨てられる言葉たち。
 タイミングが良いのか悪いのか、本当に痛かったらしい仁科の一撃に動こうとしない南風原に、さすがの仁科も都合が悪くなってきたらしい。
 おろおろしだす東を真中に預けて、本格的な喧嘩に勃発しないように出るタイミングを窺う。

「つか、ホント、地味にいてぇ」
「ごめん、ちょっとみなみのポジション羨ましくて力入りすぎたかもしれない」
「……あらまあ、モテない男は大変ですね」
「そうなのよぉ、気付いてもくれないから俺もついつい必死になっちゃってぇ」
「まあ、せいぜい頑張れば?」
「うん。てか、マジでごめんね? たっきーへのジュースはなしにするから」
「それを俺にくれるんなら許す」
「オッケー、任せろ」

 どうやらそれも杞憂に終わり、隣の真中たちも胸を撫で下ろす気配。どちらとも仲が良い真中にとって、いくらじゃれ合いの延長上とはいえギスギスした空気は堪えられないのだろう。
 仁科に比べればわかりづらいが、彼の仁科への想いを知っているだけに想像しやすい。

「良かったね、真中」
「……何が?」
「どっちかを選ばずに済んで?」
「……それ、どう返すのが正解?」
「それが正解なんじゃない」

 本心から言ったつもりなのだが、真中には返しが難しかったらしい。
 誰にも正解が分からない答えを濁すと、困り気味の笑顔が返された。
 ひりひりとした視線を感じて、その元を辿ると眼鏡の奥で「羨ましい!」という感情を隠そうとしない男と目が会う。
 頻繁に真中を困らせたい、ぐっちゃぐちゃにしたい、と問題発言を繰り返す男と。

「みなみ!ゴー!」
「たっきー、おんぶ!」
「うぎゃ」

 仁科にけし掛けられ、滝田の背中にしがみつく南風原の体重は、確かに重い。仁科以上の重力を感じる気がする。

「重い! 俺の背中は可愛い女の子専用だから!」
「おれだって可愛いじゃん? ハエバラミズキ。ほぉら、可愛い」
「いや、色々とめんどくさいんだって。なあ、真中?」

 完全に体重を預けてくる南風原に文句を述べても、指折り数えて無駄に画数の多い名前なぞる。
 南風原に厳しい真中に同意を求めるも、先程の仕返しなのか彼はただ仏のような笑みを受かべ、

「サッカ−部の筋肉の見せどころじゃないですか」

と、だけ。
 仁科は八つ当たりが出来て満足気。背中の南風原も気分は上々。南風原の機嫌もいいでいか嫉妬するかと思っていた東もどうやら楽しそう。
 今現在、損をしているのは滝田のみ。

「もー。お前ら、ホントめんどくさい」
「何言ってんの、そんな俺らが大好きなくせに」

 正直な感想を述べたまでだが、仁科のその一言もあながち間違いではない。
 めんどくさい彼らだが、それでも彼の仲のいい友人たちだ。

「はいはい、愛してますよ」

 吐き捨てるように告げると、背中の南風原を筆頭に四人が騒いだのは言うまでもない。
 ぎゃー、たっきー!
 オレも愛してる!! と。


End


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