831の幸福




 夏期講習も終わって、残りの休みを悔いなく遊びまくった。
 中学生だった去年よりも少しだけ広がった行動範囲。
 昼も夜もなく全力で、やりたいことをやった。
 花火もしたし、美味しいご飯も食べた。
 みんなで電車で遠出したり、ちょっとだけボランティアもした。
 去年まではあじゅまとおれ、時々真中って面子。
 今年は真中がレギュラー化して、それにたっきーと仁科も加わった。
 今まで一番騒がしい、夏だった。
 夏休み、最終日。
 陽も傾き始めた時刻。
 しみじみとそれを感じた。

「じゃ、また明日。気を付けてな」
「おう」
「またね〜」

 駅方向に向かうたっきーたちを見送ってから、おれたちも真中家を後にする。
 男二人、プラス大量の課題が詰まったカバンを乗せて、おんぼろ自転車は細い路地を進む。よろよろ、よたよたと。

「みぃ、無理すんな〜」
「うるせぇ、いいから落ちねぇように掴まってろ」
「かっこいー!」

 夏休みの最終日はあじゅまの誕生日でもある。
 今年は遊びすぎて金が追いつかなかったから誕生日プレゼントがない。ごめん。……ホント、ごめん。
 それはおれだけじゃなくて真中やたっきーも同様で。
 代わりに今日は好きなだけ甘やかしてやった。
 殆ど手のついていない課題を手伝ったり、好きな飯作ってやったり。特ににっしーのテスト対策ノートは魅力的だった。仁科曰く「自分の勉強のついで」らしいけど。
 二日後にある実力テストの山が掛けられたノートは欲しい。おれにも寄越せっていったら頑なに拒否された。まじむかつく。あじゅまのくせに!

 金がかからない贈り物。
 おれの場合は、料理も勉強も出来ないから、「我儘、いっこ、聞いてやるよ」って。
 我ながら曖昧な物。有効期限は今日限り。
 上限を設けないと甘ちゃんなコイツは、いつまでも頼り続けるから、今日限定の制限解除。
 本日の主役からの要求は「自転車の後ろに乗せて」と簡単な物だった。
 ついでに、ちょっと遠回りして、帰る道。
 首の後ろにじんわり、汗を掻きながらペダルを回す。
 ギッ、ギッ。時々軋む音。新学期前にメンテナンスしてやるべきだったなぁ、と。
 赤く染まった空を見上げて思う。

「お、ひつじ雲」
「いわし雲じゃない?」
「うろこ雲かも」
「サバ雲って線もあるよ?」
「違いがわかんねーわ」

 緩い坂を昇り切ったその先に、もこもこと波打つ雲の群れ。
 オレンジ色の光を受けて流れていくその雲に、風がさっきよりも冷たく感じた。

「秋だねぇ」
「今年、そんな暑くなかったな」
「いやいや、それは今だから言えるんだよ。先週まで夏コロスとか言ってたじゃん」
「そうだっけ?」

 そうだよー、背後でケタケタ笑う。
 ひとつ、歳上になった幼馴染。
 特になにが変わったとか、そういったものはまるでないけど。
 15歳と16歳の差に、置いて行かれた気になるのはおれだけの秘密。
 自分の中の小さい劣等感に知らないフリをして、愛車を漕ぎ続け、前方に東家のでっかい家のシルエットが見えてくる。
 家の前に自転車を停めて、これにて任務完了。思っていた以上に汗を掻いた。重かった。暑かった。
 ほら、下りろと後ろを振り向いたら、荷台に乗ったイケンメン(顔だけ)は浮かない顔。

「みなみ、今、大事なことを思い出した」
「なによ?」
「……感想文やってない」

 悲愴な顔で、そう告げた。
 あらかじめ答えが決まっているものなら幾らでも手助けできるが、感想文はな。どうしようもない。
 家にある絵本でも読んで原稿用紙に向かうしかない。

「忘れていたことを忘れて、誕生日祝ってもらってくれば? おばさんたち、待ってんだろうし」
「そうする〜」

 悩んでたって仕方がない。残りは明日やろうぜ。と、我ながらテキトーな返しをして、それを真に受けたあじゅまはころりと表情を変える。
 そのまま駆けて行ったあじゅまは、玄関手前で脚を止め、「あ、」頭上を見上げ、振り返る。 

「みなみさん、オレ、まだ大事な言葉を貰ってませんよ」

 忘れてなかったか。
 朝、真中やたっきーに先に言われてしまってタイミングを計りかねていたから、今がチャンスなんだろうけど。
 さぁ、どうぞ! と、言わんばかりの期待が逆に言い出しづらい。
 
「…………誕生日おめでとう」
「へへへ、ありがとう」

 無性に恥ずかしい気分を背負わされ、告げた言葉。
 ありきたりな言葉だけど。
 プレゼントすら渡せてないのに、生まれた時から付き合いの長い友人は、眩しそうに笑う。
 心底嬉しい、と。
 夕陽を浴びて金色の髪が染まる。
 昼間の太陽よりも柔らかく、鮮やかな色。

「……今度、髪染めてやるよ」
「それは誕生日プレゼントとして?」
「そういうことにしといてやるよ」

 生え際も金色にしてやったらもっときれいに見えるだろうな。
 我ながら恥ずかしいことを想いながら誕生日延長戦の約束をして、再びペダルを漕ぎ始める。

 うろこ雲は、西の果て。
 東側から星の姿が見え隠れ。
 頭の上ではもう、時間は秋へと向かっている。

 明日からは新学期。
 まだ遊んでいたい時間を想いを諦めて、自分の家へと踏み出した。


 
end


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