ひだまりのロゼット




 しっかり朝食をとり、身支度も整えリビングから玄関へ。
 広くて明るい玄関先で、そろそろ履きなれてきたローファーに足を入れる。
 爪先を軽く叩いて踵を整え、さあ、行くぞと扉に手を掛けたところで、柔らかい声に呼び止められる。

「ソウタ、忘れ物、あるんじゃない?」

 後を追うようにリビングから出てきた祖母。
 引き留めるその声に従い、ついさっき確認した鞄の中身。
 その記憶をリワインド。
 
 ケータイはちゃんとポケットに入れてある。
 充電池も複数個あるし、無くなった時のあてもある。
 教科書は全て学校においてあるし、課題のノートは持った。
 弁当はちゃんと鞄に詰めたし、財布があるのも確認した。
 ジャージと制汗剤、ワックスも揃ってる。

 対して、祖母の手にはバラの花束。
 これから花瓶に飾ろうというそれを学校に行く東に持たせる物でもない。

 これと言って足りないものなんてないとは思う。
 いったい何を忘れているのだろう。
 悩んだところで一向に出てこない正解を求める。
 
 東の忘れ物は、バラを抱えた祖母の手にひっそりと握られていた日焼け止め。
 
「今日は日差しが強いというから」

 体育もあるんでしょう、と告げる祖母の発言はかわいい孫を案じてのこと。
 塗りたくないから置いておいたのに、と心の中で呟きながらそれを受け取る。

「それ、じーちゃんから貰ったやつ?」
「そうよ、今年もきれいなのを貰ったわ」

 またおばあちゃんになってしまったのにね。
 昨日、誕生日を迎え無事に歳を重ねた祖母は、そう呟きながら目を細める。
 両手に抱えたバラの花束は昨日、祖父が誕生日プレゼントとして贈ったものだ。
 毎年、年齢に合わせて本数が変わっていく。
 今年は赤が6本、ピンクが5本。
 帰ってくる頃には、玄関先に飾られて「おかえり」を言ってくれることだろう。

「オレも、花を贈った方が良かった?」
「ソウタがくれたハンカチもきれいで嬉しかったわよ。ミズキ君とミコト君にもお礼を言っておいてね」
「わかった」

 いってらっしゃい、の言葉と共に頬を合わせる。
 敷居の段差のおかげで、屈む必要のない祖母との挨拶は外国人の祖父との習慣が、そのまま孫の東にも伝わったものだった。
 幼い頃は当たり前のことだと思っていたが、高校生の今となっては少々気恥ずかしい。「やめて」と言えば、孫を溺愛する祖母はすぐにでもやめてくれるだろうが、優しい祖母の顔が歪むのが見たくない。
 大好きな祖父との習慣を否定するのも嫌だった。
 祖父もきっと悲しむから。
 だから、今日も思春期の恥ずかしさをこっそり隠して、祖母の頬に小さなキスを贈る。

「いってきます」
「いってらっしゃい、気を付けてね」

 身を案じるその一言に、手を振って元気よく家を飛び出した。





 1日が始まったばかりだというのに、おひさまは既に高い位置にいる。
 小学校の理科で勉強した。
 太陽は夏になるとその頂点を伸ばしていく。
 夏至は過ぎた筈なのに、梅雨を乗り越えた太陽はまだまだ伸びているような気がする。
 これから本格化する夏を思えば気分は憂鬱。
 きっと今日も暑くなるはずだ。

 じんわりと汗を掻きながら、木陰や日陰を選んで歩く。
 いったいいつの間に衣替えが始まったのか。気が付けば周りは夏服に切り替えていて、東だけが長袖だ。
 衣替えを知らせる担任の言葉を聞き洩らした東にも問題はあるが、教えてくれなかった友人たちも恨めしい。
 
 こうなったら意地でも間服で過ごしてやると意気込んだのはつい最近。
 日焼け対策としてもちょうどいい。

 目が青いということは色素が薄いことなのだと、教えてくれたのは祖父だった。
 祖母も、母も、繰り返す。

 色素の薄い目や肌は、日光に弱い。
 外で遊ぶのもいいけれど、ちゃんと対策はしておきなさい。
 痛いのは嫌でしょう。
 痒くなるのも嫌でしょう。
 小さい頃、さんざん言われた「遊ぶときのおやくそく」
 それこそ幼い頃は律儀に守ってはいたが、大きくなるにつれて、その言葉は押し付けのようにも思えてしまう。
 思春期特有の捉え方。

 玄関で握らされた日焼け止め。
 素直に塗るには抵抗のあるそれは、忌々しいものにしか見えない。

 戸外で行う体育は、確実に東の肌を焼くだろう。
 日に弱い肌はあっという間に赤くなって、身悶える自分の姿が容易に想像できる。
 けれど、これをどこで塗れというのだ。
 男子の着替えは主に教室で行う。そこでやれと言うのか。
 事情を知っている南風原や真中にすら見られるのに抵抗があるのに、その他クラスメイトの前で塗るだなんて、絶対からかわれるに決まってる。

「そんなの堪えられない……」

 祖父から譲り受けた薄い色素。
 青い目は誇らしいことではあるいけれど、白い肌はコンプレックスでもあった。
 持たされた、度数の高い日焼け止めが嫌に思い。
 じっと睨んだところで消滅するもないそれをズボンのポケットに押し込み、木の影を踏み渡る。

 一定の間隔を開けて植えられた並木道。
 木陰に隠れるように歩きながら、僅かに吹く温い風に当たりながら涼をとる。
 登校時間まではまだ十分ゆとりがある。
 最も苦手な生物との遭遇を考えて、時間に余裕を持ってでてきている。

 頭上の陽光はとても強いけれど、葉を通した光は優しい。
 透けた光が足元でゆらゆらと揺れていて、水の中みたい。
 
 その光の水の中。
 点々と揺れる光の中で、ゆらゆらと揺れる雑草がいくつか。
 タンポポ、シロツメクサ、ハコベなどなど。
 踏み潰されたり、見逃されてばかりのそれらにも名前があるのを知っている。
 
 家から一歩出れば人見知りの激しかった幼少時代。
 今よりもさらに人見知りが激しかった頃、南風原以外の遊び相手は祖母の庭の草花だった。
 道端に咲いたナズナを一本摘み取って、ハート形の葉っぱを押し下げる。
 根元を持って指先で回せばしゃらしゃらと涼しげな音。
 真夏に聞いたらそれだけで涼しくなれただろうに、残念ながら本格的な夏を迎える頃には枯れている。
 今、こうして咲いているのを見つけたことだって滅多にないくらいだ。

 近くにあったもう一本を摘み取って、同じようにして遊ぶ。
 点々と咲いたシロツメクサも数本手に取ってプチリ、プチリと手折っていく。

 特になんの目的があってやっているわけではなかったが、無心に花を集め、左手に小さなブーケを作っていく。
 
「ん?」

 名前が呼ばれたような気がして、顔をあげる。
 周囲を見渡しても人の気配はしなくて、もう一度屈むと、今度は背後で自転車のブレーキ音。

「たっきー、正解」
「ほら、だから言ったろ、東だって」

 振り向かなくても分かる。
 駅から自転車で通う二人の友人の声。

「二人ともおはよー」
「おはよ」
「随分とかわいいことしてんね」
「花なんて摘んでどうすんの?」

 停めた自転車に乗ったままハンドルに肘を置く。
 東の行動を不思議に思う二人は、関心を深めているようだが東にも摘み取った花の行方は分からない。決めていなかった。

「真中とみなみにあげたら喜ぶかな?」
「なんでまたいきなり?」
「昨日のじーちゃんの真似」
「なにそれ」

 かくかくしかじか。
 祖母の誕生日の話を交えながら経緯を説明。
 
 花を喜んでくれた祖母の笑顔を思い出し、そんな思いつきを口にした。
 ナズナが赤いバラの代わり。
 シロツメクサがピンクのバラの代用品だ。

「随分ロマンチックな贈り物だけど」
「それ、贈ってどうするの?」
「……どうするんだろうね」

 もしかしたら、じーちゃんの真似をしたかっただけなのかも。
 その答えに行きついたが、無意味に摘まれた花をその辺に遺棄するのも気が引ける。
 いっそ誰かに贈ればいいのだけれど。
 真中の誕生日はとうに過ぎてしまったし、南風原の誕生日はまだまだ先だ。

「教室の隅にでも飾っておけば?」
「そうする〜」

 仁科の案に乗っかりながら、自転車を降り、押して歩き始める二人を追う。
 花は握ったまま、立ち上がり、駆け出した瞬間。
 そのすぐ後でコロリ、と乾いた音。

「なんか落ちた?」

 歩き始めた歩が止まる。
 瞬時に、判断した。その音の正体が何なのかを。
 尻のポケットに入れていた物がない。
 隣の滝田が振り向くよりも先に拾い上げようとした。
 けれどそれは、東よりも数歩後ろを歩いていた仁科に拾い上げられた。

 手の中に帰ってきたものは、紛れもなく祖母から持たされた日焼け止め。
 ああ、なんてことだ。最悪だ。

 女子みたいなものを持ち歩いているなんて知られたくなかった。
 きっと馬鹿にされる。
 そうに決まってる。
 いったいどんな言葉を並べてくるのだろう。
 夏も近いというのに、急激に体温が下がっていく気がする。
 唇を噛みしめて、仁科お得意の嫌味に絶えようと心に決めるも、

「あじゅま、色素薄いもんな」

 予想していた物とまったく別物の言葉が与えらえた。

「え?」
「どういうこと?」

 呆気にとられ、間抜けな言葉がするりと抜ける。
 隣の滝田も疑問符と共に首を傾げる。

「あじゅまの目って青いじゃん」
「ああ、きれいな色だよね」

 解説を求められ始まる講釈。
 返す生徒の、無意味に褒める攻撃になんだかむず痒い。
 
「目が青いのってメラニンが少ないからなんだろ? ちょっとした光でも眩しいって言うし。だったら日焼けも対敵のはずじゃん? だから、苦労するよなあって」
「あ、だからよく授業中目ぇ瞑ってんの? 眩しいから?」

 仁科の話を真に受けて東の顔を覗き込んでくる。
 真剣な表情の滝田に、それは単に眠いだけとは言い辛い空気だ。

「……でもさ、変じゃない?」
「何が?」
「男が日焼け止めってさ。女々しいっていうか、さ」
「気にするから女々しいんだよ」
「そんなこと気にするくらいだったら、俺らも一緒に塗ってやるから」
「いいねぇ、みなみには全身塗ってやろう」

 ここ最近、体育の時間は憂鬱でしかなかったのに。
 その悩みはあっという間に解決されてしまった。ニヤニヤと口の端を引き上げて笑う二人に。

「なんか、嫌な予感しかしないんだけど」

 けれど、二人が一緒だと面白いと期待してしまうのも事実。
 軽くなった心のまま、二人の間、肩を並べる。

「ねぇ、二人とも、誕生日っていつ?」
「ひみつ」
「11月の11日だよ」

 両脇から、ほぼ同じタイミングでの回答。
 素直じゃない仁科と、丁寧な滝田。
 
「……にっしー」
「教えません」
「あいらはね、早生まれ」
「あ、言うなよ、たっきー!」

 素直じゃない人に尋ねても埒が明かないので、彼を良く知る幼馴染へと視線を送れば、さすが滝田というべきか。こちらの意見を汲み取って、さらりと漏らしてくれた。

「もうちょっと反応見るつもりだったのにさ」

 照れ隠し交じりの、素直ではない言葉が漏れる。
 意地の悪い言い方だけど、その本質が優しいのだと知れた。 
 仁科も滝田も捻くれている。その分、たまに見せるストレートな優しさが嬉しくて堪らない。

 気にしていることを笑い飛ばしてくれた。
 そのことが、嬉しかった。

 たったそれだけの理由だけど。
 本当に些細なことだけど、溜息が出るくらいには悩みの種でもあった。
 
 その種は小さな芽のうちに抜き取られてしまったけれど。
 他でもない、この二人によって。

「じゃあ、二人にこれあげる」

 手元の花を2つに分ける。
 ナズナを一本ずつ。シロツメクサは5本ずつ。
 祖父が贈ったものに比べれば天と地ほどの差があるものの、負けないくらい気持ちは込めてある。

「俺、男から花貰う趣味ないよ?」
「いいじゃん、トイレにでも飾っておこうよ」
「ちょっと、オレの気持ちをなんだと思ってるの!」


 並木道の木陰が絶えて、眩い太陽の下に晒される。
 光に弱い目を眇め、俯き気味に歩くことになる東の前に、先導する影がふたつ。

「どうした?」
「早く行かないと遅刻するんだけど?」

 真中や南風原たちと違って優しくないけど優しい二人。
 雑で荒っぽいけど、分かりやすく示してくれる二人の気持ちが嬉しくて、むずむずする。
 影を頼りに駆け出して、追い付く手前で踏み切った。

「にっしー! たっきー!」

 ようやく見えてきた校門前の一本道。
 遠くでは、生徒指導部と風紀委員が服装チャックをしているのが見える。

「ちょっ…!」
「なっにすんだ、こら!」

 その手前で、二人分の自転車が持ちの主の手を離れ、派手な音と共に横転した。

「へへ。やべー、二人ともちょー好き」

 自転車を倒す原因となった少年は、無邪気な笑みと共に二つの頭を引き寄せるのだった。

 
end


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