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 真中の中で静かな革命が起きてから一週間。
 相変わらず忙しい日々を送っているものの、以前よりは随分と楽になっていた。
 実際の作業量よりも、信頼できる友人たちの存在が大きいのだろう。
 一日遊び倒してしまったために、グループ発表への準備期間が減り、今現在他の班員たちと共にひぃひぃ言ってはいるものの、南風原が最初に怒鳴りつけたせいか団結して資料作りに励んでいた。
 時間を掛けた分良いものが出来ていると思う。
 まだ改善の余地はあるものの、途中経過を見回った担任の評価はまずまずだった。

「真中、あとで数学の宿題見せて〜」
「ごめん、俺も今日やってないんだ」
「まじで、珍しいな。調子でも悪かったのか?」
「いや、普通に分かんなくなってサボっただけ」

 後で仁科にヒントでも貰おうと、苦手な科目は放るようになった。
 無理な要求は無理と言えるようになった。
 ここ最近の変化といったらそれくらいのものだった。
 他人からして見れば些細なことかもしれないが、真中にとっては大きな出来事だった。
 それだけ、四人の友人たちに言われた言葉は嬉しかったのだ。
 少々手狭な環境でも羽の伸ばし方を覚えたのは、何よりも利口なことにも思える。
 断っても、人は離れていかない。
 それだけで、嫌われることはない。
 なんだか清々しい気持ちだった。

「おーい、なんかさ、真中のこと呼んでる子がいるんだけど」

 廊下で隣のクラスの友人と雑巾の投げ合いをしていた荻窪が、手前側の出入り口から声を掛ける。

「誰?」
「わたしだよ」
「またオメーか!」

 真中の問いにひょこりと顔を出したのは、人形のように可愛らしい笑みを浮かべた宮園。
 ゲーム機を持ったまま立ち上がる南風原を制しつつも、用事があるという彼女の元へ向かう。
 苦い記憶が呼び起こされるが、それも自分が悪かったのだと喉の奥に押し込んだ。

「どうかしたの?」
「うん、お願いがあって。今、困ってることがあるの。だから、あっちで話聞いてくれる?」

 制服の裾を引っ張って、上目に要求してくる彼女の様子は可愛いと思う。
 思わず心が揺れてしまう。
 仕方のないことだ。なんせ真中も男なのだ。
 可愛い子のお願いは、なんでも聞いてあげたくなるのが男の性というもの。
 しかし、真中を引いて連れ立とうとする彼女の意向に背き、二つの脚は扉のレールの上に張りつく。

「ごめん、出来ないと思う」

 真中は着いてくる。
押しの弱さを知っているから、そんな確信があったのだろう。そんな彼女の想いも裏腹に、動こうとしない真中に、可愛らしい表情にほんの僅かだが驚愕の色が滲む。「ごめん」はそんな彼女の表情を見て、無意識に出てきた本音。
 
「え。どうし、」
「真中さぁん、お願い助けて! 今日の古典訳当たるのになんもやってなかった!」

 どうして、と彼女が言い切るよりも先に、悲痛な声が教室内に響く。入り口を塞いでいた真中の背に情けない表情をした東が被さる。

「また? 辞書引けばいいだろ」
「そんなんで分かったら苦労しないよ! オレの読解力のなさ分かってんの!」
「威張ることじゃねーだろ」

 肩越しに振り向けば、金色の毛がさらりと揺れる。
 生え際の所の地毛が目立ってきているのが目に入った。

「真中ぁ、一狩りいこーぜ」
「あ、ちょっと、真中ぁ。聞きたいことあるんだけどさ」
「母さぁん、あいらからご使命です」

 それから立て続けに掛けられる声に処理が追いつかない。
 東の宿題の件はおそらく本当に助けを求めているのだろう。南風原や仁科に至っては真中が断れる状況を作れるようにしてくれているのかもしれない。真中だけが、宮園だけが悪くならないようにするには都合がいい。

「ごめんね。今、手がいっぱいで誰かを手伝うのとかも難しいんだ」
「……そっか」

 寂しそうに俯く。背が低いせいか差し出すように向けられた旋毛に申し訳ない気持ちが出てくる。

「……それじゃあ、今日の帰り一緒に帰れる?」
「それも、ごめん」

 一度、落ち込んだ声が再び上昇し、重ねられる質問への答えもきっぱりと答える。

「俺ね、すごく大事な人が出来たんだ。出来たっていうか、気付いたんだけど。その人を大事にしたいと思ってね。そうなると宮園さんと帰るのは難しくなると思うんだ」

 こんな言い方は卑怯かもしれない。
 彼女の中に、まだ真中に対する恋心が燻っていることには薄々気づいてはいた。それを利用して、遠まわしに振るような言い方になっていることにも知っている。
 今までの発言も、これから言う言葉も、きっと彼女を傷つける。それを思うと、心臓がばくばくと音を立てた。
 怖い。ごめんね、と苦しい気持ちにもなる。
 けれど、これ以上中途半端な関係はいけないと思ったのだ。

「その人のこと、好きなの?」

 俯いてるせいで表情こそ見えなかったが。きっと可愛らしい顔を泣きそうに歪めているのかもしれない。
 振り絞るように吐き出された声は、僅かに揺れていた。

「そう言われると照れるけど……、うん、大好きかなあ」

 背負った東も照れくさそうに、南風原たちの所に逃げる姿が目に入った。「真中さんがデレてる!」と叫び今しがた口にした言葉が四人に広がっているのが遠くの方から聞こえる。
 
 それから二言三言、宮園と他愛ない会話をし、予鈴と共に自分の教室に戻る彼女の背を見送る。

「ひどい奴だね、誤解させる言い方なんてして」

 視界に影が掛かると同時に、そんな言葉が寄越される。
 隣には仁科。
 かわいそうだね、なんて口では言うものの眼鏡の奥で目が笑っているのを見逃しはしない。ひどい奴はどっちだ、と言ってやりたかったが、彼女の立場からすれば自分は貴重な青春を弄んだ悪者だ。
 人から寄せられた好意を受け入れることもエネルギーを要するが、それを断ることも随分と体力を消費するものだ。

「でもホントのことだよ。……その筆頭だろ?」
「え?」

 言い方には少々語弊はあったかもしれないが、彼女に伝えたことに嘘はない。
 大事な人たちはちゃんと、いるのだ。

「真中ぁ、ノート貸してぇ」
「んー、その代わりから揚げ一個ね」
「甘やかしすぎるのもどうかと思うけどねぇ」

 予鈴が鳴っても尚騒がしい教室の中。
 背中に張りついてくる友人たちを鬱陶しいと思いながらも、彼らに影響されて変わっていく自分を怖くも楽しみと思うのだった。

 
end


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