しゅわしゅわ、ぱちん
手が滑った、と気が付いた時には遅かった。
封も切っていない、買ったばかりの炭酸飲料。それが机の淵から床に転落した。
ころころとそのフォルムに沿って床を転がったそれは、隣の机の脚にぶつかって止まった。
せっかく買ったのに。今飲んだら確実に爆発する。
昼休みの賑わう教室の中を、サイダー塗れにするのは気がひける。
別に好きでもない癖に、気まぐれに買うんじゃなかったと眼鏡の奥で目が細くなるのを自覚した。
床に横たわるそれを拾うと、目の前に座った南風原が早く開けろよとにやにやしてる。
こちらのリアクションに期待しているようだろう。それなら意地でも開けてやるものか。
しゅわしゅわと中で膨張しているのではないかというそれを机の端に置こうとしたその時、後ろから伸びた手がそれを奪い去る。
立てようとした筈のそれを横に倒し、ころころ転がす。
一緒に飯を食う人間は皆、目の前にいる。
それではこの手の主は誰だ、と振り返る。
もう大丈夫だという言葉を添えて返してくれたのは真中だった。
彼の言葉を信じて未開封だったペットボトルの蓋を捻る。右に。
プシ、とガスの抜ける音はした。だがそれ以上、泡も液体も溢れることはなく、無事に仁科の喉を潤した。
ボトル内の内乱は無事に鎮圧されたようだった。
「ありがと」
「俺、それ好き」
仁科の手元で揺れる液体を指して、真中が笑う。
他人に笑いかけているのは度々見ていたけど、彼がこんなに少年らしく笑うの姿は初めて見る。
「ねぇ、」
意識をするよりも先に、既に口は動いていた。
「真中も一緒に食べない?」
「え?」
お昼のお誘い。
だが、常日頃忙しい真中の笑顔は徐々に苦笑いに変わっていく。
「食べよーよ。せっかく同じクラスになったのに最近の真中、忙しすぎだよ」
「真中、俺らのことを捨てるって言うのか!」
「おっかぁ!」
「おっかぁ!」
「おしぃん! ……で、いい?」
「うん」
「さすが真中さん」
真中の切り返しに東と南風原は非情に満足げ。
そういえば、真中のポジションは非常に曖昧だ。
誰かのために忙しくしていると思えば、すっぱりと切り捨てることもある。
今のように他愛のない話題に乗っかってくることだってある。
人のために尽くす彼の笑顔は、いつもどこか疲れているような困っているような。そんな笑顔だ。
結構、本音を吐かせたら面白そうだ。
何故か、急に、真中尊という人間に興味が沸いた。
「いいけど、今日呼び出されててさ」
「サボっちゃいなよ、そんなん」
いいのいいの、そんな些細なこと。
どうせまた、ノート貸してとかそんなことだろうから。
少しだけ強引に手を引いて、隣の席に座らせる。
困ったような表情を浮かべていたが、そんな彼には、これを。
「ねえ、真中。これいる?」
たった一口しか飲んでいないそれを、目の前に押し出す。
渋々といった様子だった彼の表情が途端に明るくなる。
意外なことにころころと変わる彼の表情。やっぱり面白い。
別段好きでもない炭酸をなんとなく選んだら、思いがけない発見があった。
ペットボトルの中で、水の中に馴染んだ炭酸が、しゅわしゅわとほどける。
その気泡のように、人の言葉や心も容易に溶ければいいのだけど。
「これ、あげるから一緒にいてよ」
「お願いだよ、おっかぁ」
「おらを捨てねぇでけろ」
「それはもう、別物じゃん」
「で、真中はどうすんの。休み時間、終わっちゃうよ」
少しだけ渋るような表情を見せた真中は、その腰にしがみ付く東と南風原を見下ろして「仕方ないな」と優しく笑う。
「弁当持ってくるから、待ってて」
「うぎゃっ!」
「地味に痛い!」
笑いながら、二人の顔に両手を振り下ろす。痛い、あれは痛い。
四月も間もなく下旬という頃。
新しい友人の、新たな一面に出会った。
End
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