おにぎりの魔法
折角の日曜の予定が、見事に潰された。
昨日の夜からなんとなく組み立てていた日程は強制的に流されて今日は一日家にいなければいけない、と母命令。
さもなくば今月のお小遣いは減額。
台所に立つことも許さないというお達しだ。
目の前には、歳の離れた遠縁の従弟。
彼の母親は結婚式があるからと、朝早くに彼を置いて行き、真中の両親もまた仕事があるからと息子に保育園児を預けていった。
彼に会うのはお盆以来。その時よりも黒く日焼けした少年は、期待に満ちた眼で真中を見上げる。
「みこと、今日どっか行くんだったの?」
彼なりに、気を遣っているのか。
それともどこかに連れていけということなのか。
彼の質問に答えるのであれば「あれといえばあるし、ないと言われればない」が妥当なとこだ。
暇な奴を捕まえて、だらだらと過ごす。いつものパターンだ。
「別に、特にないけど。ご飯は買いに行かなきゃなんないかな」
必要経費、及び本日の世話係のバイト代として握らされた紙幣は一枚。
奮発して貰った封筒の中には、なかなかお目に掛かれない福沢さん。
断ることは簡単だったが、この案件を受けたのはこの封筒の中身に惹かれてのこと。
もうすぐ友人の誕生日も控えているし、欲しい物だってある。
皺ひとつない、ピン札。すぐに崩してしまうのはもったいない。
部屋の机の抽斗の奥に大切に仕舞いこんで、互いの食費は自分たちの小遣いで賄うようにしよう。そう決めた。
小賢しい計算は得意ではなかったが、最低限のものを買って食事を作ることは得意だ。
まだ五歳の彼では、そう量も多くなければ好きなものも定番なものばかりだ。
東のように手間も金もかかるものを要求するとも思えない。
買い物がてら、散歩に出掛ければきっといい時間つぶしになる。
ゲームばかり与えているのが一番楽でいいのだが、そうなると母が怒る。
相手してあげなさいよ、と。
そうなると折角の収入も帳消しになってしまうのは、過去のことから学習済みだ。
そんな過去の事例があるから、従弟の遊び相手になる真中に対し叔母たちは「尊くんは子どもの扱いが分かっていて助かるわ」という賛辞を送ってくれる。
年に数度しか会っていないのに歳の離れたこの従弟も真中のことを気に入ってくれている。自分の時間を邪魔されるのはあまり好きではないのだが、頼まれれば断れない性格だ。「みこと、みこと」と愛らしい声で呼ばれ慕われるというのも悪い気はしない。
「ばあちゃん、ちょっと出掛けてくる」
「そうかい」
「お昼は俺が作るから」
「ん、行っといで」
今で寛ぐ祖母に言い置いて玄関に赴くように促すと、丸い二つの目が真中を見上がる。
「あそばないの?」
「秋、探しに行こう」
「まだあっついじゃん」
「暑くても秋は来てんの」
「うっそだー」
暦の上ではもう冬が見えていてもおかしくはないが、長かった夏はまだまだ余韻を残したまま。
さすがに朝と夜は肌寒くなってきたが、日中は半袖でなければ堪えられない。
ぴっかぴかのおひさまは、今日は雲の後ろに隠れていた。
おかげで幾分涼しく過ごすことが出来ているわけだが。
それでも風がない今日は、動いていればじわりと汗を掻く。
確かに、彼にとってはまだ「夏」かもしれない。
民家が立ち並ぶ住宅街。
休日の今日はいつもよりも人の通りがちらほらある。
普段の通学路とは逆方向。駅の方向へ向かえば、その人の通りも徐々に増えてくる。
自分よりもずっと小さな子と手を繋いで、家から最寄りのスーパーまで。
小さな歩幅に合わせて、ゆっくり歩く。
家々の間には、大なり小なり庭がある。高い塀の向こう側から、道路に枝を広げ顔をちらりと見せてくれる家もある。その端っこを少しだけ赤や黄色に染めた葉。
街路樹のナナカマドが早くも実を結んでいるとこっがもある。
コオロギがコロコロと鳴く声もする。
「ほら、秋」
コロコロコロ、と鳴く音につられ空地に足を踏み入れる。
家々の並びの中、ぽっかりと隙間を作る。「売地」の看板も立つそこは、近所の小学生の恰好のたまり場だった。
待って、と慌てて駆けてくる従弟にシィと指を立てて無言を要求する。
背の低い草の茂みをそっと掻き分けると、中からぴょんと小さな影が飛び出してきた。
「え、わ、わ!」
跳んで、着地して、また跳んで。
次に着地したのを狙って地面と獲物の間に蓋をする。
「捕まえた!」
久々にゲットしたコオロギはなかなかの大物だった。
両手で作った虫かごに捉えると、見せて見せてとはしゃいだ声が聞こえた。
びっくりして足をばたつかせているものの、好奇心は旺盛らしい。
真中の手首を捕まえ早く、と体重をかけてくる。
お椀のように手を出すように言って、その上に捕まえた獲物を落としてやる。
こうやって虫を眺めるのが珍しいようだ。じっくりと見る時間はほとんどなく、すぐにぴょこんと跳ねて草の中に帰ってしまったが、彼にとっては十分だったらしい。
「すげー!みこと、すげー!」
「コオロギ、見たことないの?」
「バカにすんな! 虫の本ならいっぱいあるよ」
「本より、俺は掴める方が好きだったなあ。カマキリとかトンボとか」
幼少期を思い出す。
歳の離れた兄と一緒に虫かごいっぱいに捕まえては、母の引き攣った笑顔を貰っていた。
時には虫かごの中で自然界におけるヒエラルキーを見せつけられたこともある。
カマキリとトンボとコオロギを一緒にしてはいけないと、その時初めて知った。懐かしい思い出だ。
「カマキリ!? いるの?」
どうやらカマキリが一番好きらしい。
その気持ちが分からなくもない。カマキリは強くて、なんだかかっこいい。手に武器がついている特別感も格好よさを引き立てる要素の一つだ。
「ここにはいないと思うけど」
「さがそ! ママに見せる!」
「ママ、虫好きかなぁ」
「カマキリごっことかしてくれるよ」
「それは良いお母さんだ」
どういうごっこ遊びは、叔母のためにも聞かないでおいた。
どうしても捕まえたいらしい従弟のために、しばらく虫探しに夢中になる。
途中からは自分の方が虫を捕まえることに夢中になっていた。
バッタを見つけて、捕まえようとそうっと両手を構えたその瞬間、のしりと背中に重み。
「みこと〜、お腹空いた」
振り向くと柔らかい毛先が頬を擽った。
ぺったりと、背中にほっぺたをくっつけて、限界を訴えてくる。
夢中になりすぎていて気が付かなかったが、もうすぐ昼時だ。
昼飯を買ってゆっくり過ごすのをすっかり忘れていた。
「あ。ごめん。カマキリはいい?」
「いらない、それよりご飯食べたい」
「はいはい。何食べたいの?」
「おにぎり」
「何おにぎりが好きなの?」
「ふりかけ!」
その答えに、思わず吹き出す。
それじゃあおにぎりに中身だけを買いに行こう。
自分の財布の打撃も少ない、それならお菓子も買ってあげられる。
よし、それじゃあ行こう。
草の露で濡れた手をジーンズで拭いて、再び通りに戻る。勿論、真中が車道側。
お腹が空いている従弟を連れて、少し速足でスーパーへ向かう。
先程気がついたのだが、意外と歩くペースは速い。さすが年長というべきか。苦労することなく辿り着いた最寄りのスーパー。
好きな具を再度確認すると「おにぎりの、ワカメはいったやつ」と曖昧な要求。きっとご飯に混ぜるやつだ。
ふりかけの類だろうか。天井から吊るされたコーナーの表示を目安に足を向ける。
「あ!」
「どうした?」
「……なんでもない」
何かを言いかけてやめた。
だがその視線はまっすぐにお菓子コーナーに向かっていた。
真中のTシャツを握り「早く行こう」と見上げるが、未だにその視線は正面に向く。
遠慮しなくてもいいのに、と小さな笑いが起こった。
幸いにもお菓子コーナーの隣が目的の棚だ。探し物はきっと見つかるはず。
「いいよ、別に。三時のおやつ、いるだろ」
「え?」
「この隣にいるから俺が戻るまで、好きなの一つ、選んでおいて」
「みことのは?」
「じゃあ俺のも」
そこから動かないことを約束して、少しだけ自由に選ばせてやることにする。
彼の所望するものは一体なんだろう、と裏のコーナーに回り「ワカメ入ったやつ」を探す。
きっと叔母が弁当用に買ってくるものなんだろうな、とそんなことを思う。
数種類あるおにぎり用のふりかけ。
ワカメだけではなく、ウメやおかかなんてのもある。
その数点を手に取って吟味しているうちに「真中?」と声がかかる。
覚えのあるその声に振り向くと、そこには友人、東の姿。
「なんかここで会うのって珍しいね」
「俺はともかく、東がだろ。一人?」
「うん、お遣い。えらいでしょ」
「そうだね」
よっと、気軽に手を挙げ足取りも軽く近寄る彼の手には醤油のボトル。
異国の血を濃く受け継いだ彼の容姿に醤油とというのは、なんともミスマッチだ。
「ところで真中は何やってんの」
「いや、従弟が来ててさ。おにぎり食べたいっていうんだけど、ワカメの混ぜるやつがいいんだって」
「ふ〜ん、じゃあ、オレのおススメ教えるね。これ美味いんだよね〜」
ちょっと塩っけがある方が美味いんだよ、といいながら真中の手の中から一方を抜き取るとそれを籠の中に放り込む。
「つーか、本人に聞けば一発じゃん?」
「……そうだよね」
もう少し悩むはずだったのに、悩む時間はこれにておしまい。
選ばせたいものをさらに籠に入れる。いっそ両方使って食べ比べればいいのだ。簡単なことだ。
自分用のたらこは家にあるし。あとはお菓子を買って戻るだけだ。
「その従弟って似てる?」
「似てない。けど、かわいいよ」
「えー、オレの方がかわいいし」
「対抗すんなよ、五歳児には敵わねえよ」
きれいな顔立ちであることは認めるが、悪知恵の働く東より純粋な好意と悪戯を向けてくる従弟の方が断然可愛い。可愛いの質が違う。
目立つ容姿の友人を引き連れてお菓子コーナーへと戻ると、しゃがみこんで菓子類を眺めていた少年はその真ん丸の目を剥いて、はくはくと唇を動かす。より真ん丸なった目に映る真中とその友人。
「す、っげー!」
がさり。
少年の感嘆と共にチョコと飴の袋が彼の足もとに落ちた。
お目当てらしいそれらを拾い上げ、籠の中に回収する。
籠の中のふりかけを「これでいい?」と確認するために彼の顔を覗き込むと、いまだにきらきらとした視線を寄越す従弟は真中のTシャツの裾を引っ張る。ねえねえ、と。
「みこと。みこと、がいじんだ! スチーブ? ジャン?」
「え?」
「たぶん、東のことだよ、スチーブって」
はっきりしない子どもの発音では聞き取り辛いが、おそらく彼が知っている外国人の名前なのだろう。東の真下できらきらとした目で金髪と青い目を眺める。
目の色はともかく、その髪色が染めていると知ったら彼はがっかりするだろうから黙っておこう。
「みこと、外人と友だちなの」
「え、うん」
「すげぇ!」
従弟のテンションに気圧されたのか、それとも人見知りは子どもに対しても健在なのか、それからすっかり黙ってしまった。分かれ道に至るまでの間に質問攻めに合い、子どもの夢を壊すなという真中からの無言の圧力に寄り、それまでカタコトの日本語で話す羽目になり、五歳児はすっかり東のことを「外国人」と信じ込み、真中家に帰るまでには「すちーぶともっと話したい」と数少ない英語の練習をし始めたほどだ。
子ども舌の外国人は、しっかり従弟の舌を把握していたらしい。家に帰ってから確認した「ワカメの混ぜるやつ」は東勧めたものと一致していた。
そのことを告げると、ぴょこんと跳ねて喜ぶ姿が、なんだか可笑しかった。
「おにぎり以外のおかずはどうしようか」
「にくがいい! おにく!」
「ん〜……、良いよ」
おかずは牛肉と茄子、玉ねぎの炒め物のするとして、メインとなるおにぎりを先に作ろうと手を洗うと、今日何度目かの衝撃。今度は腰に。犯人は、言わずもがな。
「どうかした? ご飯出来るまでゲームしてもいいよ」
「おれもつくれる!」
「ん?」
「おにぎり、おれもつくる」
願ってもない申し出だ。二つ返事で承諾した。
食事用の椅子を台替わりに、従弟も並んでおにぎりを握る。
炊き立てのご飯は熱いから、と注意をすると彼はボウルに入れたご飯に息を吹きかける。
自分の手にも。フウフウ、と。
「何やってんの?」
「こうやるとね、美味しくなるんだって」
「なんで?」
「あいがあるからですよ」
「……誰がいったの、それ」
「ママ」
なるほど、母のおまじないらしい。
「なんか素敵だね」
「うん。あっついものには愛をあげるといいんだって」
美味しくなって、食べさせてって言えばいいんだって。
そうすると、おいしくなるんだよ。ほんとだよ、と力強く言う従弟の様子になんだか微笑ましい気持ちになる。
「じゃあ、俺もそれ試したら好きになって貰えるかなあ」
「好きな人?」
「そうそう」
「じゃあ、おれも握る」
そういって従弟は椅子の上にボウルを乗せる。そのまま引き摺って炊飯器の前へと移動すると、ありったけのご飯を盛り始める。ぺたり、と固められたお米の山はその後、ワカメのふりかけに染められる。
「全部おにぎりにするの?」
「パパとママとみこととおじちゃんとおばちゃんの分つくる」
「じゃあ俺は仁科と南風原と滝田とあず……、スティーブの分もだな」
「おれも! おれもスチーブにあげる!」
すっかりに気に入ってしまったらしい。
他の友人たちにも合わせてみたいと思いながら、彼と一緒に炊飯器の中身をからっぽにするだけ、おにぎりを握った。
熱いご飯に息を吹き掛けて。
美味しくなぁれ。
好きになぁれ。
元気になぁれ。
大きくなぁれ!
翌日の昼食。
真中の弁当箱には不揃いなおにぎりばかりが、いくつも並んでいた。
End
PREV | TOP | NEXT