そこには藍




 いつもはしんと静まり返った五時間目の教室は、今日に限っては弾けるほどの賑やかさ。
 文化祭本番を明日に控えた金曜日。
 退屈な授業は午前中で切り上げ、午後からはまるまる準備にとあてられる。
 浮き足だって授業の内容を覚えていない生徒たちがほとんどで、それに比例した人数が喜び勇んで準備に参加する。
 買い出し、設営、役割確認。
 エトセトラ、エトセトラ。
 年に一度のお祭りのためにああでもない、こうでもないという声がそこかしこで行われる。

「いやあ、熱心だよねぇ」

 そんなクラスメイトや同学年の生徒たちの献身的な姿を見ながら、他人事とばかりに仁科が漏らす。
 制服のポケットに手を突っ込み、ふらふらとした足取りで擦れ違う女子生徒を眺める。レンズの奥のたれ目が愉快そうに歪むのが見えた。

「仁科は熱心じゃないの。自分から買い出し行くって言い出したんだろ」
「まあね、細々としためんどくさい準備よりだったら買い出しに逃げた方がいいじゃない。あ、途中でアイス買っていこうか」

 おそらく真中が買い出しを頼まれているのを目撃して、それでサボリの口実を見つけたということなのだろう。
 仁科のことだから、きっと上手く取り繕って出てきたに違いない。

「仁科の奢り?」
「真中がかわいくおねだりしてくれたら考えなくもない」
「例えば?」
「あいら、大好きとか言ってみる?」
「・・それはないかな」

 内側を見透かされたと思い、心臓がどきりとはねる。

「え〜。そこは嘘でも言ってよ。アイラブ吾平って、ほら」
「なにそれ、うっぜぇ」

 しょうもないダジャレに苦笑をしながらも、速まっていく鼓動。嫌な汗が浮かぶ。
 背中にTシャツが張り付く感触が気持ちが悪い。

「そういえば、仁科と南風原、同じクラスじゃん。あいつ、なにしてんの」
「空き教室で狩りでもしてるんじゃない? 今年は乗り気しないって言ってたし」

 南風原にとって、展示物ばかりのクラスの出し物は退屈以外のなにものでもないのだろう。
 文化祭の話題が出る度に「やる気がしない」「当日休んで良い?」などとぼやいていた。
 見張り役の真中と、焚き付け役の東がいなければ、彼のボルテージは尚更上がりにくいのだろう。

「そっちは?」」
「滝田なら彼女と電話してるし、東は一年生の女の子にお誘い受けてたかな」
「……付き合う前に幻滅するにアイス一個」
「人見知りで話しする前に南風原見つけるのに、ジュース一本」
「どっちもダメになるんじゃ意味ないじゃない」
「東だからな」
「だよねぇ」

 友人への依存度が些か高すぎる親友を引き合いに出し、近場のホームセンターへゆっくりと進む。
 クラスの女子に頼まれたメモの通り、必要なものを買い物カゴに突っ込む。仁科も同じようなものかと思い振り返るが、その手にガムテープを二、三個手にしただけであとは真中の後ろに着き従っているだけ。にこにこしているか、個人的に欲しいものを見つけてはふらふらと近寄って手に取り眺める程度。
 何しに来たんだ、と言いたかったが彼はサボリにきていることを思い出す。

「真中んとこってなにするんだっけ?」
「海底水族館的なやつ」
「なにそれ」
「教室を海みたいにして、魚拓とか魚で埋めて、俺らが深海魚の解説するとか言ってた気がする」

 主な材料はブルーシートと青色のポリ袋と画用紙その他。クラスの有志たちが集めた深海魚や魚の標本みたいなものを展示するとも言っていた。
 クラス委員の書記でありながら、うっかり寝ていた真中にはいまいち把握し切れていない。
 それゆえに、今自分に唯一出来ることをするべく、買い出しに行くことを委員長により言い渡されたのだ。

「ふ〜ん。それにさ、エビフライとか紛れてたらおもしろくない?」
「悪目立ちしすぎじゃないの、それ」
「フグでもいいけど、浸透圧の関係でたぶん大変なことになるよ」
「……エビフライの方が好きかな」
「じゃあ、決まり」

 香り付き消しゴムや野菜の形をしたマグネットを手に取りながら、にやりと笑みを浮かべる男の提案。
 この一年で嫌と言うほど目にしてきたその笑みは、仁科がよく悪戯を思いついた時にする癖だ。
 地味だけど質の悪い彼の発想が、嫌いではない。
 同じクラスで一年間。彼と、彼の友人と、自分の古くからの友人。
 彼らと楽しく過ごしているうちに、そこそこ悪目立ちしている仲良しグループとして周囲から認識されるようになった。
 それに気付いたのは、仁科と仲良くなってからずいぶんと後になってのことだけど。
 中学時代の真中を知る友人たちからは「お前、悪くなったな」と冗談交じりに言われることもある。
 もともと優等生の部類に入る真中だったからこそ、昔と今との差に驚く人もいるのだろうが、なんてことはない。
 無理をしてまで優等生でいる必要がなくなっただけのこと。
 それを気付かせてくれた仁科だからこそ、彼を「友情」というくくりに置いてはおけなくなり、今現在、悩んでいるのだが。

「真中、買い物終わった?」
「うん」
「じゃ、寄り道して帰ろう」
 
 会計を済ませ、任務を終えた後はコンビニへ。
 学校の近くにあるために、真中たちと同じ制服を着た生徒たちがちらほら。
 人の波を縫ってまっすぐ向かった飲料の棚。
 新製品のポップがついた炭酸飲料に手を伸ばした瞬間に「好きなの?」と声を掛けられ、うっかりつかみ損ねる。
 なかに炭酸を閉じ込めたペットボトルが乾いた音を立てて床へと打ちつけられた。

「……え?」
「いや、真中って炭酸飲んでるイメージあるから」
「あ。ああ、うん。暑いと飲みたくなるじゃん」
「あ〜、なるほど。俺は微炭酸くらいが好きだなあ」

 ころころと転がるペットボトルを拾い上げ、新しいのと変えたそれを押しつけられる。

「あ、ついでに東たちにも何か買ってく?」

 仁科の提案に頷き、南風原と東、滝田の分も適当に買って学校へと戻る。甘いものより辛いもの、お菓子よりも肉が好きな彼らのために、唐揚げなどの揚げ物を選ぶ。
 暑いのに揚げたてのものを選んだのはもちろん、仁科だ。
 
 買い出しを終えた袋をクラスメイトに預けた後は、仁科に引っ張られながら空き教室を巡る。
 ゆっくりと買い物しすぎたらしい、時刻はもう放課後になっていて、委員長からは遅いと怒られたが、もともと期待はされていなかったのか、それ以上のお咎めはなしだった。
 明日使うパンフレットを見ながら、真中や仁科たちのクラスが共用で使う多目的室の扉を開くと、机の類が後ろに追いやられた教室の広い空間に、見知った顔がひとつ、ふたつ、みっつ。

「おお、真中」
「買い出し行ってたんだって? おつかれ」
「ついでにおやつ買ってきたんだけど」
「うそ、マジ、ホント!? 真中さん大好き!」

 ゲーム機から顔を上げずにボタンを連打する南風原とその横で画面を覗き込んでいた東。
 どちらも素っ気ない反応だったが「おやつ」と聞いた途端に真中の腰元に飛びつく。
 即座に引ったくられたコンビニ袋の中身は、あっという間に二人の欠食児童に食い尽くされる。
 その光景に溜息を漏らすと同時に、部屋の奥から声がかかる。

「遅かったね、お二人さん。準備サボって何してたんだよ」

 窓の庇に肘を掛けた滝田が、おかえりとばかりに手を振っていた。

「え〜、たっきーに言われたくないなあ」
「俺は彼女に会ってたの、仕方ないでしょ」
「何でわざわざ戻ってくるのさ、そのまま帰って乳繰りあってればよかったじゃん?」

 ずいぶんと明け透けに言い合う仁科と滝田だったが、それも幼なじみという関係性がなせる技なのだろう。
 ただの友人というポジションの真中には、少々うらやましい関係だった。

「違う違う、来てるんだよ。うちのハニー」

 そういって、窓の外を指さす。
 どうやら乳繰りあうのはこの後らしい。
 だったらここにいないでイチャついていればいいのに。そんな思いで「ケンカでもしたのか」と訪ねれば「ご心配なく」とすかした笑みが帰ってくる。

「友だちに会ったから遊んでくるってさ。だから、俺は今、変な虫がつかないか監視中なの」
「へー、滝田の彼女ってどれ?」

 彼の立つ窓の外から見下ろす校舎の外には、他校の制服を着た女子生徒が数人。バスケ部の女の子たちと楽しげに会話をしていた。

「あんまりジロジロみるなよ、減るだろ」
「見たって、あれ以上乳小さくなることなんてないでしょ」
「おいこら、あいら! おめー、ぶちころすぞ!」
 
 滝田に尻を蹴られながらもケタケタと笑う仁科が教えてくれた噂の彼女は、前髪ぱっつんでお団子が似合う活発な雰囲気の少女。

「かわいいじゃん」
「あげないよ」
「いらねえよ」
「知ってる。真中には本命がいるもんなぁ」

 ぎくり。
 その一言に、面白いほど表情が強ばるのを自覚した。
 不機嫌に隣のクラスメイトを視界に捉えれば、キツネのようなエロ目がさらに細くなって、笑う。

「言うなよ」
「言わないよ」

 何を、なんて言わなくても察しの良い滝田は理解している。
 良い奴なのは知っているが、こんな時に思い知る。
 仁科の親友なだけある。食えない奴だ。

 深呼吸と溜息が混じった、長い息を吐いてペットボトルを抱えて床の上に座り込む。意味もなくポケットに突っ込んだままだった携帯を弄り始めると、待っていましたとばかりに東と南風原が寄ってくる。

「おっと、ここに良い枕が」
「おっと、ここに良い狩り場が」

 それぞれが真中の脚を枕と肘置きにして昼寝、またはゲームに耽る。まあ、これもいつものことと呆れ顔でしゅわしゅわ弾ける炭酸を口元に運ぼうとした瞬間。
 背中に、衝撃。

「お。ここに良い背凭れが」

 ちょっと寝させてと背中を預けてきたその声の主は、仁科。
 おそらく本人は軽い気持ちで言っているのであろうその一言も、真中にとっては爆弾みたいなものだった。
 肩に預けられた仁科の髪が、首筋に触れる。
 窓から入ってくる風が、自分のものとは違うシャンプーの香りを運ぶ。
 預けられた背中の裏で、心臓がどきどきと鳴り響く。仁科に聞かれていたらどうしよう。
 いっそのこと、伝わってしまえばいいのに。いや、ちょっと待って。やっぱり嘘。嫌われたくない、聞こえないで。
 頭の中で、ころころと変わる意見に真中自身、ついていけない。

「あれ、真中。顔赤くね?」
「……日焼け」
「ああ、肌弱いもんな」

 東の暢気な口調に少しだけ心臓の音が和らぐ。
 それでも背中に預けられた体温は変わらない。自分の感情を誤魔化すようにペットボトルの中身を煽ると、口の中でパチパチと気泡が弾けた。

 床に置いたペットボトルは西日を浴び、床に陰を落とす。
 ゆらゆら、ぐらぐら。クラゲみたいに揺れるそれは、真中の理性そのもので、

「ホント、タヌキだね」

 自分の理性を総動員させていた真中には、滝田の言葉に気付くことはなく。
 ただ、背後で身じろぐ気配に心臓を跳ねさせるばかりだった。


End


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