AOHARU soda POP!
中学の頃憧れていた高校生活は、いざ自分が制服を着るとたいしたものではなかった。「こんなものか」と。
白くて清潔な校舎はとても現実的なところ。
消える魔球を投げる投手は存在しないし、テストの結果は張り出されたりしない。
際どい恰好をした美人な養護教諭はいなければ、屋上は解放されておらず常に「立ち入り禁止」の看板がぶら下げられている。
安易に授業をサボれるほど単位に余裕なんてなければ、ドラマや漫画のような劇的な出会いも存在しない。
辛うじてバイトと染髪が許されているくらいで、地方の、それも名ばかりの進学校の実態は規則や課題の締め切りの多い所だった。
それでも息苦しいと感じないのは、きっと気の合う仲間を見つけたから。
少々「がっかり」した学校への印象も、一年も経てば諦めも慣れも出てくる。
その中で友人と遊んで、喧嘩して、仲直りして、時にはこじれて。勉強以外のことも学ぶ。「学校」とは、そんなところだ。
その短い期間を「青春」と呼ぶことを、在学中に気付くことなんてほとんどない。
「あ、今、青春してる」
そんな認識が出来るほど、彼らはじっくりと周りを見る余裕なんてない。
これが「青春」と感じとれないほど、彼らは常に一生懸命なのだから――
どんなに堅苦しい所と感じても、一年も経てば馴染むものだ。
廊下の奥、複数の話し声が重なり合い雑音に変化した音が濃度を薄くして響いてくる。
スピーカーからは全校生徒からリクエストした曲が休みなく流され、時々催し物の宣伝アナウンスと「2−5 滝田和寛、展示室まで」という呼び出しが頻繁に行われていた。普段であれば、もう少し真面目な放送委員長の声も、今日はどこか浮かれているように感じる。
それもそのはずだ。
田舎の、七月中旬。
夏休みも暦上に見え始めたその時期は、年に数度、いつもの「真面目でお堅いガッコウ」のイメージから解放されてお祭り気分に染まる季節。
体育祭と球技大会よりに先駆けて行われる、文化祭。その只中なのだから。
「水色ってさ、水の色のくせして青いよな。透明じゃねーのかよ、納得いかねえって思ったことない?」
「……ないな」
「なんでだよ!」
「なんでって、ないからだよ」
生徒会長による文化祭の開催が宣言されて早一時間半。
まだまだ盛り上がりを見せるであろう校内の雰囲気から随分とかけ離れた校舎二階の一番奥の教室。
二年五組の控室に指定されているそこに、三人の生徒。
どいつもこいつもだらけた様子で、そこから動こうという様子は一切見られない。
中学校からの腐れ縁で、この五年間、同じクラスでそろそろ「親友」や「悪友」と名前を変えてもいい友人らの会話を聞きながら、手元のパンフレットに目を落とす。事前に在校生全員に配られたそれを、友人である東も南風原も持ってきていない。それどころか、見ることもせずに「美味しそうなものがあったら買ってきて」と財布だけを渡してそれぞれの時間を楽しむ始末だ。
端から動く気などない。
なんとかクラス展示の係の仕事は終わらせた。
元々面倒くさがり屋な彼らがこれだけ動くだけでも大変だったのだ。これ以上世話をする体力は、真中には残されていなかった。
深い溜息と共に、ぐだぐだと続けられる彼らの会話に突っ込みを入れる。
「そんなに気になるなら、調べれば。グーグルでもヤフーでも。ネット使えば一発じゃないか」
「何言ってんだよ、ミコトさんや。今の俺は狩人だぜ? そんな些細なこと気にしていられる余裕はねえのさ!」
「うるせえ、ばか。先生に見つかって没収されろ!」
知りたがっていたくせに、掌を返した返答に子どもっぽい反応が口をついて出る。
高校入学を機に、クールな男を目指すと心に決めたのに。なかなかどうして、上手くいかない。
「やだね。自由時間に自由にしていて何が悪いんだ! それを邪魔するだなんて鬼じゃねえの!」
「南風原に俺も賛同する!」
「お前らは若干自由すぎると思うよ?」
床に寝転がりゲームの世界に夢中な南風原の腰の上に跨った東が、したり顔で「それがどうした」と一蹴する。
もう返す言葉もないとばかりに返事代わりの溜息を吐くと、腐れ縁の少年たちは口を揃えて提案する。そんなに暇ならさあ、と。
「滝田探してくればいいじゃん」
「なんで?」
「だってあいつ、今当番の筈だろ。呼び出されてるってことはサボってるんじゃねえの?」
「良いのかよ、学級委員」
こんな時に責任を問うなんて。
HR中にうっかり寝ていたがために、勝手に入れられた書記の責任なんて、この場合あってないようなものだ。
彼らに比べれば比較的まともな方である自身はあるが、真中自身も「真面目」というにはいろいろなものが欠けている。そんな自覚はあった。
とはいえ、堂々と授業をサボるなんて度胸はない。
精々机の下で携帯を弄ったり、電子辞書と称して携帯ゲーム機を机の上に置くくらいのものだ。
「めんどくさい」
「あらまあ、真中さんてば、意外に冷たいのね」
「まあ、ミコトが探すより仁科くんに任せた方が早いだろうしね」
「あれ、その仁科もいねえじゃん」
クラス展示の案内役を一緒に務めていた仁科は、一緒にこの教室に入ってきたまでの記憶はあったが、真中がカバンから文化祭のパンフレットを引っ張り出している間にどこかへ姿を消していた。
見た目だけなら、この中では一番賢そうなのだが、彼もまた真中たちと同様「不真面目」な生徒たちと言えた。
「ああ、あいつらって割と一緒にいるよな」
「仲良いよなあ。幼馴染だっけ?」
「中学からですが、オレたちだって負けてませんよ?」
「あぁん。東さんってば、ミコトが見てる前でそんな……」
お約束の茶番を見せられながら、出てくるのは溜息ばかりだ。
「あらまあ、ミコトさんてばさっきから溜息ばっかりついちゃって。さすがのオレたちも傷つくってものですよ。なあ?」
「生理じゃねえ? 腰とか頭にきてんだから、そっとしておいてやろうぜ」
手元の動きを一切止めることなく、女の生理現象について躊躇なく口にする南風原に東の口も鈍るというもので。
お互いなんと言葉を返すべきかと考えあぐねている間、教室の中は連打されるボタンの音と遠くの喧噪ばかりが響く。
そんな時だった。
背後の扉が、ガラリと勢いよく開けられたのは。
見回りの教師かと、思わず肩が跳ねる。
3人揃って警戒の表情を浮かべて入り口に視線を這わせたが、そこに居たのは先ほどまで行動を共にしていた仁科だった。
「……飲み物、買ってきたんだけど。真中には薬も要ったかな?」
呑気な笑みを浮かべ、ペットボトルを抱えた少年の姿にひとまず安心する。
脱力しながら腹の下に隠したゲーム機を再び立ち上げながら「薬なら赤玉の奴がいいってさ」とさりげなく助言するのは、やはり南風原で。「なんでそんなに詳しいんだよ」「姉ちゃんがさあ」「ああ、あの美人の」と別の話題へとシフトしていくさまを、これまたやっぱり呆れた表情で眺める真中に、新たに加わった男が「相変わらず大変だね」と告げる。
「仁科もだろ。今まで放送委員に協力してたんだろ」
「ううん、違うよ。ジュース買ってきたとこ」
真中の分も買ってきてくれたらしい。当番の際にぽつりと零した「喉乾いた」の一言を覚えていてくれてのことだろうか。
わざわざ校外に出て買ってきたのであろう、最寄りのコンビニのシールが張られたボトルには水の珠が張りつき、受け取った掌をゆっくりと冷やしていく。
「あ、ありがと。いくら?」
「いらない。それよりだったら後でタコス奢ってよ」
「そっちの方が高くつくじゃん」
「あ、ばれた?」
差分なんてせいぜい50円ほどだけど。
「じゃあ、俺とのデート代ということにしてよ」
「サイダーより安いって、どうなの」
「お手頃価格」
「どっちかっていうとお勤め品じゃん」
「子守にお疲れの真中には調度良いんじゃないでしょうか」
「そうでしょうか」
「おつかれさまです」
「ありがとうございます」
のらり、くらりと。
少しずつ仁科のペースに巻き込まれていく会話の感触。
その感覚は、真中にとって決して悪いものではない。
おそらく、それには別の要因が働いていると薄々感じながらも、彼との会話も嫌いではないのだ。
てっぺんをこじ開けると、中から小さな破裂音。
シャラシャラと音を立てる中身に口を付けると、少し強めの炭酸が舌先を刺激した。
「真中さん、どうせ暇なら俺に付き合ってよ」
冗談とは分かっていても、その笑みと言葉に動揺してしまう。
炭酸水で冷やしたばかりの内側が、途端に熱くなるのは日差しが強いからだろうか。
「おデート、いってらっしゃい」
「お土産は欠かさずにね」
友だちから親友に名前を変えた二人に見送られ、仁科と共に騒がしい校内へ。
ちらりと盗み見た隣に並ぶ人物は、どこをどうみても男のもので。
はてさて、一体彼のなにが自分の心を刺激するのか。
「真中、大丈夫? 本当に生理薬が必要なら買ってくるよ?」
「……いらないって」
悪ふざけの一言ですら、肩に触れるその手にすら、心臓はどきりと反応してしまうのだ。
相手のちょっとした言動で簡単に揺れてしまうこの感情は、きっと炭酸水よりもたくさん弾けているだろう。
たくさん振ったら振られた分だけ、その感情は大きく爆発する。
どうか、誰もこの蓋をこじ開けませんように。
そう祈った矢先のこと、
「そうだ、真中。お化け屋敷にも行こう。俺、一人じゃ入るの怖くてさ」
冷蔵庫に大切にしまっていたサイダーに、仁科の手が掛かった瞬間だった。
しゅわしゅわ、きらきら。
光を帯びて、はじける炭酸が零れるまで、あと少し。
End
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