生きてきた短い人生のなかで、一番楽しかったのはいつですか。戻りたいのはいつですか。
たとえばそんなことを訊かれることがあったとしたら、わたしはあの夏のことを思い浮かべるだろう。じりじりと照りつける太陽の眩しさに目を細め、好きな人のまばゆさに目がくらんだ季節。恋をした。毎日が楽しくて、目に映る世界のすべてがきらきらと輝いて見える、そんな日々。

「なに?顔が笑ってる」
「んふふ。思い出し笑い」
「変態」
「うるさいなぁ。京治に言われたくない」
「それ心外なんだけど」

はい。ほこほこと湯気が立つマグカップを差し出すと、京治はわたしの隣に座った。受け取って、カップのふちに口をつける。砂糖の量もミルクの量も、相変わらず完璧だ。冷蔵庫のなかにはケーキとプリンが二つずつ。日付を跨いだらいっしょに食べようねと決めてある。

「懐かしいね、それ」
「でしょ?京治、めっちゃ幼い」
「なまえだって」
「あはは。だってまだ十代だもんね」

これ、と指差すそこにはまだ高校生だった頃のわたしたちが写っている。撮るだけで満足していた大量の写真をコンビニでプリントしたのは、ずいぶんと時間が経ってからのこと。がこー、がこー、と一枚ずつ出てくる写真を見ては笑い、小銭が足りなくなるたび何度もレジのおばちゃんに両替をお願いしに行ったことを覚えている。ぎこちなく笑う京治の表情はいつ見ても笑ってしまいそうになるし、ふざけた顔で写り込もうとしてくる木兎先輩たちは未だに変わらなくて安心する。

「なんかあっという間だったね」
「なに、急に改まって」
「そういう気分なの」
「はいはい」

京治はマグカップに口を付けて、ふー、とゆっくり息を吐く。白い湯気がゆらゆら。そのままコーヒーを口に含むと、喉仏がこぽりと動いた。一丁前にブラックコーヒー、昔は飲めなかったくせに。そう言うと怒るから、今日は言わないでおいてあげよう。



「好きです」

高校2年の夏だった。いつものように部活を終えて体育館を出ると「ちょっと来て」と腕を掴まれて、人けのないところまで連れて行かれた。なに。訊ねると、掴んでいた腕をぱっと放して、京治は深く息を吸った。そして吐き出して、言う。「好きです」となぜか敬語で言った京治はずっと目を合わせてくれなくて、その顔にはいつもの“余裕”はなかったように見えた。

「わたしも好きです」
「え?」
「え?って、え?」
「や、今なんて…」
「わたしも好きって言いました」

ぱちぱちとゆっくりまばたきをする京治の瞳が、まっすぐにわたしを捉えた。かと思えば、右手で口元を隠してすぐに目線をそらされてしまうから、わたしの方がドキドキさせられた。表情はうまく読みとることが出来なかったけれど、虫の音にかき消されそうなほど小さくこぼれた京治の声をちゃんと拾った。「はあ、よかった」って、たしかに。

「よかったって?」
「や。最近、みょうじとやたら仲良い一年がいるからやばいって、」
「え?一年?」
「うん、木兎さんが言ってて」
「えー?木兎先輩、わたしが赤葦くんのこと好きって知ってるはずなんだだけど」
「…は?」

気付けば自然と目で追うようになっていたらしい。
「みょうじってもしかして赤葦のこと好きなのか?」
他の部員もいるなかで、木兎先輩はいつもと変わらないトーンではっきりとそう言った。木兎先輩に気付かれていたこと、周りの人たちに聞かれてしまったことで動揺するわたしを見て、「おまえバカだろ」と木葉先輩たちが木兎先輩の頭をぱしんとはたく。フォローのつもりらしい。悪い、とすぐに詫びを入れてくれたけれど、じゃあ協力してください、と言ったわたしに木兎先輩は目をきらきらと輝かせたのだった。なるほど、これが先輩なりの協力、か。

「…木兎さんに騙された」
「あはは。騙してくれてありがとうございますってお礼言っとこ」
「いいよ、みょうじは言わなくて。俺が言うから」
「言わないでしょ」
「バレた?」

ようやく笑顔をくれた京治につられてわたしも笑った。せわしなく騒がしい毎日も、彼の隣にいるだけでおだやかな時間が流れていくようだった。いろんなものを見て、いろんなところへ行って、いろんなものを食べて、いろんな話をして。喧嘩した数だけ泣いたけど、その分だけ仲直りもしてきた。街の景色や流行は時間とともにずいぶんと様変わりしてしまったけれど、変わらないものもあることをわたしたちは知っている。



「なまえ」

京治の声で、今に引き戻される。手元のアルバムは、まだ付き合い始めた頃のわたしたちのままだ。京治はわたしの手からマグカップを奪い取ると、ふたつおそろいのそれをテーブルに置いた。ソファに背中をもたれてこっちを向くと、何も言わずにキスをひとつ。顔を放せば子供みたいに笑うくせは、いつまで経っても同じだ。からっぽになった指をからめると、さっきまで握りしめていたマグカップのぬくもりがまだ残っているらしく、あたたかく感じた。

「俺でよかった?」
「今さらそういうこと言う?」
「訊いてみただけ」
「京治が、良いんだよ」
「ありがとう」

あの頃、わたしたちは十七才だった。手を繋いでキスをして、セックスを覚えた。そばにいられるだけで幸せだと思う気持ちは、未だに色褪せずにここにある。彼と生涯を共に生きたいと思い始めたのはいつからだっただろう。彼はいつからそんなふうに思ってくれていたのだろうか。

「これからもよろしく」
「こちらこそ。不束者ですが、よろしくお願いします」

明日から何が変わるだろう。もしかすると何も変わらないかもしれないけれど、それでもいいと思えた。ふたりに訪れる未来が幸せでありますように。ずっといっしょに笑っていられますように。たくさんの願いを込めて、明日、わたしたちは永遠を誓う。


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