それはごく自然にやってきた。大きな喧嘩も、浮気、大きなすれ違いもなかったのに、こんな事ってあるんだなあ、と感心してしまいそうなほどに自然だった。

別れよう、と岩泉に言われた時、驚くほどあっさりと受け入れられた。理由も聞かなくてもよかった。実際、岩泉も特にこれといった理由はないみたいだった。

「不思議だね」
「なにが?」
「なんでこんなにあっさり受け入れられちゃうんだろう」

夏の始まりを告げるように、涼しい風がひゅう、と吹いた。岩泉は何も言わず、少し気まずそうな顔でそっぽを向いていた。

「喧嘩もほとんどしたことなかったしね」
「そうだな」
「他に好きな子ができた、なんてワケじゃないんでしょう?」

こく、と彼は力強く頷いて、エナメルバックを背負い直した。陽はゆっくりと傾いて行って、そろそろ、私たちの影が浮かび上がってきそうな時間だ。

岩泉と付き合ったのは、いま思えば別れと同じように、本当に自然だった。まるで昔からこうだったみたいに惹かれあって、恋人になっていた。あれは確か1年生の、ちょうど今ぐらいの季節だったような気がする。

お昼を一緒に食べたり、テスト前は勉強したり、部活の応援に行ったり、毎日一緒に帰ったり、休みの日は色々出かけたりもした。もちろん私たちは自分たちの時間も大切にしていたから、そんなにべったり、って感じではなかったけれど。だから別れてもきっと、私の日常はそんなには変わらない気がする。岩泉とは学校で会えるし、友達としても付き合っていけそうだ。なんて思っていたら、黙っていた彼が口を開いた。

「これからは帰るの、待ってなくていいから」

その一言が、私の中で弾けた感じがした。グラスから注いだ水が溢れるかのように、涙が頬を伝った。毎日、岩泉のことを待っていた放課後の教室のこと。部活終わりの、少し疲れて赤くなった彼の瞳のこと。エナメルにぐちゃぐちゃに突っ込まれたユニフォームやタオルのこと。伸びていく影を見ながら、思い出してしまった。陽は完全に傾いて、西日があたって暑い。

「ごめんな」
「なんで謝るの」

責めるように言うと、岩泉はまた黙ってしまった。

「なんか言ってよ」
「うん」
「うんじゃなくて」

ポン、と頭に彼の手が触れるのが分かった。そのまま、ぐっと体を引き寄せられて、いつの間にやら抱きしめられていた。顔は見えないけれど、頭を撫でるその手つきは優しくて、彼の白いシャツに顔を埋めて泣いた。

「ごめんな」

私の上から降ってくる言葉は優しかった。今度は私が黙る番で。

「いつも待っててくれてありがとな、嬉しかったよ」
「こちらこそ」
「泣き止んだか?」
「まだ」
「そっか」

私が泣き止むまで、彼はそのままでいてくれた。いつもは2人の家への別れ道で解散してたけれど、今日は家まで送ってくれるという。私が泣き止んだ頃には気温は落ち着いて、少し肌寒くなっていた。

家までの道は、さっきのが嘘だったみたいにいつも通り楽しく帰った。楽しく、は語弊があるかもしれない。普段と同じように、何気ない話をして歩いた。

「じゃあここで、送ってくれてありがとう。」
「おう」
「じゃあね」
「じゃあ、また」

また明日。最後の方はうまく聞き取れなかったけど、そんなようなことを彼は言って踵を返した。薄紺色の住宅街に消えていく岩泉の後姿を見ていたら、なんだか胸のあたりがつかえる感じがした。こんなにあっけなく、あっさり終わってしまうんだなあ。恋人としてのさいごの1日は唐突に幕を降ろしてしまった。だけどまだ、部活終わりの彼の、少し汗臭いシャツのにおいは私の記憶に残ったままだ。


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