疲労を溜め込んだ足で住み慣れたアパートまでの道をだらだらと歩く。 やっと家までついてポストを開けると、電気会社の封筒と、それから葉書が一枚入っていた。 葉書を裏返すと、高校の同窓会のお誘いであった。 ――もう十年も経ったのか。 家の中に入りつつ、うっそ、と口の中で呟いた。母が「年を取るとどんどん時間の流れが速くなっていくわぁ」と言っていた意味をこんなところで痛感するとは、と頬に手をあてた。 夕飯をいつも通り簡単に済ませ、もう一度葉書を手に取った。 日にちを見ると、スケジュール的には全く問題ない。メンバーも、受験を共にした思い入れのある面々である。 しかしなまえには、出席するかどうかを渋るある1つの問題があった。 元彼がいるのである。もちろん彼が来るという確証は何もないが、彼のことだ。来ないということはきっとないだろう、となまえは感じた。 今更、元彼のことを気にするような年齢でもないけど、となまえは鼻先にボールペンの頭をあてた。 彼とは高校2年の途中から付き合い始め、そのまま卒業まで付き合った。しかし大学に進学し遠距離恋愛になってからは、どちらからともなくすれ違いを感じ、別れてしまったのだった。 彼と破局後、別の男性と付き合いもしたが、やはり青春時代に交際した男性というのはどうしても一目置いてしまう。 少し考えたあと、なんだか今の彼に会ってみたいような気がして、結局は「ご出席」に丸を付けた。 ◆ 同窓会当日。 普段は滅多にしないようなおめかしをして鏡の前に立つ。最後の仕上げとして、首筋と手首に香水を振りかけた。この香水は前の彼氏からのもらいもので、どちらかというと香水はあまり好きではないなまえからしても、悪い匂いではない。しかしやはり香水はあまり好かないので、今日のようにお出かけするような日にしか香水はしなかった。 会場につくと、見知った顔ぶれだった。そこまで変わらない印象を受ける者もいれば、「あんた誰」と言いたくなるほど豹変している者もいた。 「なまえー!久しぶりー!」 自分もきっとそうなのだろう、と思いながら、高校時代よりもずっとけばけばしくなった友人と話に花を咲かせた。 談笑しつつ目を走らせると、予想通り、彼がいた。 ビールジョッキ片手に、少しだけ顔を赤らめて楽しそうに友人たちと語らっている。外見は、別れたときとそれほど変わっていない。卒業してから激太りしているという人もいるのに、彼は全くそのままの体型を維持している。あれからずっとバレーボールを続けていたのだろうか。 じっと彼のことを見つめすぎたのか、なまえの視線を追った彼女の友人が、訳知り顔で口を開いた。 「……あ、澤村くん?変わってないよねえ。」 慌ててなまえは彼女と視線を合わせた。マスカラがこてこてに塗られた目元は、十代の頃のそれとは似ても似つかない。 「うん。ほんとにね。」 なまえがそう返すと、友人は少し聞きづらそうに、でも瞳に隠し切れない好奇心を爛々と光らせた。 「いつ別れたの?」 「――いや、卒業してすぐだよ。遠距離だったから。」 彼にまったく未練はないというのに、彼と別れたと打ち明けるときはどこかむず痒かった。 友人はなまえの言うことを聞けば満足したのか「そうなんだあ」とそれ以上聞いてくることはなかった。 宴もたけなわの頃、なまえは大地と話す機会を得た。 もうぐでぐでに酔っ払った男友達が、一向に関わらない私たちを見て「お前ら付き合ってたのに、水くせえなあ」と大地をなまえの元へ押し出したのだ。 「……久しぶりだね、大地。」 「おう。」 彼の顔を伺うと、あまり飲んでいないようだ。やはり彼は、自然とみんなのまとめ役になってしまうのだろう。 別に、元彼と話したところで何か話題があるという訳でもない。気まずくなって目を伏せたなまえの視界に、きらりと輝くシンプルなシルバーリングが映った。 「結婚したの!?」 なまえが目を見開くと、大地はなまえの視線を追って自分の左手を見た。 「ああ。ついこの間な。」 幸せそうに微笑んで指輪を見る大地に、なまえは「そうなんだー」と答えながらも、心のなかでは頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じていた。ショックを受けている自分自身にも驚く。 もう彼には何の感情も抱いていないと思っていたのに、いざ会ったら気持ちがぶり返したのか――? いや、違う、となまえは心の中で否定した。違う、とは思うが、こんな感情を抱く明確な理由を見つけられない。 なまえは話に身が入らなくなって、大地との会話を適当に切り上げると、そのまま同窓会の最後まで上の空で過ごした。 ◆ 同窓会が終わり、最寄り駅についてアパートに向かった。酔って火照った身体を冷やしたくて、なまえは途中にある公園に入ってベンチに座り込んだ。 二次会もあったが、どうしても行く気にはなれなかった。大地は、家庭があるため帰ったようだった。どうやら今年の冬頃に子供がうまれるらしい。 どうしようもなくなって天を仰いだなまえの目の端から、涙がこぼれ落ちた。 マスカラ落ちちゃう、と思いはしたが、なまえには溢れ続ける涙をどうにかする気力は残っていなかった。 自分ではない女性が待つ家庭に帰る大地。自分ではない女性のご飯で生きる大地。自分ではない女性とセックスをする大地。自分ではない女性が産んだ子を愛する大地。 脳内で、のっぺらぼうの大地の妻を自分に変換しているのに気付いたのと同時に、やはり自分は大地のことが好きなのかもしれない、と悟った。 しかし、今更どう悔やんでも後の祭りである。彼を寝取ろうとも思わない。彼が浮気をするような男ではないと分かっていたし、それに彼が浮気なんてする男だったら私は好きにならない、となまえは感じた。 なまえは鞄から取り出したハンカチで、化粧のことなど少しも気にせずに適当に涙を拭うと、よいしょ、と自分を勇気づけて立ち上がった。 家を出るときに、少しだけ期待して付けた香水も、これから先の未来、この香水を見るたびに今日という日を思い出してしまうような気がして、なまえはそのガラス製のビンを鞄から取り出すと、公園のゴミ箱にぽいっと投げ捨てた。 |