及川はモテる。かっこいいし、なんでもそつなく出来ちゃうし、誰にでも優しいし。だけどその裏にはものすごい努力があったり、彼なりの気遣いがあったりする。それを知ってしまった日には、私はもう彼の虜で。

悔しいけど、人並みに及川に惚れて、彼を目で追い続けた。


そして、彼女になった。

付き合って分かったけど、彼はすごく普通の人間だった。いや、普通以上に脆かったのかもしれない。付き合い始めこそ理想的な男だったものの、慣れてきたのか心を開いたのか、私の前だけは取り繕わなくなった。泣いているところも、怒って取り乱すところも、バレーボールのことばっかり考えているところも、全てを曝け出した。

私だけに見せてくれるそんな一面が、すごくすごく愛おしかった。人気者の彼を独り占めできた優越感に浸っていたのかもしれない。あの時は及川の彼女であることが嬉しくて、どんなことを言われても平気だった。ファンの子から陰口を叩かれたこともあった。ただのセフレで及川くんはあんたのことなんか全然好きじゃないんだから、なんて酷いことを言われてるのも知っていた。私は特に秀でたところもない普通の人間だったから、そう言われるのも仕方なかった。


だけどそんな平凡な私なんかを、及川は信頼して、愛してくれていた。し、そうだと信じていた。高校生で愛してるなんて感情、まだちゃんとわかってなかったのかもしれないけれど、確かにそれは愛だと思っていた。私は及川に愛してると伝えたし、彼も何度も私に愛してると囁いてくれた。



でも、及川と付き合ってから1年半、私が愛だと考えていたものは思ってた以上に薄っぺらかったのかもしれない。

「なぁ、別れてくんねー?」
「はぁ、」
「部活、もっと集中したいんだよね。最後だし、倒したいやついるって言ったじゃん」
「ウシワカ、だっけ?」
「そーそー。」
「ウシワカ倒すために別れるの?」
「そー。」
「なんで?」
「デートに費やす時間、無駄だなって」
「あ、そう」

頭をガツンと殴られたような感じがした。及川ってそういう事言う人だっけ。少なくとも私に見せてくれた素顔の及川は、こんなこと言う人じゃなかった。だけど、私は彼にとっての1番が、私じゃないってこともわかっていた。彼にとっての1番は、勝つ事で、そのためには努力も惜しまない。辛いことも苦しいことも怒りも涙も全部堪えて、溢れそうになってもそれを決して周りに見せない。そういうところに私は惹かれて、今までこうして付き合ってきたんだった。

「わかった、別れるよ」
「今日はヤケに聞き分けいいんだね」

最後に抱いてあげようか、なんて彼が軽口を叩くもんだから、その頬を思い切りはたいてやった。嘘つきな及川が憎らしくて。及川の1番になれない自分が悔しくて、惨めで。及川が涙を堪えていたのを私は気づいてた。あんなに心を開いてくれていたのに、とうとう彼にバリアーを張られてしまった。これから、2人の距離はどんどん離れていくんだろうなって。



私と及川が別れたという話は、あっという間に噂になっていた。ほら、やっぱりセフレだったんだよ、とか、やっぱりかわいくないし及川さんには釣り合わないと思ってた、とか、3組の何某が次の及川の彼女候補らしい、とか。後ろ指をさされながらも、私は心の中で及川のことをずっと信じてた。自分でもなんでそう思うのかはわからないけれど。例え彼が噂の女子と今すぐ付き合ったとしても、私が及川と過ごした1年半は幻なんかじゃない。例え私達の愛が半紙みたいに薄っぺらくてもうびりびりに破れてしまっていても、嘘なんかじゃなかったって。




それから1年が経って。

「あ、ねえ」
「あ、及川。久しぶり」
「久しぶりじゃん、変わってないね」
「及川も」

下駄箱の前で、及川に話しかけられた。学校ではちょこちょこ見かけてはいたけれど、話すのは、別れた日以来かもしれない。及川がウシワカに勝てたかどうかは知らないけれど、全国大会出場的な報告もなかったし校内で噂にもなってなかったし、たぶん勝てなかったんだろうなと予想していた。及川は相変わらずで、爽やかで、モテる人オーラ全開。

「もうすぐ卒業じゃん」
「そうだねー」
「だから、なんつーか最後に喋っておきたくて。もういつ会えるかわかんねーし」
「そっか、もうそんな時期なんだ」

そういえば、最近やけにあったかくなってきたなぁ。桜の木のことも、最近よく考えるようになった。もうすぐ蕾がたくさんなるんだろう。じきに春がやってくる。

「噂できいたんだけど、お前今1組のやつと付き合ってるんだって?」
「うん、そうだよ。」
「うわー、やっぱりその噂本当だったんだー...」
「え?なに、ショックなの?」
「まぁね。てか俺と復縁すればいいのにー!」
「うん、そうかもね。」
「え?ちょっと」

またビンタされるかと思ったのに!及川は、真面目に返事されると困るんだけど、って顔で慌てふためいてた。

及川と別れてから付き合い始めた人は、及川みたいに目立つような人でも、及川みたいになんでもできるような人でもなかった。私みたいに普通な人で、昔みたいに周りからいじわるを言われることもなくなった。今は新しい彼と愛だのなんだの言い合っていて、それはそれはすごく幸せなんだ。

だけど、たまに思い出す。及川に別れようって言われた時、あの時断っていたらどうなっていたんだろう。あの時彼に抱かれていたら何かが変わっていたんだろうか。ウシワカと戦う及川の姿を見に行けば、なにかが変わったのかなとか。そんなこと、後悔してとやかく考えても今となっては何の意味もないって、知ってるけど。

「でも今私しあわせだからさ」
「そっかー、そうだよねー」
「うん。なんか言いたいことある感じなの?」

うーんとか言いながら、及川は口元に手を当てていた。考え込むような素振りは彼が言葉を詰まらせた時によくやる癖だった。


「お前と別れたこと、後悔してた」


目の前の男。爽やかで、私に持っていないものを全部持ってる男。全ての女子の憧れの的。全ての人が羨むような人間。だけど本当はすごく脆くて壊れやすい。

涙目になる彼に、思わず触れたくなった。背伸びをして触った彼の髪はやわらかくてふわふわしていて、その感覚を久しぶりに思い出した。及川のそのきょとんとした顔、そのあとにほら、眉を下げて照れ臭そうに笑うところ、あの頃のままだ。

「なに?慰めてくれるの?」
「うん」
「なにそれ。嬉しいねぇ」

へらりと及川は笑った。まるで私の気持ちを見透かしているよう。

「でも俺と復縁してはくれないんでしょ?」

及川はあの頃みたいに、弱かった。すごくすごく悲しそうな顔をしている。こんなところ、ファンの子たちに見つかったらどうするんだろう。私しかしらない彼の一面はいつ見ても愛おしくて、できることなら独り占めしていたいけれど、私は及川とはもう付き合わない。今付き合ってる人を信じるって未来を選ぶんだ。

「うん、復縁はできない。ごめんね。じゃあ私もう帰る」
「わかった。ごめんな、引き止めちゃって」
「ううん。今までありがと。」


及川と別れたことを後悔したように、及川と復縁しなかったことを後悔する日もいつか来るのかもしれない。でも、私はこの道を選ぶんだ。

だから、私にだけ見せてくれた弱いところ、今度は別の誰かに見せてあげてね。悔しいけど。さようなら。



グッバイやわらかいあなた


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