それは今思い返してみても本当に些細なことだと思う。小さなことが積み重なるとどうしても無視することが出来なくなってしまう心理は俺にも備わってもいるらしく、それを証明するかのようにしっかり働いてしまったのだ。
 取るに足らない事であっても、俺は今でもその一つ一つを掬い上げる事出来るだろう。各々は小さいと言うのに、何故か存在感を放つそれらを。


 初めて彼女と言葉を交わしたのは偶々だった。昼休み、俺は大地とスガの教室で一つの机を囲い、購買から買ってきたパンに齧り付いていた。二人と朝練であった事、それから最近有ったことを話しながら。何の変哲もない、平々凡々な話だ。
 時々笑い、冗談を言ったり言われたり。俺らだけに限らず日本全国、何処の高校生でも過ごしていることだろう。事実、その時俺らの周りにだって似たように──流石に話題まで言及しないが──談笑しているやつらが居たのだ。
 昼休みも半分過ぎた頃、俺はすっかりパンも食べ終わっていて、丁度俺らの話も一区切り付いていた。チウ、とパックのドリンクを吸い込み口に含む。その時、澤村、と大地を呼ぶ声が聞こえた。よく大地と話しているのを見かける道宮の溌剌とした声とも違う、ほんの少し、柔らかで穏やかな女子の声。
 俺が呼ばれた訳でも無いのに、つい、その声を辿って視線を向けた。そこに居たのは、顔こそ見たことはあるものの話したことがない為に名前が出て来ない、くらいの女子。『知り合い』と呼ぶには程遠く、『初対面』かと言われればどうなのだろうか、と首を傾げてしまう、そんな距離。彼女が差し出してる一枚のプリントは、この間の昼休みに俺らの間で話題に上がった進路調査書のように見えた。


「これ、先生から預かってきた。記入漏れがあるらしいから、今日中に直して持って来いって」
「げ、ホントだ。気付かなかった……ありがとうな、みょうじ」


 俺がこの子誰だっけ、と答えが見つからないことを分かっていながらも一応考えてみている間に、その答えは大地の口から発せられた。みょうじさん。大地とスガの二人と同じクラスの、みょうじさん。何度か心の中で初めて知った彼女の名前を唱えてみた。
 向かいでスガが大地にしっかりしろよな〜と笑いながら肩を叩いている。一方、直ぐに立ち去ると思っていたみょうじさんはその場から立ち去ることもせず、その場から此方を見ていた。それはもう、まじまじと。人にこうも凝視されるのは居たたまれなく、息が詰まる思いすらする。
 俺の何が気になってこんなに見られてるのかよく分からないがこのままでは流石にパックジュースも喉を通らない。思わず大地とスガに視線で助けを求めるとそこは流石に部活仲間で、二人とも理解してくれたらしい。直ぐに助け船を出してくれた。


「なあみょうじ、旭を見ても何も面白味ないぞ」
「そうそう、そんなに見つめると旭に穴開くよきっと。どうしたんだ?」


 慣れたように軽口を叩く二人に、俺はいつものように言い返すことはしなかった。少しでも早くこの正体不明な眼差しから逃れたかったし、概ね、二人の言うことには同意していたからだ。
 おずおずと、みょうじさんに視線を向けてみる。別の方へ視線を移してくれていることを期待して。しかし残念ながら、くりんとしたふたつの瞳は未だ俺を捕らえたまま。一体、何かしてしまっただろうか。フルーティーなジュースはなお、うぐ、と詰まらせた喉の手前で留まっている。


「……みょうじ?」
「あ、ごめん。あのね、この人が噂の東峰くんかあ、って思って」
「噂のって、ソレ、もしかしなくても『カラスノのアズマネ』ってやつ?」
「うん、そうそう」


 まさかとは思ったが、みょうじさんの答えは是。俺はいよいよもって、頭から血の気が引く思いがする。何が悲しくて、今まで話した事のない女子から根も葉もない──と言うか、根や葉が曲解に曲解を生んであらぬ方向へ茂ってしまったのだろう──噂について言われなければならないのか。
 何だか溜飲が下がらない話ではあるけれど、漸くパックジュースを飲み込めた。長いこと口の中に居たせいで冷たさを失い、すっかり温くなったそれには美味しさを感じられない。
 目の前で大地は哀れみの眼差しを向けてきているし、対するスガは笑いを堪えている。大地が自分で否定しろ、と小さく言ってくれるが、正直言うと、俺が言うより二人から言ってもらった方が信憑性があるのでは、と思う。クラスメイトだし、二人の人柄を考えれば無闇に嘘なんて吐きそうもない。気が進まないが、このままだと大地から拳が飛んできそうで、俺はすっきりした口で少しでも反論しようとした、その時だった。それはみょうじさんの言葉で遮られてしまった。


「でもね、東峰くん噂通りの人には見えないから、やっぱり噂は噂なんだね」
「えっ」
「だって東峰くん、何となくだけど空気が柔らかいなって思って」
「……えっ、えっ」


 開いた口が、塞がらない。まさかこんなことを言われるなんて、誰が予想できたか。何も言えずに口をはくはくと空振りさせている内に、それで気が済んでしまったのか、みょうじさんはじゃあね、と一言添えて何処かへ行ってしまった。
 それを視線で見送る俺たち。ぽつりと、スガが口を開いた。


「みょうじ、見る目あるね」
「まあ少なくとも噂のようなことは旭には出来ないし、有る意味旭のこと見抜いてたよな。かなり好意的な解釈してたけど」


 そんなことを話す二人の声に呆然としながら、俺は再びパックジュースを口に含む。吸うとズズ、と音が立つことから、残りは僅かなのだろう。先ほどはあんなにも飲み込むのに苦戦した癖に、今回はすんなりと嚥下する。鼻を抜けたジュースの香りが甘ったるく、いつまでも鼻腔に残っている気がした。



 それから、数日後。これまた偶々、俺は授業間休憩の時間に廊下に出た。特に理由はない。何となく教室の中の空気が籠もっているような気がして、涼みに廊下に出てみたのだ。
 何をするでもなく、既に開いていた廊下の窓枠に肘を掛けて息を吐く。そよそよと緩やかに入ってくる風に目を細めて、今日は何て穏やかな天気なんだろうと和む。窓の外に広がる青い空と、そこにぽっかりと浮かんで緩やかに流れていく雲、そよそよと身を揺らしては語り合うかのように葉を鳴らす木々、そして少し視界を遠くに移せば、広がる畑。田舎独特のこの風景には慣れたけれど飽きることはない。

(こんな日は散歩とかランニングとか、良いよなあ……)

 次の授業まではまだ時間がある。たっぷり時間をかけて風を浴びていると、不意にどうしよう遅れる、と慌てたような声が俺の後ろを通り過ぎた。同時にバタバタと靴が廊下を叩く音が聞こえて、そして起きる風。一体何なんだと後ろを振り向いてみれば、みょうじさんの横顔が隣、四組の教室に飛び込んでいったのが見えた。
 ジャージに着替えていたし、四組の教室が人の気配もなく静かな様子を見ると次は体育なのだろう。次も同じく教室での授業を受ける俺からしたらまだ時間に余裕は有るように思えるが、次が体育ならば、この時間にまだ此処にいるのはどうなのだろうか。けれど、ああも急いでいるのなら忘れ物か何かなのだと思う。
 未だガタガタと微かに聞こえてくる四組の入り口を、何となく眺める。間もなくしてガラッ! と音を立ててみょうじさんが出て来たのを見て、俺は仰天した。見るからに肩を落とし、俯き気味に頭をしな垂れているせいで肩より長い髪の毛が彼女の顔を隠す。さながら、ホラームービーに出ても差し支えない様相。思わずひくりと口を引き吊らせる。


「みょうじさん、だよね……。……ど、どうしたの」
「……あ、東峰くん……」


 フラフラと覚束無い足取りで歩きながらも此方に気付き顔を上げた彼女は、眉間に皺を寄せて、口角も頼りなさげに下がっていた。今にも泣きそうに顔を歪めているのを目の当たりにして、声を掛けないなんて、無理な話だった。
 一体どうしたのかと彼女の側まで駆け寄ればどうしよう、と一言漏らす。


「あのね、今から体育なんだけれど、さっき髪の毛を結おうとしたらヘアゴムが切れちゃって」
「そ、そうなんだ」
「その場に予備を持ってる子も居なかったし、教室に戻れば私も予備のヘアゴムがあるからって急いでここまで来て」
「うん」
「そしたら予備のヘアゴムを入れてたポーチを家に忘れて来ちゃったみたいで、持ってきてなかったんだ。……体育の先生、厳しいでしょ? 前に髪の毛が長いのに結わないで参加してた女子に凄く怒ってたから、私も怒られそうで……ど、どうしよう」


 最後にもう一度、どうしよう、と。そう呟いたみょうじさんの姿を見て、俺は体育担当の先生を頭に思い浮かべてみた。……確かに、熱血タイプで何事も全力投球、手を抜くことを良しとしないあの先生なら、彼女の言う通り憤慨しそうな気もする。みょうじさんが怯えのような感情を抱くのにも納得がいった。
 どうしたものか、と頭をひと掻き。そして俺は思い付いた。ヘアゴムの予備なら、俺が持っている。


「ちょっとだけ待ってて!」


 そう言い残して俺はその場を後にする。今度は俺が慌てて自分の教室に飛び込む番だった。ぽかんと何が何だか分かっていないような表情のみょうじさんを残して、自分の机に走る。横に掛けた鞄の中から目当ての物だけを取って再び廊下に戻れば、みょうじさんは俺が言ったようにその場から動かず待ってくれていた。目をぱちくりとさせながら。
 俺は持ってきたヘアゴムを手のひらに乗せて、彼女の目の前に差し出して見せる。はいヘアゴム、と言葉も添えれば更に目を見開くみょうじさん。俺の手のひら──の、上に乗ったヘアゴム──と、俺の顔を何度も彼女の瞳が往復する。そうして何度目か視線が合った時、彼女は眉を思いっきり下げながら口を開いた。


「いっ、いいの?」
「いいよ、気にしないで。……って、男からヘアゴムなんて、嫌かな」
「そっ、そんなこと無いよ、けど、でも」
「急がないと授業遅れるよ?」
「……ありがとう! 借りるね!」


 そう言って、みょうじさんは俺の手のひらからヘアゴムを受け取った。彼女の指先が手のひらに僅かに当たって、ほんの少しだけ、擽ったい。それを振り払うように拳を握って何回かニギニギと指を動かしてみる。彼女は相当慌てているのか──実際、体育の授業を控えているので慌てるのは当然だけれど──、そんな俺に構わず追い越し、廊下を駆け出した。バタバタと彼女の靴が再び鳴らし、音が遠ざかっていく。


「東峰くん!」
「……どうしたの?」


 もう授業へ向かうべきである筈のみょうじさんの声が、俺を呼んだ。振り向けば離れた所で立ち止まり、此方を向いている。何をしているのだろう、と首を傾げれば、距離を置いた向こうから声が再度届く。


「そう言えば廊下で何してたのー?」
「……あー、えと……今日は良い天気だな、って」
「あはは、東峰くんって自然派なんだね! じゃあ、本当にありがとう!」


 特に何の意味もなく廊下に佇んでいた俺には、何をしていたかと訊かれても明確な答えは無く。つい頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。みょうじさんはそれを楽しそうに受けて、今度こそ走って行く。無事、授業開始のチャイムより先に着けるだろうか。
 払ったはずのこそばゆさが、また手のひらで疼いた気がした。



 次の日、昼休み。
 いつものように大地たちの所へ行こうと財布を持って机から腰を上げた瞬間、クラスメイトに名前を呼ばれた。何かしたかな、と視線を向けるとそこは教室の入り口で、名前を呼んだ奴の隣にはみょうじさんが立っている。
 ぱちり。視線がかち合って一応会釈をすれば、彼女は顔を綻ばせて小さく手を振った。どうせ今から四組へ行くのはきっと彼女も知っているだろうに、態々教室にまで来る用事なんて。一体何なのだろうか。


「こんにちは、東峰くん」
「あ、うん、こんにちは。俺に用って?」
「お昼、私に奢らせて下さい!」
「……ええっ?!」


 彼女の口から出たとんでもない提案に、俺は驚きの声が上がるのを禁じ得なかった。それはもう持っていた財布を一瞬落としそうになる程に突拍子もないことで、何故彼女がそのような突飛な発想に至ったのかが分からず、思わず後ずさってしまう。


「急にどうしたの、て言うかみょうじさんに奢らせるなんて駄目だよ、無理!」
「そこを何とか……みょうじなまえの恩返しを受けてくれないと、私、気が済まないの」
「恩返し?」
「昨日のヘアゴム。お陰様で怒られずに済んだんだよ、何かお返ししないと」
「いや、それでお昼ご飯ってみょうじさんの割に合わないって! それに俺、大地たちとお昼は食べるし、いいよ気にしないで」
「あ、それに関してはもう澤村と菅原に話通してるから平気だよ。二人とも『うちの旭をよろしく』って言ってた」


 どうやら当事者である俺が居ない場で話が進んでいたらしく、しかもお昼を共にするはずだった仲間二人からも既に承諾を得ているなんて、ここで断れば後で二人に何と言われるか判らない。落ちそうになる肩を、ぐぐぐと必死で堪える。その代わりと言っては何だけれど、息を小さく吐き出した。
 ここは頑なに拒否するのは得策ではないだろう。しかし彼女の申し出をまるっと飲むのは流石に忍びない。俺は妥協案を一つ出して、みょうじさんに向き直り頭を掻いた。


「……じゃあ、奢りとかじゃなくて、半分だけ出してくれれば」
「半分?」
「そう、それなら、いいよ」
「うーん、分かった。東峰くんがそう言うならそうする」


 かくして、俺とみょうじさんと言う珍しさを極めた組み合わせで学食へ向かった。何かと勘ぐり気味の後輩たちと鉢合わせしはしないかと緊張したが、どうやらその心配も杞憂に終わり無事に学食に辿り着く。
 途中、余りに周りを気にしすぎて何もないというのに一度だけ躓いてしまった。それを隣のみょうじさんに見られ顔から火が出る思いをしたが、彼女は一瞬驚いたような顔をして、それから直ぐ楽しそうに笑う。東峰くん、バレー部なのに普段はのんびり屋さんなんだね、と。その一言に、今度は心臓のあたりがむず痒さを覚えた。それを曖昧に笑って誤魔化したけれど、上手く行ったかは俺自身分からなかった。


「東峰くん何食べるの?」
「とんこつラーメンかな」
「ラーメン? 運動部なんだし、もっと多いの食べると思ってた。ほら、A定食とか」
「うーん、嫌いじゃないけど、とんこつラーメンが好きなんだよ」


 学食のメニューを眺めながら、俺は食券の販売機へ脚を進める。そう、嫌いなんじゃなくて、特別とんこつラーメンが好きなだけ。隣でみょうじさんはぽつり、とんこつラーメン、と呟いた。珍しい物でもないのにまるで噛みしめるように声を漏らすものだから、俺は首を傾げる。


「どうかしたの?」
「私、とんこつラーメンって食べたこと無いと思って」
「えっ本当に? それは珍しいって言うか、何というか、損してるというか」
「そんなに美味しいなら、私も食べてみようかなあ」


 みょうじさんは迷い無く販売機にお金をチャリンチャリンと投入すると、とんこつラーメンの表示があるボタンを二度続けて押した。そして出てくる二枚の食券。その一枚を俺の方に差し出して来て俺は手を伸ばしかけた、すんでの所でハッとする。
 彼女の動作があっと言う間であまりに自然過ぎて気付かなかったけれど、半分出すという話だった筈なのに全額奢られてしまっていた。慌ててポケットに仕舞っていた財布に手をかける。


「俺、半額払ってない!」
「いいの、奢るつもりだったんだもの。早い者勝ちってやつ?」
「……それ使い方合ってる?」


 彼女は全く気にも留めていない様子で、二人分の食券をカウンターに置く。おばちゃんがそれを受け取ったのを見て、まるでクリスマスプレゼントが待ちきれない子供のように笑顔を浮かべて、「とんこつラーメン楽しみ!」と言った。その姿を見れば、これ以上言及するのは野暮のように思われて、少なくとも今は大人しくラーメンが出て来るのを待つべきだと思った。


「はいラーメンお待たせ!」


 おばちゃんの声と共にドン、とカウンターに出されたとんこつラーメン、2つ。一言おばちゃんにお礼を言って、自分の分を両手で持ちテーブルへ向かう。適当に空いている所へ置いて腰を落ち着かせると、向かいの席に誰かが座った。……流石にお昼ご飯をみょうじさんと一緒に食べることにはならないだろうと思っていた俺の読みは外れだったようだ。
 みょうじさんは席に着くなり瞳を輝かせて、待ちきれないとばかりに両の手を合わせる。いただきます、と行儀よく挨拶した後、パキリと割り箸を割った。それに続いて俺も手を合わせる。いただきます、と言うと、みょうじさんはどこか嬉しそうに頬を緩めて、どうぞ、と返す。


「初とんこつラーメン……緊張する」
「はは、何でだよ。早く食べないと伸びるぞ」
「あっ、そうだね」


 ハッとしたように目を見開いたみょうじさんは、急いで麺を一掬い、レンゲも上手く使いながら啜る。もぐもぐと頬と顎を動かしている彼女を何となく見届けていれば、俺の視線に気付いたのか少しだけ眉を寄せる。口元を左手で隠して「伸びるんじゃないの?」と一言。おまけに「食べてるところを見られるの、恥ずかしいよ」とも。それもそうだと苦笑いを浮かべて、俺は自分のとんこつラーメンを食べ始めた。


「……美味しいね、とんこつラーメン」
「美味いだろ、とんこつラーメン」
「うん、ハマりそう」
「とんこつは専門店とかあるから、今度は学食じゃなくてラーメン屋でたべるといいよ。もっと美味いから」
「本当に? 今度、一緒に行こうよ!」
「……一緒に?」
「うん、ダメかな」


 東峰くんと行きたいんだけど、とみょうじさんの窺うような声。それに思わず手を止めて、顔を上げた。
 湯気の向こうに見えるみょうじさんの困ったような笑顔に、喉が窮屈になる。また心臓がむず痒く感じた。一際大きく鳴った気がする心臓が今度はギュウと締まる感覚がする。部活で忙しい以外に断る理由なんか無い俺からしたら時間さえあれば行けてしまうのが事実で、例えそれらがどうであれ、俺自身みょうじさんと一緒に行きたいと思ってしまっていた。
 それに気付いてしまえば、もう肯くほか無い。


「ダメじゃ、ないよ」
「やった! 約束!」


 みょうじさんは弾むような声を上げて、それに比例するように表情も綻ばせる。それは俺が初めて見る彼女の表情で再び心臓が煩いほどに跳ねた。勘違いじゃなく、思い違いでもない。俺の身体自身が理解していた、彼女の表情一つでこうも気持ちが動いてしまうことを。

 ……俺は後悔した。今、みょうじさんの眩しいくらいの笑顔を見てしまったことを。気付きたくはなかった、こんなロマンも何もない、とんこつラーメンを挟んでなんて。どうせならもっと然るべきタイミングとシチュエーションで自覚したかった。
 そうは言っても一度認識してしまった感情を無視するのは最早無理な話で、俺はもう諦めるしかないのだと悟る。
 ラーメンから上がる湯気の向こう、みょうじさんの嬉しそうな笑顔が揺れて見える。それは湯気のせいか、それとも俺の視界が歪んで見えているのか。
 ただひとつ言えるのは、みょうじさんの笑った顔が俺の心を動かしたと言うこと。気付きたくなかったと言う気持ちとは裏腹に熱くなる顔を誤魔化すように、俺はラーメンを啜った。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -