癖と言えばいいのか習慣と言えば分からないけれど、昔からついつい来てしまう場所がある。
 その場所は家から5分もかからない所にある小さな公園で、春や秋の入り頃によく来ている。理由は特になく、風呂に入った後、暑くて仕方がない時に涼むためだとか、一人で考え事がしたいと感じた時に必ず来ていた。その場所は俺が生まれる前からあって、小さい頃はここで毎日のように遊んでいた。あれから10年以上の時が流れ、古くなったり危なかったりと様々な理由で遊具が撤去され今じゃ何のための公園なのかが分からない程こざっぱりしている。けれど、大都会という騒がしい街で過ごしているにも関わらずこの公園は中々静かで、夜に一人でベンチに座っているとそれだけで落ち着いた。それは今日も変わらず俺に安らぎを与えてくれている。
ぼうっと星の少ない暗い空を眺めていたら、誰もいないはずの公園で足音が聞こえ始めた。その音がこちらへと向かって来ているのが分かり、視線を夜空から音のする方へ向ければ、見知った女性が「やあ」と手を上げながら俺の座っているベンチの方へと来ていた。
「こんばんは、赤葦君」
「こんばんは、みょうじさん。ダメですよ。女の人が夜一人で出歩いちゃ」
「ふふ、ありがとう。でも大丈夫。家、すぐそこだから」
「それでも、です。何かあってからじゃ遅いんですよ」
「だって、ここに来ないと赤葦君に会えないじゃない」
 それを言われてしまうと何も言えなくなってしまう。ぐっと口を噤んでしまった俺をみたみょうじさんは長い髪をゆらゆらと揺らしながら笑い、お邪魔します、と人一人座れるスペースを開けてベンチに座った。
それが何時からだったか、余りよく覚えていない。中学生の頃だというのは確かで、いつも一人でいるこの夜の公園にみょうじさんは突然現れた。どことなく、夜の間だけはこの公園は自分のもだという錯覚を起こしていた俺にとって彼女の登場は余りにも衝撃的だった。衝撃的だったはずなのに、余り覚えていないのは彼女という存在がするりと俺の中に入ってきたからで。少なからず一人になりたいから来ていたはずなのに、嫌だと感じなかったのは彼女がそういった人の心の内側に入るのが上手な人だったからなのだろうと思う。
 俺は彼女の事を何も知らない。知っているのはみょうじさんという名字だけで、これも本名なのかは分からない。それはきっと向こうも同じだろう。ただ、なんとなくだけれど俺より年上なんじゃないかと思う。落ち着いた雰囲気や話し方、距離のとり方がどうしても同年代とは思えなかった。
 みょうじさんは何時も来るわけではなく、たまに俺の前に現れては少しだけ話をして帰っていく。それが俺のここ数年の過ごし方だった。
「3月下旬とはいえ、やっぱり少し冷えるね」
「そうですね。でも、俺はこの位が気持ちよくて好きです」
「赤葦君はお風呂上がりにここに来ることが多いもんね」
 そういうとまたふふっと楽しそうに笑って俺の方を見る。ただ何時もと違ったのはじっと俺を見つめてくることだった。こんな風にじっとみょうじさんに見つめられることがなかった俺はどうしていいか分からず下を向いてしまう。
 その視線に耐えるようにじっと自分の靴を見ていると、みょうじさんは「ねえ赤葦君」と話しかけてきた。
「多分、私がここに来るのは今日が最後だと思う」
突然の言葉にばっと顔をあげ、みょうじさんの方をみれば相変わらず微笑んでいる。そこで何より驚いたのは、みょうじさんの言葉に思ってもみなかった衝撃をくらった自分がいたからだ。それまで渇いていなかった喉が渇き始め、吐きだそうとする言葉がつまる。
「ひっ、こし、とかですか?」
「んー……。ちょっと違うけど、新天地と言う意味ではそんな感じかな。次あったら言おうと思ってたの。赤葦君には色々お世話になったしね」
 そういってまた笑う彼女に俺の口からは「そう……ですか」という言葉しかでなかった。突然俺の前にやってきた彼女は、突然俺の前から消えるという。
「それじゃあ私はそろそろ帰るね。赤葦君も、春はすぐそことはいえ、あんまり遅くまでいたらダメだよ?」
「はい」
「春は別れの季節だからねぇ。『サヨナラだけが人生だ』とはよくいったものだね」
 最後にそれだけ言ったみょうじさんは立ち上がって来た方向へと一度も振り返る事なく帰っていった。姿が見えなくなった後、何故か痛くなった心臓に手を当て下を向いた。じくじくと鈍く痛む胸の理由を俺は知っている。その痛みは過去に経験したことがあった。ただ今回のそれは余りにも不毛で、住んでる場所も、歳も、名前も、下手をしたら名字すら知らない、ただたまに夜の公園のベンチに座り話をする女の人を知らず知らずの内に好きになっていたという事実。恋を自覚する前に失恋をしたという事実だけが俺の中に重く残った。
 何故もっと早く言ってくれなかったのだろう。そうすればまた何か変わったのかもしれないのに。そう文句を言おうにも、その相手はもういない。今俺に出来る事はただただ痛む胸を抑える事だけだった。
『サヨナラだけが人生だ』とみょうじさんは言っていたけれど、そんなの余りにも悲しすぎる。





例えどんなに悲しくともあの公園に足を運べなくなっても時間は流れるもので、あの日から3週間が経つ。新学期を迎え晴れて2年生となった俺は今日入学式を迎える新一年生への対応へ駆り出されていた。新学期そうそう担任に呼び出され『当日新入生の出席確認とブレザーの胸ポケットに造花の花を挿す』という役目を半ば無理やり押し付けられた。何故、と思わなくもないが、入学式の会場が普段俺達が部活の時に使用している体育館だから、道案内もかねていたのだろう。
 垢抜けない新入生を目に、去年の今頃は俺もあんなだったのかと感慨深く思う。同じクラスから俺と同じように駆り出されたクラスメイトと共に「ご入学おめでとうございます」と次から次へとやってくる新入生の対応をしていれば花が無くなり、箱から取り出していれば「制服姿も似合ってますね」と声をかけられた。
 その声に聞き覚えがありすぎて勢いよく顔を上げれば、髪を短く切った彼女が真新しい制服に身を包んで俺の前に立っていた。突然の出来事に何が何だか分からなくなり、思考も何もかも停止してただただ悪戯っ子のように笑う彼女を呆然と見ていた。クラスメイトが訝しく俺達を見ているのが分かったが、それどころじゃない。なんで、どうして、だって、と普段の俺からは考えられない思いだけが頭を埋め尽くす。
 そんな俺をみてまた笑った彼女がとうとう口を開いた。
「名簿、記入してもいいですか?」
「え……あ、うん」
慌てて名簿を渡せばきれいな字で書かれるみょうじなまえの文字。
 馬鹿みたいになんで、どうしてを繰り返す頭で、彼女の名字が本名だったことが嬉しいとか、あの日からずっと知りたかったみょうじさんの名前がなまえであると知れて嬉しいというのかとそんなことを思った。そして一番に思うのは、また会えてうれしいという事だった。
 名簿を記入し終えた彼女はまた俺へと顔を上げ、にこりと微笑む。
 その顔は今まで見てきたあの夜の公園でのものではなく年相応の、けれど面影は残ったままの笑顔で、無性に泣きたくなった。
「次先輩に会ったら言おうと思ってたことがあるんです」
「……なに」
「好きです。赤葦先輩の事が。よかったら、私と付き合ってくれませんか?」
 その瞬間、周りがざわざわと騒ぎ始めたのが分かった。きゃあという女子生徒の悲鳴とも聞こえる声やまじか!と叫ぶ男子生徒の声。その騒めきの中一人微笑んでいる彼女。
「もう来ないって言ってただろ」
「あの公園にはって意味ですよ。振られたら行き辛くなるじゃないですか」
「……勝手すぎる」
 そう、余りにも自分勝手すぎる。一体俺がどんな気持ちでこの数週間を過ごしたと、何とも思わないとでも思ってたのか。それに、サヨナラだけが人生だと言ったのは彼女の方だ。
 俺に非難めいた目を向けられても笑っているみょうじは「それでも、」と口を開いた。
「また春は来ますから」
 その一言にとうとう堪えていた涙が一粒溢れ、慌てて俯きそれを拭った。用意されている花を持ち、彼女へと顔を上げる。
「ご入学おめでとうございます。……俺で良かったら付き合って」
 今できる精一杯の返事をしみょうじの胸へ花を贈る。みょうじはといえば仄かに顔を赤らめ、今までなんで年上だと錯覚していたのか不思議になる程あどけなく笑った。その時、ようやく俺は目の前にいる彼女が自分よりも年下だと実感できたのだ。


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