放課後の図書室は静けさに包まれている。
校庭をランニングする運動部の声や、ブラスバンド部の音階練習が窓越しに柔らかく聴こえ、その間を縫うようにペンを走らせる。
英文をノートに書き写し、カラーボールペンで構文ごとに色分けし、辞書をめくって単語を調べる。そうして組み立てた和文をノートに書き留める。英文和訳の一連の流れが、私は結構好きだ。

最近、元々好きな英文和訳を更に頑張るようになった。新しい学年になって厳しい英語の先生のクラスになったのもあるけど、もうひとつ。この前の席替えで隣の席になった西谷くん。彼がその理由だ。


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「みょうじ〜! 今日、俺当たる!」

授業の合間のざわめき音にちっとも負けない声量で言って、西谷くんは顔の前でパシリと両手を合わせる。気の強そうなつり目をギュっと瞑り、頼む! と続く。

「ノート見せてくれよ!」

前に、冗談も全く通じない堅物の英語の先生に当てられて困った顔をしていた時、こっそりと回答を囁いたのが始まりで。以来、英語の授業の前になるとこんなやり取りをする。
私だって進学クラスではないし、勉強はそんなに得意な方ではなかったけれど。
クラスでもいつも中心にいて、みんなを笑顔にするような西谷くんと、これと言って特徴もない地味な生徒の私は、こんなきっかけがなければこうして会話もできそうにない。

「また? 仕方ないなぁ」

迫真のお願いポーズに小さく吹き出しながらノートを広げる。
目を輝かせながら「サンキュッ!」とノートに飛びつく西谷くんは、私の引いたアンダーラインをなぞりながら「こんな構文あったか?」と首を傾げるので、簡単に説明もする。
ほんのわずかな時間、ノートを挟んでのささやかな勉強会が、私にとっては学校生活の一番の幸せだった。英文和訳を好きになるには、すこし邪な理由かも知れないけど。


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ガラッと、大きな音を立てて図書室の扉が開いた。

「ちわーっす!」

聞き覚えのある声の持ち主が、カウンターへ歩いて行く。返却の手続きに来たらしく、カウンターに本を差し出すと、司書の先生の前で手持ち無沙汰そうにゆらゆらと身体を揺らしているのが見えた。よく動く目でキョロキョロと図書室を見回し、それでも飽き足らずに書棚に目を向けたところで私に気づいて「あっ!」と言った。途端、すごい勢いでこちらにやって来る。

「みょうじじゃねぇか!こんな所で何してんだ?」
「あの、英語の予習を、ちょっと」
「マジかよ!」

すげぇ!とか、おおお、とか、机の上のノートに驚きの目を向けるので、気恥ずかしくなって私は少し挙動不審になる。
ふと、西谷くんが動きを止めた。ノートと、辞書と、カラーボールペンに順番に視線を巡らす。それから私を見て、何かに気づいたように口をむすんだ。真一文字だ。
と思ったら、素早く顔の前で手を合わせて、顔を下げた。パシンッ、とひときわ大きな音が響く。

「わりぃ!みょうじはいつもこうやってコツコツやってんのに、見せて貰って済ませるとか……俺カッコ悪いな……」
「あ、あの、西谷くんに解説するの私の勉強にもなるから!」

教えると思うと勉強にも身が入るんだと、しどろもどろで付け加える。
顔を上げ、ぽかんと惚けたような表情をした西谷くんの頬に、ほんのりと朱が指した。何か変な事を言ったかしらと首を傾げているうち、ますます真っ赤に染まった西谷くんは、もう、耳まで赤い。
何か言いたげにパクパクと開け閉めされた口元から、声が絞り出された。

「……だから…」
「え? なに?」

聞き返すと、西谷くんはほとんど叫ぶように言い放つ。

「みょうじのノートだから!俺、見せて欲しかった!」

鼓膜の震えが止むより前に、すでに西谷くんは駆け出していた。さすがに聞き咎めた司書さんの声が呼び止める。

「図書室では静かに!」
「すんません!」

律儀に返しながらも、学ランを翻して後ろ姿が遠ざかる。

今のって。
え、今のって、そういうこと?

自分の頬に熱が集まるのを感じながら、「同じ穴のムジナ」って英訳すると何て言うのかな、などと考える。
机に向き直り辞書を捲っても、頬の熱は当分冷めそうになかった。


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