俺は筆まめではなかった。部の連中とは最低限の連絡事項を済ませちまえば、世間話なんぞ学校でいくらでもできる。そもそも男で筆まめってのもどうなのかと俺は思うわけだが、クラスメイトの中には男女のお付き合いとやらを継続させるべく小まめに相手と連絡を取り合う男もいた。休み時間のたび、そいつらがやれ「昨日は日付変わるまでLINEしてた」「おやすみって送ったらチョー可愛い返事きた」だのと騒いでいるのを、俺はほぼ無関心で眺めていたもんだった。
 セミが木々や壁に張り付いてギャンギャンと自己主張を始めた季節、俺の意識に変化が訪れたのもちょうどその頃だっただろう。スマホなんざ連絡用ぐらいにしか使わないこの俺が、休み時間のたびにカチカチと端末を打ち鳴らしているとなれば、さすがに黒尾が訝しいと首を捻り出した。暑気を逃がすようにシャツを扇ぐ俺に、ヤツは言った。

「女か」
「……気色わりーからその薄笑いヤメロ」

 休み時間を持て余した黒尾が、人の神経をわざと逆撫でするような笑みを湛えながら俺の前に立っていた。ちょうど都合良く空いていた席を占領するべく、デカイ図体を押し込むように腰かけ足を畳んでいる。些細なところで体格差を目にすると余計苛立つというもので、俺はもとより持ち合わせのなかった素直さをいつか得たとしても、こいつのためだけには浪費するまいと固く誓った。
 この男に話したところでろくな目に遭わない。バレー部を通して顔を突き合わせ今年で三年目ともなれば、黒尾鉄朗という人間性もある程度は掴めている。「何でもねぇよ」あからさまな挑発に口端をひくつかせながらもヤツからスマホへと視線を戻したが、黒尾の野郎はめげる様子がない。外で番いを求めて泣き叫ぶセミどもより鬱陶しく、ニヤニヤ、ニヤニヤ、と唇で弧を描きながら追求の手を伸ばしてきた。

「あれだろ? 烏野の子」
「……なんでわかんだよ」
「は!? 夜久、マジで?」
「聞いといてそれはねぇだろテメェ……」

 そりゃジト目にもなる。黒尾は、自分で的確に核心を突いておきながら、こっちが正直に認めれば「信じられない」といった面持ちで身を仰け反らせた。腹立たしい薄笑いが引き攣った様は実に気分も良いというものだが、さすがにこれ以上の追求を許すわけにはいくまい。だが、陰ながら決意表明をした直後には俺のスマホが通知音を鳴らすのだ。む、と眉根が寄るのは現状への苛立ちかそれに伴う通知のタイミングへの焦りか、案の定彼女からであることをポップアップウィンドウが主張し、俺はますます機嫌を悪くした。

「もういいから、お前自分の席戻れ」
「うっわ、夜久クンちょっとつれないんじゃなーい?」
「うっせ」

 シッシ、と野良猫を追い払うように手を振る。

「しっかし、宮城と東京ねェ。遠距離とかロマンじゃね?」
「別にそんなんじゃねえよ」
「そもそもお前、いつの間に連絡先交換したわけ?」
「……練習試合のあと、声かけた」

 我ながら大胆な行動に出たものだと感心している。声をかけ、名前を教えてもらい、やっとこさ連絡先を聞き出した瞬間、俺の脳内ではハードなロックサウンドが小刻みなビートを刻み、奏で、とにかく上機嫌だった。バレー部と懇意にしているとかで、彼女とは話も弾む。筆まめではないこの俺が、些細な返信にそれこそ細かな気遣いを意図的に上乗せしてしまうほど、彼女とのやり取りを気に入っている。
 もしこれがメールやLINEではなく前時代的さながらの文通であったりしたのなら、相当気を揉んでいたことだろう。俺はお世辞にも気が長い方とは言えないタチであるため、文明の発展と貢献した偉大なる研究者の皆々様に敬礼だ。
 黒尾は、魚の腸を食ったような苦々しい顔をして、淡々としている俺の一挙手一投足を探っていた。ところがこちとら、若干の下心以外は至って健全であるため、探られたところで痛くも痒くもない。せいぜい口に含んだ腸を噛み締めるがいい、内心毒づいて再びスマホを打ち鳴らした。

「そういや、夜久サンや」
「……お前、懲りねぇな」
「例の合宿、烏野も参加するって話聞いたろ?」
「おうよ」
「それには来ねーの? そのカノジョ」

 そもそも、万が一参加するとしてもそれをわざわざお前に言う必要性を微塵も感じないのだが。そう突っぱねたところでこの挑発男は食い下がるだけだろう。頬杖をつきながら問いかける黒尾の切れ長の目にどこか抑え難い好奇心がちらついており、俺はいよいよもってこのボス猫野郎を追い払う手段を講じた。彼女との貴重な時間を、デリカシーをわざとドブに捨てたような男に握り潰されるのは癪である。
 フン、と鼻を鳴らす以外の返答をあえて控えた。僅かばかりの焦りもあっただろう。ちょうど、彼女と夏休みの合宿について語らっていたところだった。あまりにタイムリーな質問は俺に一筋の冷や汗を流させ、黒尾の鋭利な眼光は、窓の縁に溜まったゴミを指の腹で掬う姑のように目敏くこちらの動揺を見抜いていた。

「へーぇ……あの夜久が骨抜きネー」
「お前、ホントいちいち腹立つな」
「告んねーの?」
「いっぺんお前はデリカシーっつうもんを拾い直して来い!」

 夜久クンのいけず〜、などという気色悪い声音が俺のこめかみに青筋を浮き上がらせる。お前なんぞに言われるまでもなく、ゆくゆくはそうなればいいと自分でも段階を踏んでいるつもりなのだ。だが、おおよそ三百キロという距離が跨る関係において、さらに顔も見えぬとなれば二の足を踏むのも多少なりとも見逃していただきたい。
 本当に、おまけのような下心が最初だった。しかし相手を知れば知るほど欲は深くぬかるんで、沼地のように俺の思考を足ごと捕らえて放さない。ならば嘘を吐く。息を吐くように嘘も吐く。彼女の警戒心がいつか俺だけを無条件で許諾するよう、念入りに細やかな罠を張り続けるのだ。上品な獲物にトラバサミを仕掛けているような心持ちは、この上ない罪悪感もついでに持ってくるが、彼女からの返信を目にするたび、柔い言葉が脳に行き届くたび、今ばかりはと嘘を重ねる行為を厭わない。どうか俺を警戒しないで欲しい、まだ安全圏に置いて欲しい。

「……んで? 結局夏はどうするんだよ」
「来るってよ」
「お。夜久クン、アバンチュール?」
「くっだらね」

 とうとう足が出た。黒尾が座る椅子の座面、その裏側をつま先で蹴り上げれば、ガヅッと不穏な音が響く。衝撃に思わず腰を浮かせたボス猫をせせら笑い、俺もまた席を立つ。

「俺は目下青春中なんだよ。独り身と一緒にすんなバーカ」

 ぽかんとする黒尾を置いて、俺は教室を出た。単に、テキストを貸していた海が返却のために訪ねてきただけであり、それ以上の意味などない。ところが、勝気にスマホをかざしながら言い捨てる俺に、かける言葉を持たない黒尾の表情といったら本日のベスト・オブ・間抜け面と称しても過言ではないぬけさくぶりで、一矢報いた気分がどう堪えても大笑いを誘った。「夜久、テメエ!!」背後で声を荒げる我らが主将には、のちほど盛大に祝いの言葉を贈ろう。ざまぁと。

『夏休みの合宿では、またいろいろ話そうね』

 ポップアップに記された言葉が、彼女の声で再生された。「次」を逃さないために重ねる嘘は、果たしてこの人を手に入れられるだろうか。耳心地の良い声色を、アーティストの歌声に擦り寄るように耳の奥で思い描きながら、人の好い男を演じながら、うそつきは高校最後の夏をゆく。


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