「禁煙にご協力を」
「いつまでぶすくれてるのよ、次元」
運転席でハンドルを握る不二子が、助手席に座る男に言った。助手席のダッシュボードに足を置きながら不機嫌そうに座るのは、次元だった。
何故彼が不機嫌であるかは、後々わかる。
「ほら、早くマスクを被ってちょうだい」
無造作に放り投げられたマスクを、次元は不機嫌な顔のまま被った。
「禁煙生活も大変そうね」
次元が大変不機嫌なのは、禁煙をしている為だった。否、するように指示されたのだ。
今回盗み出すのは、天才画家アルツィオーネの作品「乙女の祝福」。過去にルパン一世が盗み出そうとしたこの画だが、見事に失敗。ルパンは先祖の雪辱を晴らすべくこの画を狙ったのだが、アルツィオーネは大の煙草嫌いだった。
煙草の匂いを嗅ぐだけで吐き気がするほどの潔癖症というわけで、今回次元は自身に染みついた煙草の匂いを完全に消して、更に匂いがつかないようルパンに禁煙をするよう言われてしまったのだ。
「チッ、何で煙草嫌いな野郎の元に俺を寄越しやがったんだ、ルパンの奴」
「ルパンの出番は本番だもの。下見は私たちがやらなきゃ」
次元と不二子に下見を任せている間、ルパンは明日使う道具を作るらしい。厳重な警戒を掻い潜るための研究は集中してやりたいのだろう。
「監視カメラが随分あるわね…それに部屋のドアには一つずつ防犯装置が付けられているわ」
屋敷の扉という扉には全て指紋認証式のロックが掛けられている。更に部屋の中に入れば無数の監視カメラが配備されており、その監視カメラのモニターはアルツィオーネの自室に全て映されている。
不二子が屋敷の下見を進める中、次元は何もせずに応接間のソファに寝そべっていた。
「ちょっと次元!私だけに仕事をやらせる気?!」
「煙草くせぇ俺がうろうろしたら煙たがれるだろうが」
「何言ってんのよ。消臭はしっかりしてきたんでしょ?」
「くそっ、めんどくせぇな!」
次元はかなり荒れている。まだ禁煙を始めて三日だというのにこの調子では、明日には更に苛々が募る。無駄な短気は予期せぬ失敗を誘発する時もある。
「たかが煙草一本吸えないだけで、そんなに苛々しないでよ」
「バカ野郎!三日もありゃ百本は吸えるぞ!」
「それは吸いすぎよ」
ヘビースモーカーもここまで来ると単なる煙草の中毒者だ。
「禁煙グッズでも買ったらいいじゃない」
「ああいうのは嫌いだ」
「気取ってる場合?」
「うるせえな!俺はあの煙が吸いたいんだよ!ミントだなんだじゃ意味がねぇんだ!」
知らないわよ、とクローゼットを漁りながらぼやく。今の会話でストレスが溜まったのか、部屋を漁る次元はやり方が雑になっている。いかにも泥棒が入りました、という風になってしまっている。
「ちょっと」
「なんだよ」
もう少し慎重にやって、と言おうとしたが、彼の返事があまりにぶっきらぼうなので口を閉ざした。次に説教などすれば、要らない反感を買い口喧嘩をしてしまう。今はそんな事よりも、セキュリティシステムの解除法を調べるのが大事だ。
とは思いつつも、やはり部屋中を荒らしていく次元が気になって仕方がない。
不二子は一旦クローゼットを閉め、カツカツと彼の元に歩み寄っていく。自分の真横でその足音が止んだのに気づき、ベッドの下の物を片っ端から出していた次元が顔を上げた。
睨みつける次元に躊躇することなく、不二子は彼のネクタイをぐいっと引き寄せ唇に自身のを押し当てた。そしてすぐに離す。
あまりに一瞬の出来事で、次元は何が起こったのかわからなかった。
「…な、何しやがんだお前!こんな時に…」
「こんな時だからよ」
「あ?」
「こういう時にそうやって苛々されてるとこっちが苛々してくるの!口が寂しいなら、それで少しは紛らわせなさいよ!」
不二子なりの気の紛らわせ方のようだ。
「…30分だ」
「え?」
次元の言葉を、不二子が聞き返す。
「こいつで正気に戻れるのは、30分だけだ」
少しだけ落ち着きを取り戻した様子の次元が呟くと、不二子は「呆れた」と言いつつ本棚を横に動かした。
「…30分経ったらまたしろってこと?」
「仕事のためだ」
本棚をどければ、隠し部屋があった。鍵穴にあらかじめ用意した粘土のようなパフを押し当て鍵の型を取り、スプレーをひと噴きすれば粘土が固まり立派な鍵が完成する。
セキュリティシステムに関する書類を全て奪い、アジトに戻ってきた二人。
ルパンは相変わらず部屋に籠って研究を続けている。その間も、次元は煙草を吸うことは出来ず、ソファに座りながら忙しなく貧乏ゆすりをしている。反対側で雑誌を読む不二子を睨みつけた。
「おい」
「なぁに」
「さっきのくれ」
「はい」
ポイッと次元の方へ投げられたのは、キャンディー一粒。
「違う!」
「何が」
「さっき屋敷でやったろ!」
「やーよ。お口が寂しいなら飴でも舐めてなさいな」
言って足を組み替える。
飴をジャケットのポケットにしまい、次元は不二子の目の前までやってくる。
「くれ」
「もう、しつこい!」
「今更出し惜しみすんじゃねぇ…よ!」
「あ!」
彼女の眺めている雑誌を奪い、次元は彼女の肩を掴み背もたれに彼女の体を押さえつけた。いや、と不二子は抵抗してみせるが、雑誌を放り投げた次元の左手に顎を掴まれてしまう。
「禁煙にご協力を」
「…スケベ」
憎まれ口を叩く彼女の口を、少しだけ急くように塞いでやった。