吸血鬼と呼ばれる類の生物を見聞きした、すなわち一度でもその概念に触れた者ならば、彼らが脆弱な生命でないということは等しく知っているであろう。これは事実だ。自らが最も強い、いわゆる食物連鎖の頂点に立つ生物であると自惚れたことは一度もないが、だからといって貧弱な生き物であると錯覚した覚えもなまえにはなかった。半端者ではあるが、彼女はそれでも吸血鬼の端くれである。今までも、ついでにこれからもその事象は変わらないだろう。これも、事実だ。

「いやはや、実に恐れ慄いたよ。君のその、品の良い食事風景に」
「ふん、安心しろ。貴様もいつか食ってやる」

積み重ねた数十の年月を客観的に見るに、彼女は自分を博識とまではいかずとも無知ではないし、傲慢ではないにしろ謙虚でも有り得ない生物であると、結論付けていた。目測によるが。それなりに物を知り、それなりに現実を見、それなりに自らの立ち位置を把握していたはずである。はずで、ある。この男と合間見えるまではそれを疑うことはしなかった。無知の罪は自らの内側には存在し得ないと思いたい。世界が広すぎる。歴史は重すぎる。ただそうやって責任を自身の外に追いやるしかなかった。存外、生命の幅は広いのだ。

目の前にある、彼女のこれまでの一生においての規格外――いや地球の歴史にとっても規格外であろう、一人の男を、カーズを見定める。凶悪な男だ。しかしそれ以上に、美しい生き物である。世界中の闇を従えたような色の髪と瞳をしている彼は、満足げに唇を舌で濡らした。次に、すっかり薄っぺらい体と化した、同種だった者に視線を移す。ゴム手袋のようになった手がぱたぱたと波打って、館に蠢く埃を揺らしていた。そいつは確かに決して弱い生物ではなかったはずなのに、そんなことカーズはお構いなしというふうで、少しばかり指を突き立てるだけでそいつから命を奪ってしまったのだ。断末魔すら耳に残る暇はなかった。これが彼にとっての食事だという。随分悪趣味だと頭の中で笑い捨てて、なまえは自身の髪に爪を滑らせた。吸血鬼が地底人に食われるなんて、使い古されて酷く面白味の薄くなった映画のようだ。

「その『いつか』が、いったいいつ頃の話なのか、私としては気になって仕方がないよ」
「それは貴様次第だな。つまらん口を聞けば、」

つい、とカーズの長い指がなまえの額に突きつけられた。

「すぐにこうなる」

その指が、さも道理であるかのように、食い荒らされた後の吸血鬼であったものに向けられる。にやりと笑むカーズの口元に、ヒエラルキーの頂に居座る者の余裕を見た。日の光を避けることは同じであるというのに、この歴然とした力の差は何処から生まれたのだろう。それに駄々をこねないほどには、なまえは子供である時を過ぎ去った後だったし、今現在の状況下と立場をわきまえるくらいの容量もある。だからといって、全くの不満を持たないわけでもなかったが。

「それはこわい。末恐ろしい」
「冗談でも脅しでもないぞ。貴様など瞬きする間もなく食ってやる」
「そんなふうに思っていないさ。私は至って真摯に受け止めているよ」

茶化すように笑ってみせる彼女にカーズは少なからず苛立ちを覚えた。が、事実、彼がその気になれば文字通り瞬間もなく取り込まれてしまうのだろうし、そこには万の一つも彼女の意思が介在する余地はないのだろうし、自身の力が及ばぬところで何かが終わってしまうということは、なかなかに歯がゆいものだと彼女は確かに思っている。それが己と関わる事象であれば尚更。

「こんなことにならない為にも、そうだ、面白い話をしよう。君をつまらなくしては大変だ」

吸血鬼の屍を見下げて、なまえは自分がこうなった時のことを想像した。ぺらぺらに薄くなった体を上手く思い描けないのは、きっと想像力が足りないからに違いない。眉間を擦ってみた。年を取るにつれて脳味噌が堅くなってきて困る。

「ほう、聞いてやろうじゃあないか。貴様の悪足掻きを」
「君は心が広くて助かるよ。カーズ」
「その為に貴様を生かしているのだからな。さあ、わたしを退屈させるなよ」
「なあに。君こそ、私が話し飽きないようにしっかりと相槌を打ってくれ。流石に、私も自分自身の倦厭で死にたくはないんだ」

つい、と彼女はカーズの鼻先に白い指を突き立てる。

「そうだな。まずは、太陽が如何に美しいか語ってあげようじゃあないか」
「ふん、構わん。話してみろ、吸血鬼」

夜の闇を吸った彼の髪が靡く。生命の覇者も、楽しみを待つような子供じみた表情をするのだと、彼女はそこで初めて知った。

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