さながら餌皿のぶつかる音を聴いただけで涎を垂らす犬なら、私も純粋に愛せたはずだ。リードの先を首に巻いて、たまにはその輪っかを気まぐれで外してあげたりなんかして、そうして極めて健全に、私は私の愛を注げておけたはずなのだ。きっと。貴方は賢いヤツなのねなんて、さも自分の方が優れているような口振りで。きっと。おそらく。

暗殺において重要なことは、精密さと素早さと、慢心しない心持ちであると誰かに教わった気がしないでもない。本日のお仕事はナイフを振りかぶって投げて刺して、引き抜くという大変単純明快なシステムの元に成り立つ作業であった。私のあの投擲テクニックはなかなかに称賛されるべきだ。もう動かなくなって少し経つターゲットに私は立派な暗殺者でありましょうかと問い掛けてみれば、ええ勿論ですとその開ききった瞳孔が語ってくれた(ように思えた)。満足した私は彼のお高そうな、裏地に洒落たブランド名が刺繍されたコートの端で、差し色を加えるかのようにナイフの血を拭った。綺麗でない方の赤だ。私は深くなった夜を見上げて、名刺をしまい込む要領で丁寧にナイフを上着の奥へと入れた。さあ帰ろう。実を言えば私は家が嫌いではない。だからと言って真っ直ぐに家路へとつくほど好きなわけでもないが。

(いま誰がいるのかな。)つまりはそういう問題なのだ。リーダーはご苦労なことで日を跨いで仕事があると言っていたし、プロシュートはペッシの教育という名目のもと何処かへ出掛けていったし、ホルマジオは毎夜と同じく呑みに出かけているであろうし、ソルベとジェラートは推してはかるべし、ギアッチョは例の如くドライブだろうか、イルーゾォなんかは最近ずっと引き込もってばかりいるから、

「そこでオレのスーパーハイキックが炸裂したのさ!」
「ハイキックを炸裂させられる人生って楽しそうね、メローネ」

こうなることは言うなれば自然の摂理である。玄関の扉を開けるや否や物理的にも精神的にも絡みついてくるメローネを上手く躱しながら、私は最近購入したばかりのぺたんこの靴を脱がなければならなかった。例の如く曖昧な返答を続けた所為か話の流れを追えず、そのおかげで生返事をせざるを得なくなり、また話の流れに置いてきぼりを食らうという画期的な循環が帰宅五分で既に形成されている。随分と必要以上に彼が纏わりついてくるので、私はハンガーに上着をかけるついでに、彼のやわらかな金糸まで巻き込んでしまいそうになるほどだった。埃を払うかのように金髪を取り除いて、彼の首筋に戻してやる。さてそんな時まで彼のお話は止まらない。陽気なメローネ、お喋りなメローネ。私は溜息を吐いた。

「おや、お疲れかい?」
「そうねメローネ、貴方は知らないかもしれないけど今日は私、お仕事あったの」
「知っているともさ!チームのヤツらの予定はだいたい記憶してる……うん、なまえのは特に」
「あ、それはそれは、ふぅん」

それに悪意があるかないかは知る由もないとして、だとすればこれは計画的かつ自己中心的な犯行であるというわけだ。それってきっと受け取る側がどう感じるかが重要事項になるのよね。私がどう思うかだ。決まっている。うざったい。生返事の生っぽさにも磨きがかかる。

「なあなまえ、君こそ知らないかもしれないけどな」
「人生じゃ知らないことの方がたくさんあるからね」

沈み込む古びたソファ、二人分の重量じゃ埋没感も比例する。私は背もたれのほつれを熱心にほじくることで、メローネの唇が耳の裏にくっついてきた事実を向こうの方へと追いやるのに成功した。あ、ほら、糸がこんなに飛び出てるし、誰かが隙間に鉛筆の芯なんか詰めちゃってるし……。

「君ってさ、仕事終わりの夜は凄く優しいんだよ」
「甘くないコーヒーが飲みたい気分」
「な、こうやっておれが鬱陶しくべたべた触っても怒らないし」

彼のくちびるはひやりとしていた。かちんときた。

「鬱陶しいのを分かっててしてるってことはやっぱりただの嫌がらせなのね!この性悪男!」
「そう、いつもはオレが少し触るだけでそんなふうに怒るんだ。けどなんでだろうなあ、仕事があった日は疲れているからかな。それとも感傷的にでもなってるから?オレが言うまで気付かなかっただろ。なあ、どうして?」

彼の口がゼリーだったら今すぐぐちゃぐちゃに掻き混ぜてカブトムシにあげてやったのに!ただおんなじところといえば冷っこいだけで、あとは甘くも何にもないんだから、ああまったく腹が立つ。私はソファがすっかり沈み込む前に立ち上がった。一人になる為である。自分の部屋へ。

「知らない、私、私、もう寝るし」
「なまえにも罪悪感ってやつがあるのかい?」
「知らないしそういう話は楽しくない。あるに決まってるでしょ、ないけどね!」
「オレにはあるよ、罪悪感。君を怒らせちゃったことについて、ちょっと反省してる」

進んでも進んでもメローネはついてきた。自分で出来栄えよく作られたと感じていた扉に掛けたネームプレートも、今ではちゃちな子供のおもちゃにしか見えない。名前がなんだというのだ。私は話を聞かず、半ば部屋に飛び込むように入った。扉は後ろ手に閉めた。

「なあごめんよ。少し聞きたかっただけなんだって。なあ、もう少し君に触れていたいんだ!」
「知らない知らない、しらない!」

声もノック音も何もかも無視して毛布を被った。今日は疲れた。だから、眠る、のだ。



翌朝、数人の声で目が覚めた。男どもが帰ってきたらしい。ギアッチョのものが一番うるさい。ホルマジオは笑っている。プロシュートの声は、最も綺麗だ。 私はそういえばお腹が空いていることに気が付いて、ベッドを抜け出した。扉を開けて、

「……おはよう。機嫌はなおった?」
「メローネ、一晩中そこにいたの」
「フローリングで寝るのは得意なんだ」
「貴方は馬鹿なヤツなのね」
「うん、まあ……君のことになると特に」

メローネは丸めた背中を確かめるように伸ばしてみせた。緩慢な動きで瞼を擦る。純粋に愛せれば良かったのになあ。貴方がもっと賢いヤツならって、さも自分の方が優れているような口振りで、心の中で唱えてみたのだった。

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