彼女と話す時のぼくは自分でも分かるくらいに熱心で一生懸命なのだから、端から見ればそれはもう一心不乱、随分と熱っぽいやつになってしまっていることだろう。敢えて否定はしない。というよりか自覚の上で否定なんてできもしないし、治せるものなら治したいのだけれど、彼女を前にしたぼくは柄にもなく浮かれて何処までも高揚し続け、周りが見えなくなってしまうからどうしようもない。それが原因で彼女を困惑させているのも重々承知しているのだが、どうにもぼくは昔から自分の感情を律することが得てして不得意なようで、そんなものとっくに自明の理、更には周知の事実であることも、分かりきってはいるのである。

「ごめんね、わたし、フーゴがなんて言ってるのか分からないよ」

眉を下げて心底申し訳なさそうにする彼女を見て、ああまたやってしまった、ともう幾度繰り返したか覚えもできない後悔を抱える。カッと熱くなっていた胃が打ち水でもしたように冷え、更にはするすると収縮していく感覚。彼女は居心地が悪いのか、ノートについてしまった折り目を伸ばす為、指をひたすら紙上に行き来させていた。僕はこの五分のことを思い返す。例文に出たフィレンツェの街並みについて、少しなまえが興味を示したくらいでべらべらと、それも彼女が決して着いてこられないような速さで!バカか、ぼくは。バカなのか。

「わたしがもっと上手にお話を聞けるようになれば、いいんだけど」
「違うんです。あなたは、悪くない」

悪いのは十中八九、勝手に浮かれてしまうぼくの方だ。出来うる限りの柔らかい笑みを作って、ヒアリングがまだ完璧ではないなまえの為に、なるべくゆっくり言葉を連ねる。時間をかけて丁寧に僕の音を耳と脳で咀嚼したあと、彼女はにっこりと笑って、「わたし、もっとがんばるね」、なんとも可愛らしい発音を舌にのせた。先程までの焦燥が、嘘のように遠退く。

「なあ、フーゴってなまえに甘くないか?オレ知ってんぜ!そういうのヒーキっていうんだろ」
「ひい?」
「き!オレなんてちょっと間違っただけですっげえ怒られるのにさ」

 いつまでも先の尖った芯を持つシャープペンシルを指で持て余しながら、ナランチャが口を尖らせた。聞き慣れぬ単語に首を傾げたなまえに、不条理だと言わんばかりに不満感を全開にして彼は語る。彼の前に敷かれた数学の、いや算数のプリントは未だ白い箇所が多く、ちらほらと控えめに黒い線が走っているだけだった。しかもその遠慮がちに並んだ答えはちらと見ただけで間違いだらけで、合っているものはといえばものの一つ二つしかない。こいつ……!

「贔屓だとかそういうものではなくてですね、ナランチャ」

片や異国の地に来てまだまだ日の浅い彼女、片や、日常的計算もままならない彼。これは、まごうことなく区別だ。公正の下、理にかなった分別なのだ。

「なまえだってそんなに進んでねえのにさ、それ」

彼が顎でしゃくる先には、彼女の語学ノート。綺麗な筆記体で綴られた文字列は、なるほど進行率といえば速いと言えないかもしれないが、それでもナランチャのものよりは、圧倒的に進んでいる。ここらで一つ、お灸を据えてやるべきか。

「ひいきは、嫌なの?」
「嫌に決まってんだろー、なまえもいっぺんフォークで刺されてみりゃあいいんだよ」

ナランチャがなまえの柔らかい頬を人差し指でつっつくと、彼女は自分の顔が食器に貫かれる様を想像したのか、身震いして小さくなった。おいナランチャ、そういう怖がらせることは、本当に、やめてくれ。本当に。

「でもね、ナランチャ。わたし、その問題、たくさん解けるよ」
「へ?」

身を乗り出したぼくを意図せず制したのは、彼女が伸ばした腕だった。驚いて目を丸くするナランチャを他所に、彼女は余白だらけの算数プリントをすらすらと埋めていく。ものの数分で正確な解答で紙を占める彼女と、それを興味深げに見つめるナランチャと、普段は謙虚な彼女にしては珍しい積極性に気圧されて、なにも言えないぼく。彼女がペンを置いた瞬間に、漸く我に返った。

「すっげー!なまえ、もしかして、天才?」
「えへへ」
「でもさ、オレだってなまえがやってる問題なら、すぐに出来るぜ!」

得意気に微笑むなまえに、何故か自信に満ちた表情で言い切ったナランチャは、ぼくが止める間もなく彼女のノートを手繰り寄せた。ずらずらと、クセのある字でイタリア語をしたためていく。あっという間にシャープペンシルの芯も丸くなり、紐解かれてしまう問題の数々。次々と消化される謎に比例して、なまえの瞳が煌めいていった。

「すごいね!ナランチャ、もしかして、天才?」
「すげーだろ!オレって天才!」

きゃいきゃいと盛り上がっているところ水を差すようで悪いが、ナランチャの算数の問題は五つ年下でも容易に解けるものだし、彼女がやっていた語学の問題だってイタリア人なら日常的に使っている文であったし、つまりは交換してもなんの意味もない。ぼくは頭を抱えた。

「あんた達ねえ……」
「あ、ご、ごめんなさい」
「なんだよー、別にいいだろォー?」

しゅんと項垂れるなまえと、まったくもって悪気の見出だせないナランチャ。確かにぼくも、彼女にほんの少し、ほんの少しだけ甘かったことは認める。だからといってナランチャの出来が、あまり芳しくないことは否定できるわけではないし、沸騰したぼくの感情を抑えられるようになるわけでもない。

「わ、わたし、次はちゃんとがんばるから……!」

ああ、しかし、そんなことを言われては許す他ないのだ。どうにもぼくは、自分の感情に酷く素直なようだから。
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